花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「メキシコ」の旅(8)

2014年11月24日 | 海外旅行「中米」コスタリカ・メキシコ
≪世界遺産「ソチカルコ遺跡」≫

この遺跡は1770年に「クエルバカ」の丘の上に造られているのが発見され、1999年に世界遺産に指定された丘の上の要塞都市である。
研究によると「テオティワカン」が衰退した後の紀元700~900年に繁栄した「ナワ文明」の「巡礼センター」として造られた様である。
遺跡は707haという広大な面積に造られていて、まだ10%しか発掘されていないそうだ。






この遺跡のレリーフには、羽毛のある蛇「ケツアルコトル神」が描かれている。



他の遺跡にも見られたゴムのボールを蹴って穴に入れる「球技場」が造られていた。



また、洞窟風の「天文台」があり、そこには1.1度北に傾斜した長さ80cmの吹き抜け穴が作られていて、入り口の看板にある様に、毎年4月30日から8月13日までの期間、太陽光が差し込み、地面を照らす仕掛けになっていて、天文学の研究会を行っていたとも考えられている。
私達も「天文台」の内部に入ったが、洞窟の中は真っ暗で、「吹き抜け穴」はかなり奥まった所の低い天井にあった。
天文学者たちは、雨期の到来時期や農耕の開始時期を研究していたと思われている。



 

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「メキシコ」の旅(7)

2014年11月24日 | 海外旅行「中米」コスタリカ・メキシコ
≪世界遺産「テオティワカン」≫

首都から50km北にあり、紀元前2世紀頃に栄えた民族が建造した巨大な宗教都市が「テオティワカン」である。
紀元8世紀頃、この遺跡を造った「テオティワカン人」は何処かに行ってしまったが、その行方はまだ解明されていないのだ。
(後の900年頃現れた「トルティカ民族」が「神が集う場所」の意味を示す「テオティワカン」と名づけた)

最盛期は人口20万人の農耕民族がこの都市に集っていたと考えられている。最高地位の神官の下に軍人、商人、職人と区分けられた住居があった。
彼らは太陽と月を崇め、「太陽のピラミッド」「月のピラミッド」「死者の道」を造り、天文学に秀でていたと考えられる。
以前は石の表面に漆喰が塗ってあり、色づけされていたという。

①「太陽のピラミッド」
四角錐の底辺1辺は225m、高さは65mあり、世界で3番目の大きさである。年2回太陽が真上に来る。また頂上にはかって神殿があったらしい。
階段は全部で248段あるが、け上げが高く傾斜は急である。





上に上ると心地良い風が吹いていて、周囲の景色、特に右手500m程の所に立つ「月のピラミッド」が美しく見えた。



また左手900m程の位置には、「ケツァルコアトルの神殿」が見えたが、距離があるので私は見に行かなかった。



ピラミッドの頂上は、緩い球形になっていた。かってはここに神殿があったと思われている。
また、下る途中で修理をしていた人が二人いた。写真を撮らせてくれたので、飴を上げた。

  

②「月のピラミッド」
底辺150m×130m、高さ42mで350年頃造られたらしい。この神殿前には「月の広場」があり、色々な宗教行事が行われたらしい。
今回は工事が行われていて、1段目までしか登れなかった。



北にある「月のピラミッド」前から南に真っ直ぐ造られた約2kmの道が「死者の道」だ。右手遠くに「太陽のピラミッド」が見える。


③「ケツァルパパロトルの宮殿」
「月のピラミッド」で祭事を行う神官の住居だったという。「ケツァルパパロトル」とは、彼らが信仰していた鳥だが、そのレリーフも壁の上部に描かれていた。
当時は屋根が木で葺かれていただろうと想像して屋根を葺いた部屋もあり、そこの修復はほぼ完全に終了していた。





 


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