《世界遺産「リーガ旧市街」の観光》(1)
「リトアニア」の「十字架の丘」観光後、バスはノンストップで国境を越えて、隣国「ラトビア」に入った。
そのままバスは首都「リーガ」を目指し、国境を越えてホテルに向かった。
先ずガイドブックを参考に「ラトビアの歴史」を概観する。
「リーガ」は、人口70万人を越えるバルト三国の中心的な町だ。この町が歴史に登場するのは、1201年に「ブレーメン」の僧正「アルベルト」が要塞を築いた事からだが、その際住民達には羊の皮1枚で囲める土地を要求し、同意を得ると、羊の皮を細長く切り、結局広大な土地を奪ったと伝えられているらしい。
その後、「帯剣騎士団」が作られ、リガはドイツのバルト三国覇権の本拠地になって行ったのだ。
そして13世紀は「ハンザ同盟」に加盟し、町は大きく発展を遂げた。13世紀末には、ラトビア全域が「ラトビア騎士団」に支配された。
16世紀に宗教改革が起きると、騎士団は弱体化し、ラトビアをポーランド・リトアニア連合国に譲渡してしまう。
1629年には、スエーデンが支配する様になったが、1710年には「ロシア」のピョートル大帝の支配下に入り、ロシアにとっての「ヨーロッパの窓」になって発展した。
1915年第一次世界大戦が始まると、1917年にはドイツ軍が侵攻し、全土を制服。翌年の11月、ドイツが敗北して、ソ連・ロシア軍が侵攻した。
1919年、全土をソ連から開放し、翌年、ソ連との平和条約を結んだ。
1920年には、農地改革、民主的憲法導入、国際連盟に加入した。
1934年、「ウルマニス」首相が独裁政権を敷く。
1939年、ソ連との間に「相互援助条約」を締結し、ソ連軍、ラトビアに駐留する。
1940年、ソ連軍、条約違反を理由にしてラトビアに侵攻し、傀儡政権を樹立後、ラトビアを併合する。その後、大量流刑が始まる。
1941年、ドイツ軍がバルト三国に侵攻し、ソ連軍撤退。
ドイツの占領下、9万人以上のユダヤ人が逮捕されて、強制収容所に送られる。
1944年、再びソ連軍ラトビアを占領する。1944年、「人民の敵」とされた数万人がシベリアに流刑される。
1991年、ラトビア「独立」。
この国も大国に挟まれた国として、大国の利益のために翻弄され続けた歴史があった。
4日目は、「リーガ旧市街」の観光だ。整備された町並みは、リトアニアの「ヴィリュニス」の雰囲気とは違って、経済的な力を感じた。
通りをバスで走りながら、写真を撮った。面白いデザインの像があった。
また、神戸市と姉妹都市という事で、神戸市が1993年5月に寄贈した時計塔があった。「リーガ」と「神戸」の二つの時刻を示す2つの時計がセットされている。
バスが旧市街の中心に行った所で、バスから降りた。
①「ユーゲントシュティール様式の建築群」
これらの建築群は、旧市街の一角、「アルベルタ通り」と「エルザベテス通り」の両側に建っていた。
サンクト・ペテルブルグの土木工科大学を卒業した「ミハイル・エイゼンシュテイン」(1867~1921年)が、19世紀後半から20世紀初めにかけてリーガで建てた建築群で、1997年に世界遺産に指定された。今は高級アパートやホテル、学校などとして使われている。それらをゆっくりと歩いて見学したが、そこだけ独特な雰囲気が漂っていた。
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