花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「メキシコ」の旅(9)

2014年11月26日 | 海外旅行「中米」コスタリカ・メキシコ
≪「メリダ」市内観光≫

3日目の観光の後、「メキシコシティ」21;50発の国内線飛行機で西方に900km離れたユカタン州の州都「メリダ」に移動した。「メリダ」には23;46に到着したが、ホテルに着くと午前1時近くになっていた。

4日目は「メリダ」は人口72万人の町だ。ユカタン州にはマヤの遺跡が沢山ある。
市内観光を午前中に終え、午後は「マヤ遺跡」を2箇所観光した。

①野口英世像

最初に行った所は、かって「オーラン病院」だったという建物の入り口に立っていた「野口英世像」だった。この町で、一番知られている日本人が「野口英世」だという。
ネットで調べると彼は1919年から1920年にかけて3ヶ月間、黄熱病の研究のために「オーラン病院」に滞在したというのだ。
その銅像は昭和36年に病院から要請された「玉川学園」の創設者、小原氏が、礼拝の献金を集めて造り、メキシコ大使に手渡したものだという。その後の長い年月で傷んだ像を修復するのも学園がしたそうだ。
研究半ばの1928年5月に黄熱病にかかりアフリカのガーナで51歳で亡くなった彼が、メキシコにも足跡を残していたことを初めて知ったのだった
        

②市場を見学

遠いメキシコから日本にも色々な野菜が輸入されているが、市場には新鮮な野菜や肉類、「タコス」の皮「トルティ-ジャ」、菓子パンなどが屋台に並べられて、素朴な売り方で売られていた。皮を剥いてすぐに食べられるようにした果物がビニール袋で売られていたのが珍しかった。

 

 

 

③「カテドラル」「モンテホの家」

メリダは、1542年、スペインの「モンテホ」が率いる軍に占領されて以来、ユカタン半島の侵略基地、カトリック布教のための基地になった。
夕方再び町を訪れた際に写したものだ。「モンテホの家」は、1549年に建てられた最古の家である。

 

「カテドラル」はユカタン半島最大の規模だという。内部は簡素な造りだったが、正面のキリスト像は茶色で、メキシコ人を配慮したものと思われた。

 

5時15分頃、傍の「州庁舎」に行き、内部に展示されている沢山の壁画を見た。
二階に上がる階段の途中に「トウモロコシから生まれたマヤ人」の大きな絵があった。
二階にあった多くの絵は、メキシコの苦難に満ちた植民化の歴史と独立闘争を描いている様に見えた。この国の人たちは、遠い先祖が受けた過酷な歴史を、描くことによって忘れないようにしていた。

 

暮れかかる夕方の大通りを写した。

     
コメント
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