花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「ポーランド旅行」(7)

2013年11月03日 | 海外旅行「東ヨーロッパⅠ」ポーランド・コソボ,マケドニア,アルバニア

≪負の世界遺産 アウシュビッツ・ビルケナウ見学①≫

3日目の「クラフク」の午後は、負の世界遺産『アウシュビッツ・ビルケナウ』の見学をするか、自由行動をするかを選べたが、1人を除いてほとんどの参加者が負の世界遺産見学に行った。

バスを下りてから入場券を受け取り、先ず『アウシュビッツ』の敷地に足を踏み入れた。
ここは1940年、ナチス・ヒットラーに支配されていたポーランドで、政治犯を収容するために建てられた施設だが、やがて第二次世界大戦中にナチス・ヒットラーが占領したヨーロッパ中から、ユダヤ人、共産主義者、ナチスに反対する活動家をこの『強制収容所』送り込んだ。合計150万人が収容され、生きて出られた人は僅かだった。

小さく簡単に作られた鉄のゲートがあった。その上部には『働けば自由になれる。』(ARBEIT MACHT FREI)という文字が掲げられていた。
遥か遠くから過酷な旅を強いられてここに到着した大勢のユダヤ教信者(ユダヤ人)達とその子ども達は、このゲートをくぐった所でナチスの監督者に選別された。
健康なものは別の場所に連れて行かれ、女性や老人、病弱に見えた者や子どもたちは、やがて待ち受けている運命めざして、何も知らされずに並ばされたという。
現在は博物館として保存公開されている。

  

  

レンガ造りの囚人棟28棟が立ち並んでいた。所々に監視する建物がある。ここには最大で1度に28,000人が収容されていたらしい。
その1つの棟の入り口を入った所から矢印に従って見学コースを回った。

先ず二階に上がって直ぐに目に飛び込んで来た最初の展示は、衝撃的だった。
天井まで届くガラス窓が幾つもあって、中にはおびただしい量の灰色の髪の毛が積み上げられていた。別の場所で知ったのだが、ナチスが降伏してこの場所が開放された時、巻いた灰色のじゅうたんが幾つも出て来たが、髪の毛はその材料として使われたのだった。
次のガラス窓の中には、無数の眼鏡が、またその次には大量の革靴があった。小さな子どもの靴や衣服もあった。さらに進むと、ユダヤ人たちが荷物を入れて来た当時のスーツケースが山積みされていた。その多くには持ち主の住所や名前が書いてあるのだった。
赤ん坊を入れて来たらしい大型の手下げ籠も。当たり前だが、その全てには持ち主がいたのだ。これらの靴を履いて、ここまで辿り着いた人たちも。

  

再び一階に下りると、沢山の大型拡大写真で当時の状況が分かるように展示していた。
その一箇所に、ガラスケースに入った遺灰の展示があった。
また毒ガスとして使われた『チクロンB』が入っていた缶とその説明もあった。ショウウインドウの中に、『チクロンB』の空き缶が展示されていた。


  

  

  

別の建物に入った。何らかの理由で罰せられた人の独房が並んでいた。4人部屋もあった。その一つに、有名な「コルベ神父」が死亡した部屋があった。
(連帯責任を取らされて10人が餓死刑にされることになった時、「コルベ神父」が自ら申し出て10人目になり、死亡したのである)

一番奥に、狭い「立ち房」があった。畳半畳ほどしかない部屋に4人が入れられ、食事を与えられずに立ったまま死亡して行った部屋だった。

写真撮影ができないという部屋に入った。そこは「ガス室」だった。「シャワーを浴びてもらう」と言って服を脱がせ、次々とその部屋に招き入れたのだ。
天井の真ん中に一辺が15cmも無いように見えた四角い穴が開いていた。そこから有毒ガスを発生させる『チクロンB』の缶を投げ入れ、部屋にガスを充満させ、20分程で死亡させたのだという。
ガス室の隣室には、死体を焼くための2つの焼却炉が備えられていた。当時は3つあり、1日に340人の遺体を焼いていたらしい。
焼却炉やその後の遺体処理作業場で働かされていたのは、ユダヤ人たちなのだった。

再び外に出た。棟と棟の間を利用して処刑場が造られていた。奥の壁に向かって立たせた2人を、入り口の方から銃殺したのだそうだ。
驚いたことに写真右側の建物の窓には目隠しが無く、建物内からその状況を見ることができるようになっていた。見せしめの処刑を行っていたのだった。

  

最後にゲートのすぐ傍に鉄で造った鉄棒状の『集団絞首刑場』が作られていた。逃亡しようとして捕まった人達が、皆が見ている前でここで絞首刑を執行された。
その写真は、自由時間に個人で行った「クラクフ」の『シンドラー・ファクトリー』の展示場で見た。
6人がぶら下がり、1人が下に倒れているのを、大勢が傍で、ある者は笑いながら見ている写真だった。








コメント (4)
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