花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

海外旅行「フィリピンの旅」(6)

2016年02月01日 | 海外旅行「東南アジアⅠ」フィリピン・インドネシア

≪「レイテ島」観光≫(1)

旅の2日目は、北部「ルソン島」の「マニラ」から南部にある「レイテ島」の「タクロバン」まで直線距離で600km余りを航空機で向かう予定で、私達はホテルをバスで6;20に出て8;20の国内線航空機に乗り込んだ。
この際、大きいスーツケースはホテルに預け、3泊4日の島巡りに必要な荷物だけを持参するように言われていたので、私はリュックサック、ショルダーバックの他に中位の手提げバッグを持った。
この航空機は混んでいたが、1時間25分の飛行時間で「タクロバン」に到着した。

「タクロバン」は人口18万人の都市で、木材の積出し港として栄えて来たが、2013年11月8日台風30号に直撃され、多くの犠牲者(死者3637人行方不明者1186人)を出し、その時「タクロバン」の町が壊滅状態になった事を記憶している方が多いと思う。
町の中心部に進むに連れ、台風の被害から立ち直ってない生活がなめこトタンとベニヤ板で作った住居に見て取れた。
 

          
途中の道路縁に台風で陸上まで流された船の先の部分が置かれていた。住民が再建材料として切り取って持ち去り、残ったのを展示する事にしたのだそうだ。

途中、バスは2回の検問を受けた。入り込んで欲しくない車輌をストップさせるためだそうだ。警察官の中に女性もいた。


          
「レイテ島」は、第二次世界大戦中、大勢の日本軍が侵略、駐留し、最終的に米軍との激戦地となり、日本兵の多数が命を落した島でもある。
また、現地ガイドの話によると「イメルダ・マルコス」の出身地でもあるそうだ。(彼女は、その年の美人コンテストで優勝し、「マルコス大統領」と知り合い、結婚したらしい)

「中華料理」の昼食を採り、午後からレイテ島の「戦跡」を訪ねた。

①日本軍の「トーチカ」
「トーチカ」は、浜辺に残されていた。地面から2m程低い場所にレイテ島で取れる硬い珊瑚の石を積み重ね、コンクリートで補強した厚い壁の造りで、「トーチカ」の中には、兵隊が4~5人入れる広さがあった。浜辺に向けて機関銃を撃つ横長の穴が開いていた。


          



②「アルハンドルホテル」
島で最古のこのホテルは、旧日本軍も利用していたという。二階に登ると古い写真が沢山展示されている中に、日本兵の写真もあった。


 



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