≪ワルシャワ市内観光③≫
昼食を食べにレストランに向かったが、たまたま近所に1903年、ノーベル物理学賞を夫と共に受賞した「キューリー夫人」の生家があった。
今は『キューリー夫人博物館』として公開されていた。入り口に「マリア・スクウォドフスカ」博物館という名前が表記されていた。
彼女はこの家で1867年、中学教師の末娘として生まれ、苦学をしてパリのソルボンヌ大学を卒業。卒業後、フランス人科学者ピエール・キューリーと結婚し、夫婦で研究をしてラジウムなどの放射性元素を発見したのだった。
しかし、研究によって白血病になり、1934年66歳で死去した。
昼食後は、『ショパンの生家』を見に行くオプショナルがあったが、私は個人でショパンゆかりの場所と美術館を尋ねることにしていた。ツアーのグループの女性が2人、同行させて欲しいと言うので一緒に行った。
先ず行ったのは、ショパンの心臓が保存されている『聖十字架教会』だ。この心臓はショパンに最初にピアノを教えた姉「ルドヴィカ」が、こっそりとパリからワルシャワに運んだ物だ。しっかりと内部を見て来たくて、再び訪れた。
中に人はほとんど居なかったので、しっかりと見て、正面の祭壇と心臓が埋められている柱の写真を撮って来た。心臓は下の壷の奥らしい。
次にショパンが主席で卒業した『ワルシャワ音楽院』(今はワルシャワ大学)の校門から中に入り、少しだけ雰囲気を味わった。
この大学の一部にショパンの家族は住んでいたこともあるらしい。
大学の近所にショパンがワルシャワにいる間、日曜ミサでパイプオルガンを弾いていた『ヴィジトキ教会』があった。中に入り、祭壇とパイプオルガンの写真を撮った。
こじんまりとした教会だったが、オルガンを下から見上げて、ショパンがそこでオルガンを弾いている姿を想像した。そこにいる時間は短かったが、ショパンの作品が好きな私にとってとても貴重な時間に思えた。
≪ワルシャワ市内観光②≫
『聖十字架教会』『ポーランド科学アカデミー』から『クラフク郊外通り』を北に数百m歩いて行くと『旧王宮』(写真右の建物)と『王宮広場』に出た。
そこには1596年に首都をクラクフからワルシャワに移した『ジグムント三世の碑』が広場を見下ろすように聳えていた。
『旧市街』は、レンガの塀で円形に囲んだ要塞『バルバカン』となっていて、今でも部分的に当時の姿が保存されていた。(写真左の塀)
『旧王宮』は、王の住居だった他、時代によって国会、大統領執務室、士官学校、国立劇場が置かれた所だ。
第二次世界大戦で破壊されたが、その前に貴重な調度品は国外に持ち出されて難を逃れたという。
5~9月は内部を見学することができるが、10~4月は公開されないのでこれも残念だった。
続いて『旧王宮』の北側直ぐ傍の『旧市街広場』まで歩いた。
ここは第二次世界大戦で多くの家屋が破壊消失されたところだが、戦後、市民総出で崩れたレンガや石材に番号をつけて積みなおし、長い時間をかけて以前の町並みを復旧再現したところだと、ガイドが看板の写真を示して説明してくれた。
日本なら壊れた建物は直ぐに取り壊して新築する所だが、ポーランドの人達は歴史的な町並みに強い愛着を持っているのだと感心した。
広場では画家が町並みを描いた作品を並べて売っていた。
路地に入ると『バルバカン』に沿ってワルシャワの風景画を描く人や木の彫刻をしながらできた作品を並べている人など、そこにも市民の生活を感じた。