≪世界遺産「チチェン・イツァー遺跡」②≫
①「ククルカン神殿」
「新チチェン・イツァー」の最大の遺跡は、やはり「ククルカン神殿(エルカステージョ)」だろう。
「ククルカン」は「羽毛の蛇」を表し、「エルカステージョ」はスペイン語で「城」の意味である。
9世紀に造られたこの神殿は、1辺が55.3m、高さが24m(上の神殿の高さは6m)もあり、基壇は9段ある。
階段は他の遺跡と異なり、4つの面の全てにあって、それぞれ91段ある。91×4=364となり、上の1段を足すと365段になる。1年365日と一致している。
9段の基壇が中央で2分されるので、9×2=18となり、1年が18ヶ月に分かれていた「ハアブ暦(マヤの暦)」の月数と一致する。
他にも1面に凹み部分が52あり、これにも意味があるという。
※「ウィキペディア」で調べたら、マヤには「日」「月」「年」の神がいる。「月」の神は18あり、1つの「月」の神が支配の座に着くのは20日間である。20日×18=360日となり、それに不吉の日「ウェヤブ」の5日間を足すと1年=365日と考えたという。
さらに北側階段にある蛇頭は、年に春分と秋分の2回、太陽が沈む時に真西から光が当たると基壇の陰が階段に現れて、あたかも「ククルカン」の胴体の様になり、太陽の動きと同時に「ククルカン」が動くように見える。この現象を「ククルカンの降臨」と言っている。このように「ククルカン神殿」は巧妙に設計されているのだった。
この日は気温が35度近くあり、午前10時半には強い太陽光が神殿を照らしていた。現地ガイドが私達に、「神殿を見ながら、ゆっくりと神殿の西から北に回り込むように歩くように」と案内した。本当に影ができ、それが動くのだった。
残念ながら、この神殿には上ることはできなかった。
②「ジャガーと鷹の台座」
③「頭蓋骨の台座」
この台座の上には、実際に頭蓋骨が並べられていたと考えられている。
④「ジャガーの神殿」
⑤「球戯場」
かなり規模が大きい球戯場だが、両方の壁が内側に傾けて造られているため、声や音が反響して良く聞こえた。係りの人が手をたたくと、その音が大きく反響するのが確認できた。
球技は手を使わずに上腕と足、腰で硬いゴムの玉を壁中央の上部に設けた穴(写真で分かるだろうか)に入れるというものだ。競技で優勝した者が生贄に選ばれたらしい。なぜなら「太陽」は、毎日の栄養に強い人間の心臓の血を欲したと考えていたからだという。優勝者は名誉の生贄になったらしいが、思っただけでゾッとする。何故儀式を行う「神官」たち自らが、率先して生贄にならなかったのかと思うのは私だけだろうか。
⑥「戦士の神殿」
石柱が林立し上部に空を仰ぐ「チャーク・モール」が設置されている。これに生贄の心臓を捧げたのだ。この神殿も立ち入りが禁止されていた。
⑦生贄の泉「セノーテ」
遺跡群から北北西に100m程の所に生贄の泉「セノーテ」があった。調査した所、湖底から多くの人骨と財宝などが出て来たらしい。
ガイドに聞くと子どもの骨が多かったという。理由は、子どもが泣き叫びながら涙を流すので「雨乞い」のためには適すると考えたのだろうと言っていた。他の「セノーテ」からは女性や男性の人骨も多く見つかっているらしい。
ガイドが「チチェン・イツァー遺跡」は、世界の7不思議(他は「マチュピチュ」「万里の長城」「ブラジルの大キリスト像」「タージマハール」「コロッセオ」「ペトラ遺跡」)の一つに数えられている」と話した事が、分かった様に思った。
「セノーテ」に行く道の両側に、土産物を並べた屋台が幾つも並んでいた。彼らは朝、商品を並べて、夜は片付けるのだそうだ。
「セノーテ」には、水を求める植物の根が長く伸びて垂れ下がっていた。
また、木彫りをしながら店番をしている男性も何人もいた。技術があれば、仕入れるよりも利益になるのだろう。私はTシャツの店で、記念のシャツを買った。
①「ククルカン神殿」
「新チチェン・イツァー」の最大の遺跡は、やはり「ククルカン神殿(エルカステージョ)」だろう。
「ククルカン」は「羽毛の蛇」を表し、「エルカステージョ」はスペイン語で「城」の意味である。
9世紀に造られたこの神殿は、1辺が55.3m、高さが24m(上の神殿の高さは6m)もあり、基壇は9段ある。
階段は他の遺跡と異なり、4つの面の全てにあって、それぞれ91段ある。91×4=364となり、上の1段を足すと365段になる。1年365日と一致している。
9段の基壇が中央で2分されるので、9×2=18となり、1年が18ヶ月に分かれていた「ハアブ暦(マヤの暦)」の月数と一致する。
他にも1面に凹み部分が52あり、これにも意味があるという。
※「ウィキペディア」で調べたら、マヤには「日」「月」「年」の神がいる。「月」の神は18あり、1つの「月」の神が支配の座に着くのは20日間である。20日×18=360日となり、それに不吉の日「ウェヤブ」の5日間を足すと1年=365日と考えたという。
さらに北側階段にある蛇頭は、年に春分と秋分の2回、太陽が沈む時に真西から光が当たると基壇の陰が階段に現れて、あたかも「ククルカン」の胴体の様になり、太陽の動きと同時に「ククルカン」が動くように見える。この現象を「ククルカンの降臨」と言っている。このように「ククルカン神殿」は巧妙に設計されているのだった。
この日は気温が35度近くあり、午前10時半には強い太陽光が神殿を照らしていた。現地ガイドが私達に、「神殿を見ながら、ゆっくりと神殿の西から北に回り込むように歩くように」と案内した。本当に影ができ、それが動くのだった。
残念ながら、この神殿には上ることはできなかった。
②「ジャガーと鷹の台座」
③「頭蓋骨の台座」
この台座の上には、実際に頭蓋骨が並べられていたと考えられている。
④「ジャガーの神殿」
⑤「球戯場」
かなり規模が大きい球戯場だが、両方の壁が内側に傾けて造られているため、声や音が反響して良く聞こえた。係りの人が手をたたくと、その音が大きく反響するのが確認できた。
球技は手を使わずに上腕と足、腰で硬いゴムの玉を壁中央の上部に設けた穴(写真で分かるだろうか)に入れるというものだ。競技で優勝した者が生贄に選ばれたらしい。なぜなら「太陽」は、毎日の栄養に強い人間の心臓の血を欲したと考えていたからだという。優勝者は名誉の生贄になったらしいが、思っただけでゾッとする。何故儀式を行う「神官」たち自らが、率先して生贄にならなかったのかと思うのは私だけだろうか。
⑥「戦士の神殿」
石柱が林立し上部に空を仰ぐ「チャーク・モール」が設置されている。これに生贄の心臓を捧げたのだ。この神殿も立ち入りが禁止されていた。
⑦生贄の泉「セノーテ」
遺跡群から北北西に100m程の所に生贄の泉「セノーテ」があった。調査した所、湖底から多くの人骨と財宝などが出て来たらしい。
ガイドに聞くと子どもの骨が多かったという。理由は、子どもが泣き叫びながら涙を流すので「雨乞い」のためには適すると考えたのだろうと言っていた。他の「セノーテ」からは女性や男性の人骨も多く見つかっているらしい。
ガイドが「チチェン・イツァー遺跡」は、世界の7不思議(他は「マチュピチュ」「万里の長城」「ブラジルの大キリスト像」「タージマハール」「コロッセオ」「ペトラ遺跡」)の一つに数えられている」と話した事が、分かった様に思った。
「セノーテ」に行く道の両側に、土産物を並べた屋台が幾つも並んでいた。彼らは朝、商品を並べて、夜は片付けるのだそうだ。
「セノーテ」には、水を求める植物の根が長く伸びて垂れ下がっていた。
また、木彫りをしながら店番をしている男性も何人もいた。技術があれば、仕入れるよりも利益になるのだろう。私はTシャツの店で、記念のシャツを買った。