≪「マケドニア」観光≫①
「プリズレン」を出発してから3時間40分後にバスは「マケドニア」との国境管理事務所に着いた。
添乗員氏が全員のパスポートを「コソボ側管理事務所」に持って行った。30分後に出国印が押されたパスポートがバス内で待っていた私達に戻されて、崇高止めに下りていた竿が上がり、バスが出国した。
20m程進んだ所の「マケドニア側管理事務所」で、また添乗員氏がパスポートを回収し直して届けた。30分後に事務所の係官が1人バスに乗り込んで来て、パスポートの顔写真を確認しながら一人々々に戻して回った。そうしてようやくバスは「マケドニア」に入国した。
「マケドニア」は、道路の舗装が傷んでいたり、未舗装の道路が多かった。
ガイドブックで調べると、「マケドニア」は古代ギリシャ時代にそう呼ばれていた場所だが、1991年、旧ユーゴスラビアから独立した際、かってのマケドニア地方の一部分を含むギリシャが反対。1993年になってようやくEUに承認された国だ。
古代マケドニアは、紀元2~7年頃まで栄えた現在のギリシャ、ブルガリアを含む地域「アレクサンドロ大王」が活躍する王国だった。しかし146年には「ローマ帝国」の属州となった。
395年には「東ローマ帝国」の一部となったものの、9世紀後半には「ブルガリア帝国」が力をつけて来て支配した。
1018年、ブルガリア帝国が衰退すると、「ビザンツ帝国」の支配下に入った。
13世紀には北方の「セルビア王国」に支配されたが、1430年、オスマン帝国がバルカンに侵入して来て、「オスマン朝」の支配を受けた。以後1912年まで500年に渡ってオスマントルコの支配下に置かれた。
1912年「ブルガリア」「セルビア」「ギリシャ」がオスマン朝に戦線を布告して勝つと、「マケドニア」は3国に分割された。
その後1945年「ユーゴスラビア連邦人民共和国」を構成する1カ国となったが、1991年に「ユーゴスラビア」が解体すると「マケドニア」は住民投票で9割の賛成を得て独立したのだった。
途中で警察の検問に引っかかり、私達の国籍も運転手もアルバニア籍のバスは2回も止められた。その都度、運転手が下りていって話を聞いていた。15分程待っていたら、彼はお金を取りに戻って来た。何でも支払ったお金は警察個人の収入になるらしく、少しの事で言いがかりを付けられるのだと話してくれた。
そんな訳で予定より遅い時刻に人口80万人の首都「スコビエ」のホテルに、ようやく着いたのだった。
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