花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「イラン」の旅(2)

2015年10月14日 | 海外旅行「中近東Ⅰ」イラン
≪「イラン」は安全だった≫

正味6日間のイランの旅から帰国した。
行く前に若干の安全性に対する不安を抱いたし、旅行中、近隣国「トルコ」で自爆テロが起きたと知って、家族などは心配しているのでは無かろうかと案じたが、イランは全く安全な国だった。(勿論、幾つもの国と国境を接しているので、外務省の危険情報では国境近辺は注意する様にとされている)

それに何処に行ってもゴミはほとんど落ちていないし、ヨーロッパやアジア、アフリカで見かける乞食や浮浪者の様な人にも会わなかった。
ただ(1)にも書いたが、厳格な「イスラム教」の国家なので、イランの女性には自宅、あるいは旅行者ならホテルの自室以外は常時「スカーフ」と、体の線を隠す「腰までの上着」の着用が義務付けられていたのが何とも暑苦しくて不愉快だった。
気温は10月でも33~35℃あったので、私が持参した薄手の木綿の「スカーフ」は、ホテルの自室で取ると、毎日汗で湿っていた。
イランの女性は、45℃以上になる夏も「髪の毛1本出さずに」黒いスカーフを被り、おまけに黒い「チャドル」という足首まである外套を着ている女性も多く、それも見ると吸湿性が無いポリエステルの繊維でできている様だった。


 (バスの中から「テヘラン」の街角を写す)

また、「アルコール」は売られていないばかりか、国外からの持ち込み、ホテルの自室内飲酒も禁じられていたので、レストランでは皆「ノンアルコールビール」を注文していた。面白い事にレモン味などの種類が色々あったようだ。
現地ガイド氏の話に拠ると、外国人に対しては規制を緩くしようという動きもあるらしい。

それに首都「テヘラン」や「シラーズ」「イスファハン」などの都市では、交通事情が最悪だった。
車両が過密状態なのに信号機が少ない。バイクも車を縫うように近接で走る。おまけに運転手のほとんどはヘルメットを被っていない。
歩行者が道路を横断する時は、バンバン車が走っている道路に踏み出して車に止まって貰うのだから命がけなのだ。
おまけに排出ガスによる大気汚染が酷いのだ。
ガイド氏は、「曜日によって、偶数ナンバーの車は市内の乗り入れができないなどと規制をしているが、自動車会社の製造販売を野放しにしているし、駐車場を作らないので路上駐車が多いのが原因です。」と話していた。

   
    (「テヘラン市内」でバスの中から写す)

12日夜に新千歳空港に着いた時、機内アナウンスで「気温は8℃です。」とあった。
外に出たらブルッと震える様な寒さを感じ、慌ててリュックからカーデガンを出して着込んだ。自宅に戻って室内温度計を見たら16℃だった。
昨日の朝の気温は6℃、今朝は2℃。イランとの温度差が余りにも大きいので、風邪を引かないように注意している。

そんな中だが、旅行中2日間暴風雨に見舞われたそうで、薔薇の花がちぎれたり支えが倒れたりしていたので、昨日は午前中4時間、今日は2時間半、庭仕事をした。
また、昨日、伯母に会いに行ったが、寂しかったらしく私の手を握って離そうとしない。
それと、今までの伯母の部屋にちょっとした難点があったので「部屋が空いたら移動させて欲しい」と頼んであったのだが、旅行中に希望通りの部屋に引越ししていた。
帰りには伯母の9日分の洗濯物を預かり、今朝、洗濯した。

これからは庭や農園の冬支度もあって結構忙しいけれど、時間を見て「イラン」の旅日記を書こうと思う。