花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「コソボ・マケドニア・アルバニア」の旅(12)

2015年03月23日 | 海外旅行「東ヨーロッパⅠ」ポーランド・コソボ,マケドニア,アルバニア

≪「アルバニア」観光≫③

ここで添乗員氏が解説した内容を紹介する。
『「アルバニア」の労働者の平均月収は200€(27,000円)程度と西欧の他国より低い。物価は安く、消費税は18%で内税である。隣国ギリシャから大勢の人が買い物にやって来る。
家1軒は200万円程で建つ。家の1階か2階は開放して、車庫、物置、洗濯物干し場などとして使用する。居住階の天井を低く建てる。車は中古車が多い。ガソリン価格は、日本とほぼ同額だ。日本とは1981年に国交を樹立した。』

昨年、「バルト三国」に行った時、高物価の「フィンランド」から家族全員でフェリーに乗って「エストニア」まで買い物に来る人達を見たが、「ギリシャ」人達も隣国「アルバニア」に買い物に来ることが理解できた。
また、労働者の平均月収は日本の1/10以下なのに、ガソリン代が日本と同じなら、車の燃料費は日本の10倍と物凄く高い計算になる訳で、私はそれでもよく車を持つ人がいるなと思った。

バスは、「ベラート」の「マンダリア地区」に向かった。
渓谷に入って川沿いを走っていると、途中に墓地があり、丁度葬式で墓地内に入る人々に出会った。墓地を見ると土葬らしかった。





この地区は「千の窓を持つ町」と言われているが、その報告は後にする。
バスは墓地の傍の急な坂道を上に登って行った。「ベラート城」の駐車場で下り、立て看板の前で「ベラート城」全体の説明を受けてから、門の中に入った。





この城の基礎は、紀元前4世紀に「アルバニア人」の祖先になる「イリリア人」が築いたもので、広大な面積の中に13世紀に建てられた42の教会と1417年から支配したオスマン朝時代のモスクとミナレットがある。
城壁内には民家もあって、生活している人がいた。水仙とアーモンドの木に花が咲き始めていた。


(古代ローマ帝国皇帝「コンスタンティヌス一世」の頭像(306~337年在位)があった。彼はローマを統一し、キリスト教を公認した)

(斜面に建つ三位一体教会)



(廃墟となっているモスクのミナレット)



最も奥にあった古いモスクの一部が展望台になっていて、眼下に「オスム川」と「ベラート」の町並みが見渡せた。


 
 
 
 
 
 
 

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