≪負の世界遺産 アウシュビッツ・ビルケナウ見学②≫
次に直ぐ近くにある『ビルケナウ強制収容所』へ見学に行った。
ここは、第二アウシュビッツで、1941年に造られた。
1.4k㎡の広大な場所に、300棟以上のバラックの収容施設が立ち並んでいたという。1945年に開放されるまで百数十万人が殺された場所だ。
「死の門」をくぐって入り、「死の門」の二階に上がると遠くまで見渡す事ができたが、鉄道の引込み線がかなり奥まで続いていた。毎日大勢のユダヤ人たちが、単なる隔離場所だと信じてここにやって来たのだ。
見学した建物は、床は土間、隙間だらけの薄い板壁で造られていて、入り口にストーブが1つあるが、ほとんど燃やされることがなかったらしい。
蚕棚状の木造簡易ベッドが並んでいたが、1箇所に2人寝ていたという。
冬場はー10℃を越える寒さになる所で、薄いボロボロの衣服を着て、劣悪な食事を与えられていた。
寒さに耐えられずに死亡する人が多く、仲間の遺体は凍土を掘って埋められた。
馬屋だった棟を『公共トイレ』にして使っていた所を見学した。
現地ガイドの話では、トイレの使用時間は決まっていたという。また溜まった汚物を処理する係りはユダヤ人だったが、場所が場所だけにナチスが監督に来ることはほとんど無かったので、ここは最も安全な良い仕事場だったと聞いた。
半世紀前に実際にユダヤ人の絶滅作戦が行われた場所に立っていると思うと、何とも言えない重たい気持ちになった。
世界中から見学者が来ていて、若い人たちも多かった。彼らにはここで見たことを忘れず、今後の世界の歴史を作って欲しいと願うのみだった。
そして私達は、戦争を決して起こさず、人種差別をせず、自由と平和が守られる民主主義社会を守り続けることの大切さを確信した。
同時に、第二次世界大戦で、日本はナチスドイツと同盟を結んで戦ったことを反省する必要があるとも思った。
(元総理大臣が、「日本政府は、国民が知らない内に憲法改正をしたヒットラーのやり方を学んだら良い。」と発言したことを思い出す。全く世界に恥ずべき考え方だし、主権在民の日本国憲法を否定しているとしか言わざるを得ない。)