花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「イラン」の旅(15)

2015年10月31日 | 海外旅行「中近東Ⅰ」イラン

「近所の女性の庭に行く」

一昨日庭仕事をしていたら、子犬を連れた女性から声をかけられた。庭の薔薇が咲かないという。聞くと直ぐ近くの方だったので,
着いて行って見た。
庭に2本の薔薇の木が立っていた。7月に咲いてから種ができたのだろう。大きい種が3個そのまま付いていた。
私から「花が咲き終わったら、花殻を切ると良いです。そのままにしていたら種ができて、次の蕾ができなくなりますから。」と言うと、「毎年2~3個しか咲かないので、大切にしていたんですよ。」と言う。
剪定バサミを持参していたので、彼女の前で剪定して見せた。
最後に「私は今、薔薇が元気に冬越しできるように、根元に堆肥を施しているんです。」と言うと、彼女も堆肥を買って来て置いて置くと言う。そして「これからも教えて下さい。」と頼まれた。
「来年は沢山花を咲かせましょうね。」と言って別れた。

≪世界遺産「エスファハーン」観光≫(3)

⑥「エマーム広場(ナグシェ・ジャハーン広場))」

この広場も「アッパース一世」が都市計画で立案し、1598年に造成し始め、南北512m、東西159mの長方形の広場が完成するまで数十年かかったという。「ナグシェ・ジャハーン」とは「全世界の図」という意味。
広場の周囲には「アーリー・ガープー宮殿」や世界遺産「マスジュデ・エマーム(王の寺院)」などがある。「エスファハーンは世界の半分」と言われて来たのは、壮大でオープンな美術館、博物館の様相がこの広場にあるからだと言われている。




 (広場東側中央に建つ「マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー」は王室専用の礼拝堂)  

⑦世界遺産「アーリー・ガープー宮殿」

広場の西側中央に位置するこの「アーリー・ガープー宮殿」は、7階建ての高層建築である。1~2階は「アッパース1世」、3~7階とバルコニーは「アッパース二世」の時代に造られ、「エマーム広場」で行われたポロの観戦を王はバルコニーから楽しんだそうだ。
私達は狭い階段を7階まで一気に上った。石段のけ上げの高さはまちまちで、中には35cmほどある所もあり苦労した。

 

7階は「音楽堂」として造られていて、狭いながらもドーム型の天井の造りが独特だった。漆喰が二重になっていて、表のには装飾性が高い楽器の模様の穴が開けられ、演奏時の音の吸収を調節していた。
階段を降りながらバルコニーに寄って、広場の景色を見た。



この「音楽堂」に一人の日本人青年が上がって来た。聞くと一人でトルコからイランを旅行しているという。
そして「昨日トルコでテロ事件があったらしい。」という話をしてくれた。トルコとは一部国境を接しているので、少し不安になった。詳しいことは帰国後に知った。

また今思えば、この宮殿の建物を写せなかったことを残念に思っている。

⑧世界遺産「マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー」

王室専用の礼拝堂はレバノンの説教師「シェイフ・ロトゥフォッラー」を迎えるために「アッパース一世」の命で400年前に建設された物だという。
中庭やメナーレが無い小規模なものだが、ドーム内部の繊細なモザイクタイルの美しさは特別だった。孔雀が羽を広げた模様を描いてあり、中央の小さな穴から差し込む光が孔雀の身体を表してくれるのだ。
王の妻達は、宮殿から特別な地下道を通って広場を横切り、礼拝堂に通ったそうだ。

 
(宮殿5階のバルコニーから広場の反対にある礼拝堂を臨んだ)

 

「エスファハーン」は実に多くの見所があった。最後に1時間半の自由時間があり、思い思いに散策や買い物をした。
私は広場に面した建物内にぎっしりと建ち並ぶ店や工房を見て歩き、一軒の菓子店で名物のピスタチオ入り飴「ギャズ」を買った。
最後に広場の周囲を歩いていたら、夕暮れが近く涼しくなって来た芝生の上でシートを敷いて寛ぐ黒づくめの10人ほどの女性グループに出会った。
近づくと菓子や豆を食べれと言う。「何処から来たか。」と聞かれたので「日本から。」と答えると、「どれ位の時間がかかったか。」「何日いるか。」など口々に聞き、塩味のカボチャの種を1袋くれた。
丁度ハンドバックに折り紙を持っていたので鶴を折って上げたら、数人の女性が欲しいと言う。時間が無いので、3人に作って渡した。
「写真を撮らせて欲しい。」と言われたので、お互いに写真を取り合ってから分かれた。
短時間だったが、日本文化を伝え、交流ができ、「エマーム広場」の思い出が増えた。

 (折って上げた折鶴を持って)