花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「イラン」の旅(12)

2015年10月28日 | 海外旅行「中近東Ⅰ」イラン

昨日は、予定通り庭仕事を5時間程した後、伐採処分したツツジなどの木を処分場に運んだ。
日没時刻が4時半と早くなったので、帰宅したら暗くなっていた。昨夜は腰が痛んだので湿布をして寝た。
今朝は昨夜からの雨がまだ続いていて、7時半だというのに暗い。
午後からは急速に気温が下がるそうだが、庭仕事ができるだろうか。


≪「ヤズド」の市内観光≫

昨日、バスの中でガイド氏が話してくれたのは「ヤズド」の町についてだ。
「ヤズド」を西洋人として初めて訪れたのは「マルコポーロ」だったという。
この町は犯罪が少なく治安が安定している。また「ペルシャ猫」を世界に広めた町だそうだ。
山岳地帯にあるこの町は、気温が高く、林檎やオレンジ、柑橘類の木が沢山育てられている。
ピスタチオ、ナツメヤシ、バムも沢山採れる。
スイカは、ペルシャ湾地域で4月に取れ始めてから徐々に産地が北に移動するのを食べている。
冬は外国から輸入するパインやバナナも食べる。
一番の心配は、地下水が減って来て、今は200mもの深さに掘らないと水脈が無いことだという。
付近の山の土には鉄分が多く含まれるので、レンガはピンク色のものが多いそうだ。

①「ジャーメモスク」

14~15世紀に建てられた町のシンボルの寺院だ。礼拝の誘いに使う2本の「メナーレ」は、500年間維持されていて、イランで最も高く天に伸びている。
入り口やドーム内部のモザイクタイルの装飾は素晴らしかった。

           



また、メッカの方向にある「メフラーブ」には、左右に狭い通路に通じる入り口があり、祈りの後、信者の相談事に応じていた。

 

②「ゾロアスター教徒の墓場・沈黙の塔」

「ゾロアスター教」は、古代ペルシャを起源とする宗教で、紀元前6世紀に「アケメネス朝ペルシャ」が成立した時の王家や王国のより所となった。教祖は「ゾロアスター」、経典は「アヴェスター」である。
紀元前3世紀の「アルサケス朝」でも信仰は継続され、紀元3世紀の「サーサーン朝」では国教となった。その後、ペルシャ商人の交易の広がりと共に中央アジアや中国に伝えられたという。
7世紀の後半以降、「イスラーム」が台頭すると「ゾロアスター教」は衰退し、インドで盛んになった。

「ゾロアスター教」は光(善)の象徴の「火」を尊ぶので「拝火教」ともいわれる。
寺院内には偶像はなく、信者は守っている火に向かって礼拝をするそうだ。
火と同様に水、土、空気も神聖なものだと考える。

そこで死者の葬送は、神聖なものを汚さない「鳥葬(風葬)」を行う。
遺体は野山に放置して風化、または鳥がついばむのに任せるのだ。

やがて「サーサーン朝」が「イスラーム」を迎えると、布教により短時間で広がり、同時に「ゾロアスター教」の信徒は迫害されて行った。そのため「イスラーム」への改宗が増えた。
10世紀には「イラン」を脱出した信徒がインドのグジャラート州に行ったりして、今ではパキスタン、北米、ヨーロッパ、オーストラリアにも信徒がいるが、信徒の子どもでなければ入信を許可していないらしい。

「イラン」では1930年代に「鳥葬」が禁じられ、「イスラーム教」と同じ「土葬」になっているという。
従ってこの施設は、80年ほど前からは使われていない。
山の下の施設は、死者と別れや法事をした施設だ。施設の一つでガイド氏の説明を聞いてから、高さ50m位の山を登り、土壁の中に立った。屋根が無いこの場所に沢山の遺体があったのかと想像した。貴重な体験だった。



       



 

③「ゾロアスター寺院」

「ヤズド」には幾つかの「ゾロアスター寺院」があるらしいが、信徒以外にも公開しているのがこの寺院だそうだ。
入り口の上にはマークが掲げられ、中には大切な「聖火」が燃え続けていた。ガラスケースに入っているので、写真は反射してしまった。
その後ろに「祭壇」があった。人ではなく人形が守っていた。



 

バスで市街に入ると、夏には50度を越える日もあるというこの地の屋根には、「風採り塔(バードギール)」が建ち並んでいた。
屋内の熱気を放出すると、地下室からの自然の冷気が室内に上がって来て涼しくなる自然換気装置だった。

コメント
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