花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

《4》 研修で見たフランス

2007年02月23日 | 海外旅行「西ヨーロッパⅢ」フランス・ギリシャ
 当時、私が住んでいた町は、毎年、町民を2人ずつ、自己負担は少額で、残りを町が助成し、海外研修に派遣していました。(その年は、周辺町村から派遣された17人が集まり、グループを作って研修に出掛けました) これに私も応募し、11月の中旬にフランス、イギリス、ドイツ、スイス、オランダで、2週間研修する貴重な機会を得たのです。

 フランスのルーブル美術館では、日曜日の観覧が無料である事、また、世界的に貴重な美術品の大半が、ロープ一本張られることなく展示されていた事に驚きました。(ただし、何かあれば一斉に全部の扉が自動的に閉鎖される仕掛けになっていました。他の美術館の事情は解りませんでした)
 また、凱旋門とエッフェル塔の上に登って、パリの放射状の街作りを確認しました。
 
 フランスの学校事情はガイドの説明で知っただけです。
 当時の高校では、教師は生活指導教師と教科指導教師に別れていました。クラス担任は生活指導の責任が済めば帰宅します。
 日本と違って学校で部活動はありませんから、教師に指導の負担もありません。部活動は全て、社会教育として別な施設で指導されていました。
 ガイドの話では、フランスの文部省は、給料を高くするから全員の教師が、生活指導も教科指導もやって欲しいと教員組合に対して提案したのですが、組合は反対しているそうです。その後どうなったのかは知りませんが、考えさせられる話しでした。

 公的な学校の生徒達には日本の様な制服は無く、思い思いの服装と髪型、化粧やピアスも自由な様子で通学していました。ガイドの話では、極端にふさわしくない生徒には注意するとの事でした。

 夕方、ある社会教育施設を見学しました。便利の良い町の中心にあるビルの中でしたが、一般人に混じって若い学生らしき人も見えました。当時のパリでは柔道が人気だということでした。私達は、丁度活動していたエアロビクスを見学しました。
 
 パリ郊外のベルサイユ宮殿の見学では、余りに豪華な贅の限りを尽くした建物に、王侯貴族達の生活振りが想像できました。私は、だからやっぱり、必然的に、フランス革命が起きたのだろうと思いました。
 革命当時のフランスでは、広大な土地や建物を持っていた貴族や王侯達は納税を免れ、苦しい労働に明け暮れていた多くの農民と商工業者だけに税が課せられていたといいます。その税金も農作物が不作続きでも安くはならなかったのですから。

 その夜、夕食を終えてから仲間3人(一人は男性)で、シャンソンを聴きながらお酒が飲める「シャンソニエ」に行く事にしました。そこに行きたいと言い出したのは、シャンソンが好きな私でした。ガイドブックの地図を見ると、昼間行ったノートルダム大聖堂の近くでした。
 ある建物にその店の入り口を見つけて入って行くと、階段を下りた地下に案内されたのです。そこは天井がむき出しのコンクリートで、低いドーム状に作られている30㎡位の狭い場所でした。粗末な木製の椅子と机がわずかな数置かれていて、私達は後方の席に案内されました。
 ウエイターが来て、壁の落書きを示し、ここはフランス革命の時の牢獄で、落書きは囚われ人が爪でひっかいて残したものだとそれとなく言いました。女性と男性の歌手が歌った何曲かのシャンソンを聞いてから、時計が10時を回ったので出ることにしました。
 すると席を立った私達にウエートレスの様な女性が「ちょっとした展示物があるけど見ませんか」と声を掛けて来たのです。
 折角来たのだからと、私達が付いて行くと、裸電球で照らされた暗い通路の突き当たりに10㎡位の部屋がありました。そこには裸電球の明かりの下に、革命当時、実際に使われたという色々な武器や道具が並べられていました。ギロチン台の前では「切り落とされた首は、この下の籠にごろんと落ちたのさ」と恐ろしい顔を作り、ゼスチャーをしながら説明します。また、十字軍の遠征時に妻に与えたという鉄製の貞操帯の前では、「ちゃんと合い鍵があったのよ」などと言います。
 気分が悪くなったので三人で顔を見合わせて出る事にしました。
 その時初めて気づいたのですが、入り口の扉はロックされていて、男の人がその前に立っているのです。すると女性は「金を払わないとここから出さないよ」と低い声で私達に言ったのです。私達はすっかり動揺し、慌ててそれぞれの財布からお金を渡しました。いくら渡したのか思い出そうとしても思い出せないのです。
 やっと解放されて地上に出た私達が見たのは、月明かりの下で異様な威圧感を持ったノートルダム大聖堂の姿でした。心臓をどきどきさせながらタクシーを拾い、勇んでホテルに戻りました。
私が初めて、見知らぬ外国で個人の夜間外出の怖さを知った日でした。
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《3》 初めてのフランス

2007年02月23日 | 海外旅行「西ヨーロッパⅢ」フランス・ギリシャ
 友人を誘って、1月のフランス・イタリアのツアーに参加しました。
 フランスのレストランで面白い経験をしました。友人達と「グリーンサラダ」を注文したら、サニーレタスだけが入れられた小鉢にフレンチソースがかけられて出て来たのです。日本では必ず胡瓜やトマトなど、他の野菜も盛り合わせて出されるので驚きました。見た目の美しさも大切にする日本の食文化との違いを感じました。
 また、当時の私は、サラダと言えばマヨネーズソースで、フレンチソースにはほとんど馴染みがありませんでした。それでレタスにかかっていたソースの黒こしょうが直ぐには分からず、細かな土か何かではないかと不審に思ったりしました。
 また「ハンバーグ」を頼んだら、洋皿の半分にハンバーグ、残り半分には山盛りのフレンチポテトだけという状態で出て来たのにも驚きました。
 
 勿論ジャガイモの原産地は標高4000mもあるアンデス高地です。ヨーロッパにはインカ帝国を征服したスペインが持ち帰り、やがてドイツやフランスで救荒食物として普及し、ヨーロッパにペストが大流行した時の市民の命を救った食品として、日本では戦時中の代用食として良く知られています。
 緯度の高い場所にあるヨーロッパでは、どの国も冬場の生野菜は特に不足しがちです。それで、フランス人が「大地のりんご」と呼ぶ位、加熱しても含有量の多いビタミンCは壊れにくいし、高血圧を抑制するカリウムやビタミンBをたっぷり含むジャガイモを多食するようになったらしいです。
 道理で、フランスと言えばフレンチポテトやポテトサラダだし、ドイツ料理と言えばソーセージとジャガイモ料理が定番、イギリスでもマッシュポテトが家庭料理の主役です。

  考えてみると、日本の一番北にある北海道でも、毎年冬場には新鮮な野菜が不足して価格は高くなります。地元で美味しいじゃが芋が沢山取れるのに、評価は高くありません。本当は、年中価格が安定していて、低温や強風にも強く、且つ保存性に優れ、栄養価も高いジャガイモを、私達は、毎日もっと利用すべきなのだと教えられました。
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《2》 ポルトガル・スペイン

2007年02月23日 | 海外旅行「西ヨーロッパⅠ」ポルトガル・英国
 初めての外国旅行で異文化の体験に大きな魅力を感じた私は、続いてスペイン、ポルトガルに行きました。

 1月になって直ぐ、ツアーでポルトガルとスペインへ旅行しました。
 ポルトガルでは、かっての大航海時代の名残を発見のモニュメントなどで目にしました。「カステラ」はポルトガル人によって日本に伝えられた菓子ですが、天ぷらの屋台があり、「テンプラ」がポルトガル語である事を知りました。
 また、今も残されている巨大な水道橋には驚きました。

 当時、日本政府は、退職後の熟年者にポルトガルへの移住を勧めていました。物価は安く気候も良いのですが、実際には言葉の壁があって、移住して来た日本人達の定住には困難があるとガイドに聞かされました。
 私は、完全に移住するのではなく、日本の住まいを残したままで好きな国に一定期間滞在して生活し、観光する。日本に帰りたくなった時は、いつでも帰れるようにする方法の方が、無理なく老後を楽しめると思いました。

 スペインでは、広大な大地に続くオリーブ畑とコルクの木、ひまわり畑を見ました。何処へ行ってもオリーブ油で料理した独特な臭いのある料理が出ましたが、腸の弱い私は、たちまち体調を崩してしまい、パンと水しか食べられない辛い毎日が続きました。

 名物料理の平鍋を使って魚介類と共に米を炊き込むパエリヤは、米の加熱が不十分ないわゆるめっこ飯で、お世辞にも美味しいとは言えませんでした。
 ガイドに聞くと、スペインでは米を硬めに炊いたご飯が好まれ、パエリヤは沸騰後15分位しか加熱しないと知りました。(帰国後調べた日本の料理の本にも、加熱時間は15分と書いてありました)
 私達が炊くご飯は、沸騰後20分間、100度を保って米を加熱し、消火後も10分近く蓋をしたまま蒸らすので、ふっくらと芯のないご飯になるのです。こんな訳で、楽しみにしていた本場のパエリヤにはがっかりしました。
 後日、ガイドからお土産用にパエリヤの色づけに使うサフランの花芯が紹介されました。心臓を強くする効能もありますが、とても高価なものでした。
 
 バスでセビリヤの町を通った時の事です。スペインでは、キリストの誕生が、新年になって数日後に到着した黒人使節によって知らされたとして、この時期にクリスマスが行われていました。
 協会の近くの道路には人が溢れ、それぞれが食べたアイスクリームや菓子などの袋が道路にどんどん捨てられて、本当にひどい状態なのです。私は見たことのない様なゴミが溢れた町に唖然としましたが、良くした物で、ゴミ収集車が来るなりゴミを吸い取って行き、短時間に町はすっかり綺麗になったのです。この時、ゴミを捨てる人と掃除する人を見て考えさせられました。

バルセロナでは、まず聖家族教会を見学しました。この時も一つの塔の狭い階段を最上部まで上り、小さな窓から向かい側の塔やバルセロナの町を眺めました。
 翌日の自由行動では、迷うことなく真っ先にピカソ美術館に行きました。外観からはそれとは分からない様な住宅街にありました。
 ここにはピカソの青年期からの作品が製作時代順に並べられていて、ピカソも最初は普通の絵を描いていたのだと再認識しました。やがて青の時代といわれる青い絵の具を多用する絵へと変わり、それからキュービズムへと画風が変化していく様子が良く分かりました。
 その後、マドリッドのプラド美術館の別館で、有名なピカソの「ゲルニカ」を見ることができました。壁一面に描かれた大きなその絵は、絵を良く思わないドイツの人達から破壊されない様に、防弾ガラスで覆われているのだと説明を受けました。
 そこを出ると美術館の前でゲルニカのキーホルダーを売っていました。かなり重い金属製でしたが、3個1000円でお土産に買い求めました。

 
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私の外国旅行体験《1》 前書き・ギリシャ

2007年02月23日 | 海外旅行「西ヨーロッパⅢ」フランス・ギリシャ
 私は早くに父と母を亡くしたので、30代になる前に既に帰るべき実家がありませんでした。。
 それで休暇があると、子どもを連れたりして国内外旅行をするようになりました。

 外国旅行では、5歳以上の子供は大人と同額なので、子連れの旅行が多かった私はいつも旅行貧乏でした。
 でも、子供と同じ体験を共有できた事、感受性の豊かな時期に子どもに広い世界の存在を知らせた事は良かったと思っています。
 子ども達は既に自立していますが、下の子は働くのは旅行資金をつくるためだ等と言います。仕事の性格にもよると思うけれど、自分の能力を生かして自己実現したり、社会貢献のために働き、結果として収入もあると考える私とは、今でも意見がよくぶつかります。

 次に、これまでの外国旅行の体験と思い出を書きますが、かなり年数が経っているため、場合によっては勘違いしている箇所があるかも知れません。もし気づきましたら、是非、お知らせ下さい。



 
 二十数年前、私が初めて小学5年の息子を連れて訪れた外国はギリシャでした。
 当時は東西冷戦が続く時代でしたから、今のように成田からロシア上空をヨーロッパに飛ぶ事は不可能でした。
 その時ギリシャへは、羽田からアリタリア航空で香港、バンコク、デリー、カラチとトランジットを繰り返し、何と30時間もかけてやっとローマに着き、また乗り換えてアテネへ入るという、今では考えられない様な具合が悪くなる程の長旅をしました。(カラチでは何人もの女性が小さな箒とちりとりを持参して乗り込んで来て、機内の狭い通路にへばりつくようにして掃除をして行った姿が忘れられません)

 私は民主主義の発祥国を見たかったのですが、実はパルテノン神殿に登れた人は一部の男性だけだったし、参政権は高額な税金を納める事ができた一握りの市民だけにあったと知りました。
 パルテノン神殿を始めとして、オリンピック発祥の運動場、古代神殿に水洗トイレもあったコリンソスの遺跡、シュリーマンが黄金のマスクを発見した山奥のミケーネの遺跡、素晴らしい音響効果に作られているエピダウロスの円形劇場も見学しました。そこでは今でも毎年、オペラが上演されていると聞きました。
 自由行動日、ホテルの前が国立考古学博物館だったので会館を待って入りました。ギリシャ以前の時代からの彫像やミケーネ遺跡の黄金のマスクなどが沢山並べられていました。水中から見つかったという異様にウエストがくびれた小さな女神像を見て、どんな意味でこんなにウエストが細いのか疑問が起きました。

 当時、ギリシャは社会主義国でしたが、個人的にお願いして、ツアーのバスの運転手夫妻に家を見せてもらいました。ステンレスはギリシャ国内には無いのでドイツから輸入しなければなりません。そのため、そのアパートの階段や台所のシンクは、神殿と同じ本物の大理石でできていました。新婚の若奥さんの話では、硬い大理石の台所では、うっかりするとガラスのコップが割れるのだそうです。私達は銀製のカップで持てなされました。

 その帰路、南イタリアにも寄り、紀元間もない頃に火山の爆発で埋まったポンペイの遺跡を見て、水道設備、排水溝、銭湯など、既に近代都市の原型ができていた事にびっくりしました。当時はまだ1/3しか発掘されていなかったのですが、慌てて全部発掘してしまうと風化が進み、後世に良い状態で貴重な文化遺産を残せなくなるからだという説明を聞き、感動しました。駐車場で初めて胡椒の木を見て、嬉しかったです。
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《11》外国旅行の魅力

2007年02月22日 | 海外旅行 色々

外国旅行の楽しさは、やはり異文化の発見と触れ合いから生まれる感動でしょうか。
 (ただし、戦前、日本が帝国主義的な進出をして多大な損失を与えた国では、針の筵の上を歩くような旅行になる場合もあります。
 そんな国(特に韓国や中国)に行く場合は、ある程度の日本との歴史的な関係を事前に勉強して、自分なりの考え方を持って行く必要があるのではと思います。)

 また、外国に行くと、世界には色々な国があり、色々な考え方、生活の仕方があること、それらを互いに認め合う事が必要であることが解ります。自国の価値観を他国に押しつける事は間違っていますし、その国の政策や方向性は、その国に住む国民自身が主体的に決めるべきなのです。

 その一方で、日本(人)の善し悪しを、外国との文化の比較から一層強く知ることもできますね。
 帰って来てからも、たまたまTVや新聞で触れるその国の報道はすごく身近に感じられて、一層、関心も高まり、本を読んだりして自分の物の考え方、視野が広くなる利点もあると思います。
 さらに私の場合は、旅行で見聞したり体験したりした事を、仕事上にも生かす事ができたのは幸せでした。

 これからも私に少しの体力と旅行費用が続き、世界を、直接、見たいという強い意志が衰えない限り、まだ見ぬ色々な国に出掛けようと思っています。ハイキングや軽登山などもできれば良いのですが無理でしょうか。
 そのためには先ず、数時間歩ける事、重いスーツケースを持てる事、食べ物を美味しく食べられたり、しっかりと物を見たり、人の話をきちんと聞くことができる様に、目、耳、体力の保持と日々の健康管理に努力し続けたいと思います。
 
 上の写真左はキラウェア火山の噴火口脇を散策した時に見たグァバの木です。熟した黄色い実が沢山落ちていました。食べるとキウイフルーツに似た甘い味がしました。写真右はマウイ島でサトウキビ列車の窓から見た沿線を彩るブーゲンビリアの並木です。余りにも華やかで思わずシャッターを押しました。



  写真左はローマのコロッセオの前です。コニファーでしょうか、独特な形で空高く伸びる姿を見ながら、2000年前のローマ人達も同じようにここで身体を休めたのでしょうか。右の写真はイタリアのシエナ市にあるカンポ広場に下りる坂の途中から、広場を覗くようにして撮った写真です。かっては競馬場として賑わったと聞きましたが、現在は正面の市庁舎を中心として市民の憩いの場所になっている様でした。
 

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エイズ治療の近況を知って

2007年02月18日 | 医療・健康・食生活・衣生活

丁度1年前の2月22日の日記に、私は次のように書いていた。

 『朝日新聞に出ていたJICAの海外青年協力隊員、山田耕平さんが、作詞して歌っているという、マラウィ語の「ディマクコンダ(愛してる)」をPCで聞いた。
 エイズ感染率14%、年87,000人が死亡する国で、エイズ予防の理解を得るのに実に効果的な、乗りの良い6分の歌だ。CDが売られてもいないのに、現地のヒットチャート1位になったのだという。
日本語の意味をJICAのHPを検索して知り、胸が熱くなったのでここに歌詞を記録する。
 
  『今まで恋したことなんてなかった ずっと遊びだった
  クレイジーだった 本当の愛なんて知らないで
  でもある日君に出逢った そして僕の人生は変わったんだ
  君の優しさに感動した 君の声が癒してくれた
  愛しているよ 愛しているよ 君が僕の事を愛しているのも知ってるよ
  僕たちはVCT(自発的カウンセリングと検査)に行くことに決めた
  愛する君を傷つけたくなかったから 医者に診て貰い結果を待った
  心臓がバクバクと鳴った 神様に祈った
  そして医者は言った 落ち着いて聞いて下さい
  検査結果はここにあります 彼氏は残念ながらHIVポジティブですと
  僕はどうすればいいんだろう
  他にいい男を見つけてくれ 神様もう一度だけチャンスを
     
  ”愛しているよ 泣かないで 君は素敵だから
  そしたら君は突然泣きやんで僕に言ったんだ
   何言ってるのよ 私達はずっと一緒よって』”



 そして、少し前のNHKBS1で、毎日、海外事情を報じていた中で、アフリカ、タイのエイズ患者に関わる番組内容を見て驚いた。
 タイでは、エイズ患者はますます激増し、貧困層の患者は何ら有効な治療を受けるチャンスも無く、次々と死んでいる厳しい現実がある。
 一方で現在、エイズの発症を抑える薬(私の記憶に間違いがなければ、確か『カクテル』という名の薬)が開発され、アメリカ人の金持ちは1月140万円払って、その薬を買い、延命に成功している。

 感染者が爆発的に増えているアフリカでは、国連の支援を受けながらアメリカ政府や製薬会社と粘り強く交渉を続けて、ついに安価なジェネリック薬品として、その薬を多数の患者に無料で投薬する事に成功しているというのである。
 私は、製薬会社に一定の利益(開発に掛かった莫大な経費を含めて)を保障した上で、何とかしてアフリカの経験が、一日も早く世界中に広がって欲しいと思う。1983年にこの病気の存在が発見されてから20余年、遂に、人間はその叡智によってエイズで死ななくても良い時代を迎えたのだと思うと、この薬が必要な世界中の患者に一日も早く届くことを祈りたいと思った。
 (番組の説明では、この薬はエイズを完治させることはできないが、ウィルスに感染したキャリアの人が、発症しないようにする効用を持っているそうである。)

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現代の経済的な収納家具・安全な家具

2007年02月17日 | 暮らしと住まい・耐久消費財
 昨年、ある建築事務所の経営者のブログの記事
 「作りつけ家具より置き家具の方がセンスが良い」
に対して書いた私のコメントです。

 『作りつけ家具というか、工務店に頼んで造作してもらう家具って高すぎるように思いましたので、私は収納の部分は、結局、スペースを取って扉だけを作ってもらい、そこに寸法や機能が合う収納ボックスを買って来て、並べたり重ねたりして目的を果たしました。
 冷蔵庫の横の細長い場所には、一個700円位のプラスチックボックスを6個積み重ねて入れ、食料品などを分別して収納しました。
 階段下の空間にも、分別するゴミ箱3個の他、プラスチックボックス大小10個を組み合わせて、効率良い物入れにしました。 押入の布団置きの中板?の高さも、衣類用のボックスを重ねたサイズから計算して決めました。
 雰囲気作りに影響する家具とは違いますが、見えない場所の収納家具は、今時はこんな安価な方法もいいなと思っています。』

 

 次の文は今回、書きたしました。
 『私の体験からすると、置き家具よりも作りつけ家具の方がスペースと安全を確保しやすく、掃除も楽なので、こどもや高齢者の住まいには良いと思います。
 一方、置き家具は、地震の際は危険なので、固定するか、できるだけ収納は作りつけるべきだと思います。
 地震を考えると各室の電灯は、天井や壁に固定したものにする方が安全です。玄関や食堂、居間などに、つり下げ式電灯を多く見かけますが、地震が強い場合には、もの凄く危険な落下物になるので避けるべきです。
 また、寝室では、高さのある家具の近くに頭を向けない方が安全だと思います。』
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家族でも節約の仕方を合意するのは難しい

2007年02月17日 | 暮らしと経済・経済生活
 去年、ある建築事務所の経営者のブログの記事
「トイレ使用後の水を節約するために、妻の使用後は流させず、自分が使用した時にまとめて流そうとするけちな夫」という内容の『節約がケチに見えるとき』
へ寄せた私のコメントに一部付け加えたものです。

 『この新婚間もないご主人の節約意志は、ある意味、素晴らしいと思います。妻が流していないトイレを使う事をものともしないのですから。まさか外でも他人に同じ事を要請するわけではないでしょうし。
 ただ、何処を節約し、何処を重点的に使うかの二人の合意が不十分だから、片方が離婚したいなんてなるのでは。

 家計簿を一緒に付けて、二人で毎月仲良く集計する。そして、収支の実情を把握し、翌月の予算を二人で立てる。
 実現したい生活の重点目標、例えば、将来どんなアパートに住みたいか、子育てはどうするか、車を持つかどうか等、幾つか話し合って決め、そのための必要経費と貯蓄計画をたてる。

 同時に経済生活の約束事を二人で決める。例えば、昼食は外食にしないで、例え見栄えが悪くても栄養バランスを考えた手作り弁当にする、外食は週1回に抑える、その代わり、週末には二人で豪華な家庭料理を作って存分に楽しんだり、レジャーの費用を予算化して、毎年温泉に行ったり、観光旅行をするなんて合意ができれば凄い。
 そうすればこの二人は、若い内に小さな持ち家を持てるかも知れないですね。

 目標を持った合理的なけち(節約)こそ、大切な将来の余裕生活の第一歩です。明るい笑顔で節約生活をすることができるようになれば最高です。
 こんな経済観念の発達した旦那は滅多にいないのだから、妻はその良さを生活全般に大いに利用するべきです。

 所で少し前まで、私はトイレの水槽にペットボトルを一つ入れて流水を節約していましたが、そんな方法が取れるのなら、離婚にはならないとも思うのですが…』
 
 この度、昔、雑誌で読んだ森下仁丹の創業者、森下氏の言葉を思い出しました。
 彼の経済生活の基本は、『義理欠き』『情欠き』『恥をかく』事を、決して恐れない事だったのです。
 つまり、自分のしっかりした経済に対する考え方の裏付けを持てば、一般にケチと思われる行為も、近代的な合理主義にとって変わるという事を解りやすい言葉で示したのです。
 さて、現代の私達なら、どこまで合理的な節約をすることができるのか、一人一人が考えて決めれば良いのだと思うのです。
 
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二世代住宅の方向性

2007年02月17日 | 暮らしと住まい・耐久消費財

 昨年、ある建築事務所の経営者のブログの記事
「居間、台所、トイレなど二つずつある二世帯住宅は、その必要時期は短期間だし、売ろうとしたら買い手がいない。それなら室が一つずつの普通の家が良いのかも」
にコメントしたものです。

 『貴重な問題提起だと思います。
 上下にそれぞれ全て二つ揃えるなら、いっそのこと二戸建てアパート風に建てておくのが、将来的な利用価値が出てくるように思います。
 スープの冷めない距離に住むのがベストと言われますが、付かず離れず、必要な時に二つの世代が助け合えるのが、一番良いのかも知れません。
 案外、今の二世代住宅は、経済的に子供世代の利害が優先し、精神的なつながりを求める親世代がそれに押されて建てる家族が多いのかも…』   
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ハウスメーカーの建てる高価な家の方が良い家か

2007年02月17日 | 暮らしと住まい・耐久消費財

 昨年ある建築事務所の経営者のブログの記事『価格の高い家は良い家だと一般的に思われてしまうのは、日本の公的な規格とその検査が不十分だからだ』に寄せた私のコメントです。

 『ほとんど建築知識を持ち合わせない素人の建て主、その弱点を言い当てていると思います。
 高い家は、高い分だけ良いに違いないと思いこむのです。
 実はそれが宣伝広告費だったり、モデルハウスの建築維持費だったりする事に気づかないのです。
 おまけに自分の家もモデルハウスの様に建つと思いこむ事もあります。

 もっと個人の建築家さん達は、私達素人の目を覚ますべく、様々な働きかけをして欲しいと思います。
 私の経験から言うと、責任ある建築士さんが、直々に建て主の話しを時間を掛けて良く聞くことから始めるのが良いと思いますが。』

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アレルギー対策も考えた機能を転用しやすい部屋作り

2007年02月17日 | 暮らしと住まい・耐久消費財

 昨年、ある建築事務所の経営者のブログ「用途が固定していない部屋の方が使いやすい」に寄せた私文です。 

 『用途が決まっていない部屋と言えば従来の和室でしょう。
 ちゃぶ台を置けば食堂、座布団を置けば客間、布団を敷けば寝室、○○を置けば趣味の部屋、机を置けば勉強部屋(書斎)という具合に多様に機能を変化させられるから、家族構成の変化にも適応しやすいのです。
 だから時代が変化しても、和室は一つは残しておきたいとも思うのですが、現代は畳を年に一度は上げて外に出し、風を通して日干しする事が不可能になりましたから、湿度の高い日本の住宅で、畳はダニが繁殖するなどしてアレルギーの元になりやすいし不潔なのです。

 それなら和室を無くし、使い方が多様な洋室にするにはどうしたら良いでしょうか。
 まず、各室とも一定の余裕を持った広さにし、コンセント、TV、インターネットなどの配線をしておく。
 個室にする時もスペースの確保と地震の際の安全性から、予めクローゼット等の収納を各室に設けておく。

 またできればベットは置かずに寝る工夫も必要だと思います。
 (私は現在はフローリングに部分的に絨毯を置いています。平安時代の『置き畳み』の発想です。
 絨毯もダニ防止性の化学繊維のものにしました。
 また、最近はスプリングの入ったベットは、市のゴミ処理には出せません。これもベットを置きたくない理由の一つです。
 さらにベットは、私から見れば万年床です。
 湿度の高い日本では、ベッドも管理を怠れば不潔になりやすいでしょう。
 やがて私にも布団を上げ下ろしする体力がなくなり、他人の介助が必要になった時には、介護保険でレンタルのベットを借りようかなと思っています)

 いずれにしても一定の面積と収納スペースが取れなければ、部屋の機能は固定されやすいと思いますけど。
 それと夫婦の寝室の様な閉鎖的な個室には、多様性を持たせるのは困難かも知れません。
 思いつくまま書きましたがいかがでしょうか。』
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北海道の住宅の暖房方式について

2007年02月17日 | 暮らしと住まい・耐久消費財

 昨年、ある建築事務所の経営者のブログに書いた私文です。

① 『北海道に住む私も昨秋来の灯油高騰の中で、新築する住宅の暖房方式をどうするか悩みました。
 オール電化ならペイするという建築指導センターの話しを聞き、それで電力会社に見積もりを出して貰いました。

 蓄熱式は初期費用は高い(暖房機1台20万円)けれど、ランニングコストは安いと言うのに強く惹かれて、実際にモデルルームに行った所、安い深夜電力の蓄熱分がガンガン放熱されていて、暑過ぎるので窓を開けていました。
聞くと放熱の調節が難しいと言う事で、結局、電気を無駄にしているのです。

 それで結局、私は初期投資が安めで、電気代は高めの電気温水システムにしました。
 でも、別な所に書きましたが、IH調理台はやはり不安なので、最終的にガス調理台に変えたのです。
 今、建築の終盤に入っていますが、それで良かったのではと思っています。
 工務店の社長からオール電化を勧められた時は、電力会社と結託しているのではと疑ったりもしました。
 今は、暖房方式の選択は建築工法、機密性の大小によるとも思っています。』


②『北海道は札幌でも1~2月の最低気温は-10℃をかなり下回り、最高気温でも-11~12℃になる日が何日もあります。 それでどうしても広い居間(北海道の平均的な居間は10~14畳です。長い冬に家族が生活をする場所なので、他県よりも大きめになります。LDKと間仕切りがなければもっと広くなってしまいます)の暖房機の容量を大きめにしてしまいがちなのではと思います。
 最近は熱交換システムを取り入れる家も増えつつあるようですが、気温が低い地域では効率が悪いらしいと知り止めました。
 栃木県にお住まいの○○さんは蓄熱式で快適だという事ですが、気温と家を考えた設計が上手く行ったのだろうと思いました。』

 
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家事労働のあり方と住宅設計

2007年02月17日 | 暮らしと住まい・耐久消費財

 昨年、ある建築事務所の経営者のブログに投稿した私文です。
 
 『統計上では、ほとんどの男性は家事を一日30分未満しかしていません。
 その結果、有職女性の方が家事を含めた労働時間が、有職男性よりはるかに多いという現状ですよね。

 家造りは、家族の触れ合いも精神的な絆も強めるものであって欲しい。
 それには、家が家族全員で年齢や能力に合った家事参加をしやすい造りになっている事も大切です。

 多くの国では、共働きの家事や育児を支える態勢や制度が、私的、社会的にあるようですが、(経済格差の結果、低賃金で家事労働者を雇えるという国は別の問題があると思いますが)日本では、介護保険制度で認定された人への家事援助者(ホームヘルパー)派遣制度以外は、まだ社会的な家事支援策はほとんどありません。
 ですから、長年フルタイムで働いてきた私の場合、この課題が、ずっといつも生活意識の底にありました。

 仕事を終えた今、思う事は、今の少子化は必然だという事です。
 今後は高齢者世帯が増えるので、このテーマは、住宅設計にとっても一つのセールスポイントになるかも知れませんね。』

 

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好きな食べ物は、必ずしも良い食べ物ばかりではない

2007年02月17日 | 医療・健康・食生活・衣生活

 これは以前、ある建築事務所の経営者のブログの「飽きが来ないのは名前の無い家」に投稿した私の文です。
 
 『現代の子供が好む食べ物は、「おかあさん やすめ はは きとく」だと言われて久しいです。
 オムレツ、カレーライス、アイスクリーム、サンドイッチ、焼きそば、スパゲティ、メンチカツ、ハムエッグ、ハンバーグ、餃子、ト ースト、クリームスープです。

 いずれも手間がかからない洋風一品料理や食品添加物の多い加工食品や市販食品も多いです。子供は多忙(?)な親が小さい時から毎日与える簡単な油っぽい食事に馴染み、それらを好きになるのだと思います。
 これらはカップ麺の様にカロリーは満たされていても、塩辛かったり、その他の栄養的なバランスが必ずしも良いとは言えません。

 これに対して伝統的な日本の味、お袋(私は親と言うべきだと思いますが)の愛情と知恵を大事に取り入れ、栄養や季節感が豊かな献立にするべきだという考え方から、日本家政学会では「おかあさん だいすき ママすてき」(おから、秋刀魚や鰯の蒲焼き、小豆飯、秋刀魚焼き、だし卵焼き、いも、寿司、きんぴらゴボウ、松茸ご飯、丸干し鰯、すき焼き、天ぷら、切り干し大根)などを多く取り入れた食事を子供に食べさせようと提唱しています。

従って「名前があるから良い食べ物だ」と言うのではなく、誰でも知っている名前の当世流行の食べ物は、簡便さ、見た目の良さなどから大衆のイメージを形成し易い。けれども本質的に良いかどうかは別の物差し~食べ物なら健全に成長し、健康を維持できるかどうか、家なら住み手の生活に合うかどうかの視点が、寧ろ大切なのだと私は思います。』

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私にとって登山とは

2007年02月16日 | 軽登山・登山・軽スポーツ

 
 医者が私に運動を勧めた目的は、血圧を下げるためのダイエットだったのですが、私の場合、結果的に登山は余り役に立ちませんでした。
 2日位前からは体力を付けるためにしっかりと食べますし、下山後は飲むもの食べるもの全てが美味しく、つい、食べ過ぎてしまうからです。でも、足腰の筋力と持久力はついたのではないかなと思います。

 何よりも登りは結構辛いのですが、頂上で見る景観はそこに立つ者だけに見ることを許された世界です。
 また、自分の足と身体、目で成し遂げた登頂の達成感、充実感、満足感、良い汗をたっぷりかいた後の快感は何物にも代え難く、それでみんな登山中毒(?)になるのだと思います。

 ドライブをしていても、山の形状を見れば遠くの山でもその名前が分かり、登山道の具体的な様子を思い出す事ができます。 登った山を見ると、頂上に自分が「バンザイ!」と両手を広げて立っている姿が見える様に思うのです。そして、その山が「私の山だ!」と思う様になれる事は凄いと思います。

 また、登山を始めてからの数年間、衣料品店に行けば、つい登山に良い綿のシャツやズボンに目が行ってしまい、そんなものばかり買っていました。ですから登山の費用といっても、今までは車のガソリン代位なものですから、他の趣味や休日の過ごし方に比べれば、登山は、随分、経済的であり、おまけに体力が付くなら、私にとってやっぱり最高なのです。
 これからは、今まで登った山を再訪して、自然をたっぷり楽しみ、安全な登山をしたいなと考えています。友達と一緒に行く場合は、交流も大切にしたいと思っています。

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