花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「メキシコ」の旅(5)

2014年11月21日 | 海外旅行「中米」コスタリカ・メキシコ
≪世界遺産「メキシコシティ歴史地区」②≫

「ソカロ」の傍に「テンプロ・マヨール」という遺跡があった。
この遺跡は1913年に地下に行く階段が発見されたのに続き、1979年にはアステカ神話の「月の神の石像」が発見されたのを契機に発掘された遺跡だった。
発掘が進むに連れ、「赤い神殿」や生贄を乗せたらしい「チャーク・モール」の石造や「蛇頭像」などが発見された。

結局、かって湖に浮かんでいた島に作られたアステカ帝国の首都「テノチティトラン」の「中央神殿」だったことが分かったという。
スペインが侵略して来てから湖の水を抜き、「中央神殿」の上に次々と建物を建てたのだ。
今建造物が建っている所は、湿地帯で地盤が弱い場所なため、道路、建物の多くがかなり不規則に沈下して傾斜していた。

現在「テンプロ・マヨール」は、かなり発掘されて保存され、市民は無料で遺跡に入場できるようになっていたが、私達は入場する時間が無かったのが残念だった。ツアーで行くと、自分が入場したい場所でもままならない所が恨めしい。
田中さんは「アステカ帝国4代目の皇帝が、スペインが侵略して来た時に黄金を渡すまいと隠したと言われるが、未だ黄金は見つかっていない。」と説明し、「スペインが湖の水を抜いたのは、底に黄金があるかも知れないと考えたのだろう。」とも言っていた。





田中さんは、「「テンプロ・マヨール」はまだ発掘が進められているが、「アステカ時代」の「中央神殿」のさらに下から「マヤ時代」の遺跡が見つかるかも知れない。何故ならこの地に興った文明は、次々と建物を積み重ねて造るという特徴があるからです。」と話していた。しかし、周りは既に住宅街になっているため、発掘は思うようには進まないだろう。


(遺跡の傍で、警備や事件のために待機している大勢の警察官たち。女性警察官も数人いた。)

次に「ソカロ」の一画に立つ「カテドラル」の中を見学した。カメラのフラッシュ撮影は禁止されていた。
この教会はスペインがアステカ帝国を滅ぼした4年後の1525年に着工し、1681年にバロック様式で完成したものであり、メキシコのカトリック教の主座となっている。
祭壇などには金が贅沢に使われているが、スペインの支配権力を今に伝えていると思った。




(黒いキリスト像について田中さんは、「皆さんが信じるかどうかは別にして、昔信者の一人が毒を盛られたが、その毒を吸って少しずつ黒くなったと信じられています。」と話した)


コメント
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