≪「テヘラン」市内観光≫(1)
昼食後、市内観光をした。観光客用のバスが走っていた。日本人は見かけなかったが、ヨーロッパ各国から来た観光客が大勢いた。
①世界遺産「ゴレスタン宮殿」
「ガージャール朝」が「テヘラン」を首都にしたのは1795年。この宮殿は1828年に建てられた煌びやかな宮殿で、伝統的なペルシャ建築と西洋建築が統合していた。ペルシャ式前庭には噴水が出る長方形の池が造られていたが、この時は水は無かった。
玉座がある中央の建物の内部には無数の鏡が貼り付けてあって、光を反射して眩いばかりだった。
長く続いた王制は、オイルマネーによる繁栄と専制政治が引き金になった「イスラーム革命」によって1979年に終結した。
②「イラン民俗学博物館」
「ゴレスタン宮殿」に隣接するこの博物館では、昔の人々の生活や民族ごとの服装などが展示されていた。(フラッシュ無しなら撮影できたが、ガラスケースに入っている場合は一部反射している)
(伝統的な暮らし方)
(臼で小麦をひく姑) (赤ちゃんを守する若い嫁)
(多民族国家なので、民族毎に服装に特徴がある)
③「イラン国立考古学博物館」
ここには紀元前6000年から19世紀までの歴史的に重要な発掘物や美術品が展示してあった。4日目に行った「ペルセポリス遺跡」から発掘された貴重な文物も集められていた。古代メソピタミア文明の遺物に興味が湧いた。
(ドーム型天井の博物館入り口) (ネアンデルタール人が最初に死者を渓谷に葬った)
(横向きに葬られている)
(土器の焼き方)
(紀元前13世紀~7世紀のエラム王国の遺跡から発見された牛の像。楔形文字が刻まれている)
(右図は紀元前550年~330年 「ペルセポリス」の様子を想像した図)
(謁見の間にあった「謁見図」の一部分。王は一段高く座り、大きく表現されている)
(「ペルセポリス」の「百柱の間」にあった「対になった牡牛の柱頭」)(足が揃っていないのは、生きていた人)
(1993年に塩抗で発見された3世紀のミイラ「ソルトマン」。塩漬け状態だったので、状態が良い)
昼食後、市内観光をした。観光客用のバスが走っていた。日本人は見かけなかったが、ヨーロッパ各国から来た観光客が大勢いた。
①世界遺産「ゴレスタン宮殿」
「ガージャール朝」が「テヘラン」を首都にしたのは1795年。この宮殿は1828年に建てられた煌びやかな宮殿で、伝統的なペルシャ建築と西洋建築が統合していた。ペルシャ式前庭には噴水が出る長方形の池が造られていたが、この時は水は無かった。
玉座がある中央の建物の内部には無数の鏡が貼り付けてあって、光を反射して眩いばかりだった。
長く続いた王制は、オイルマネーによる繁栄と専制政治が引き金になった「イスラーム革命」によって1979年に終結した。
②「イラン民俗学博物館」
「ゴレスタン宮殿」に隣接するこの博物館では、昔の人々の生活や民族ごとの服装などが展示されていた。(フラッシュ無しなら撮影できたが、ガラスケースに入っている場合は一部反射している)
(伝統的な暮らし方)
(臼で小麦をひく姑) (赤ちゃんを守する若い嫁)
(多民族国家なので、民族毎に服装に特徴がある)
③「イラン国立考古学博物館」
ここには紀元前6000年から19世紀までの歴史的に重要な発掘物や美術品が展示してあった。4日目に行った「ペルセポリス遺跡」から発掘された貴重な文物も集められていた。古代メソピタミア文明の遺物に興味が湧いた。
(ドーム型天井の博物館入り口) (ネアンデルタール人が最初に死者を渓谷に葬った)
(横向きに葬られている)
(土器の焼き方)
(紀元前13世紀~7世紀のエラム王国の遺跡から発見された牛の像。楔形文字が刻まれている)
(右図は紀元前550年~330年 「ペルセポリス」の様子を想像した図)
(謁見の間にあった「謁見図」の一部分。王は一段高く座り、大きく表現されている)
(「ペルセポリス」の「百柱の間」にあった「対になった牡牛の柱頭」)(足が揃っていないのは、生きていた人)
(1993年に塩抗で発見された3世紀のミイラ「ソルトマン」。塩漬け状態だったので、状態が良い)