花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

海外旅行「フィリピンの旅」(8)

2016年02月03日 | 海外旅行「東南アジアⅠ」フィリピン・インドネシア

≪「セブ島」観光≫

3日目は5;45に起床して7時にはホテル前から「トライシクル」に乗り「オルモック港」に行った。
まだ暗い早朝にも関らず、ホテル前の公園では賑やかな曲を大きな音で鳴らしながらダンス風の体操をしていた。暑い国だから日の出前にするのだと思った。
港から出る高速船に乗って「レイテ島」の西側にある「セブ島」を目指した。3時間弱乗った船内は満席に近かった。
「セブ島」に着くと、和食レストランで昼食を食べてから観光をした。

ガイドの説明では、かって海の底にあったサンゴ礁が隆起してできた島が「セブ島」だという。岩だらけで山も多いため、植物が育ち難いという。
椰子油の産地として、華僑が訪れる交易の町だった。
1521年にスペインの「フェルディナンド・マゼラン」が上陸した事が、その後1556年からの「スペイン統治」のきっかけになった。(「マゼラン」は、マクタン島で戦闘中に死亡した)
その後は、宗教のカトリック化、生活や文化、教会他の建築様式など様々な面で「スペイン」の影響が強まった。「スペイン」の統治は「アメリカ」が入って来て、お金で「フィリピン」を買い取る1898年まで342年間続いた。

①「マゼラン・クロス」
ここは「フィリピン」の「フマボン王」と「ファナ王女」そして臣下が洗礼を受けて初めてキリスト教徒になった場所で「サント・ニーニョ教会」に隣接していた。
「マゼラン」が「セブ島」上陸に当たって建てた木の十字架が洗礼の様子を描いた天井画に描かれていた。
 

②「サント・ニーニョ教会」
1565年に建てられた「フィリピン」最古の教会である。「サント・ニーニョ」とは「幼きイエス・キリスト」という意味だそうだ。
その日は揃って礼拝をする日らしく、教会や「マゼラン・クロス」の周りは敬虔な信者達でごった返していた。教会からはバック音楽と礼拝の言葉が大音響で流されていた。
私達が教会の中を見学して出て来たら、10歳前後の女児が手を差し出して付いて来た。誰もお金は上げなかった。私は菓子や飴を持っていたら上げたのにと思った。
 
       

 

③「サン・ペドロ要塞」
外敵の侵入を防ぐために海岸に建設された「フィリピン」最古の要塞だという。1565年に木造で建造が始り、1738年に堅牢な珊瑚石で改修されたらしい。
要塞の上部から見た「セブ島」の町は、「マニラ」第二の町に見えた。
また上部には、日本軍が置いたという「大砲」が、町に向けて設置してあった。


 
併設されている博物館には、古い「マゼラン」の似顔絵や1521年4月14日に「マゼラン・クロス」を上陸後初めて建てた当時の様子が描かれていた。
 

観光を終えて、「フィリピン料理」の夕食に向かった。ウエートレスの着ていたブラウスのデザイン、特に盛り上げた袖が独特だったので聞いて見た。 「イメルダファッション」だと教えてくれた。

また、舞台でピアニカとギターで演奏する中年の男性は、二人とも盲目らしかった。日本の曲をリクエストしたら、2曲ほど演奏してくれた。
翌々日も飛行場の待合室でもっと若い4人組の盲人演奏家が演奏していた。その案内役は足が悪い男性だった。
ガイドに聞くと、障害者の雇用を国で促進しているのだという。日本では空港の待合室などという閉鎖された場所では絶対に見られない光景なので、とても良いなと思った。勿論私は前の箱にチップを入れたが、演奏中、何人もの人達、中には子どももがチップを入れていた。
その日はセブ島のホテルに行って泊まった。
 




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