存在する音楽

ジャンルに関係なく良いと感じた曲は聴く
誰かの心に存在する音楽は
実際に音が鳴っていない時にも聴こえてくることがある

THE SONGWRITERS

2009-07-04 23:25:31 | 佐野元春
始まりました。

テーマは歌詞

ソングライター=現代の詩人

カフェ・ボヘミアのテーマ

ポップソングは時代の表現であり
時代を超えたポエトリー

第1回のゲストは小田和正(現在61歳)
過去の映像が次々と流れて活動暦を紹介
クリスマスの約束の映像も(TBS)

東北大学工学部建築学科、早稲田大学理工学部建築科の学歴を紹介
音楽と建築の共通点
何もないところから作る
最終的にディテールを決めていかなくちゃいけない
トイレと階段を必ず作らなきゃいけない。・・・
なかなか楽しいです。

音楽はサビを作る時に盛り上げていってサビに入る。それは最後に詰めれば良いやとほおっておくことが多かったんだけど、それが建築の課題の課題でトイレと階段を必ず作らなきゃいけなくて、階段とか面倒くさくて、それを最後に書けば良いなと。
トイレと階段を最後に書いて二階にわーといく書く感じとかがとてもトイレとか階段とかが似ているなと思って。
だんだん30年もやっているとそういうのもなくなってきた。

時代背景
団塊の世代、かなり荒れている、政治的に
69年の安田講堂の闘争の映像も流れて

そもそも曲を書くきっかけ
曲をはじめた頃、とても苦労した(二人とも同意)

千歳橋の近くにアパートを借りて早稲田に通っていた頃、初期のオフコースのメンバーで曲作りをしていた。
「いつでも」というフレーズを作って、その後は全然出きずに一日終わってしまったり。
コピーするのとオリジナルを作るのとは全然違う。
コピーで受けても、オリジナルでは全然うけなかったりする。

基本的に歌いたいことがなかった。
コピーしてきたのは、他愛も無い恋愛の唄か、反戦歌。
メッセージソングは
戦う相手がはっきりとなかった。泉谷・拓郎にしても苦しんでいる青春の話を歌っていた。
同級生がどう思うか、それが気になって書けない。
当時は聴いてくれる人がいなかったので、同級生がどう思うか?ということが気になっていた。

佐野さんは、過去の作品から選んだ「the flag」を
ステージの上に絨毯を敷いて、椅子に座って 詞を朗読
スポーキング・ワーズ
時々胸を叩くスタイル

どうでしたか?人の詩みたいだった。素晴らしい。

ソングライターを志したきっかけ
「音楽が好きだった」
影響を受けたソングライター
「絞りきれないですね。出あったた音楽すべて」
小田さんの世代なら一般的ですがビートルズ
「もういいやって」
ありふれていて
「シンプルだけど、あのときに色んなものが集まってきちゃったんじゃないか」
奇跡の音楽

デビューのシングル曲について、ヒットしました?
「ヒットしませんよ。そんなの。どうやって書いて良いかわからなくて、僕は沢山日記を書いていたので、何かヒントがないかと日記を読んでいると手がかりがあった。でもそれ一曲の分しか手がかりがなかったね。」

「やってみようぜ」
どうしても使ってしまう言葉はありますか?
「風 好きなんですよ。 また風かよって言われても平気なんだけど。本当は全部 風 で良いんだ俺」

好きな映画は
「ローマの休日」
随分ロマンティックですね。オードリー=ヘップバーン好きですか?僕もファンです

他ににやりたかった職業は
小さい時はプロ野球選手。ジャイアンツのファン。挫折した一番大きな理由は硬式がなかった。軟式では絶対にダメだろうな。

絶対やりたくない職業
「締め切りのある仕事 期限を守る 連載を抱えている漫画家を考えると大変だろうな。嫌でしょう?締め切り。締め切り守ってる?守ってそうにないな。」

締め切りがあると、そればもうプレッシャーになるので集中できなくなる、出来たら渡す
「じゃあ組み立てようがないよね。」
いつまでたってもビジネスに結びつかない
「じゃあ、CDなりに曲を作り上げて、自分としてはイマイチだなと思いつつも出さざるを得ない
それはない
アルバムの中で12~16くらい作っても、レコード会社が良いから全部入れたいと言われるけど、この4曲は入れたくないですと入れないです。
「偉い、偉いねー」
でも、後になって聴くと、良いなと思って何で入れなかったんだろうという反省も。


約束は最初からとりすぎない

死ぬ前に愛する人に残す伝言は?
「ありがとう」

小田さんは人のために書いているのか、
「まあ、あんまり人のためには書かないよね。最近はタイアップして書くとか、そういうやらしいことがあるけれど、それでもかかわってきた人たちの思いもあるから、それを叶えたいなと思って書くこともある」

商業性と芸術性について
「「歌うときの自分を考えると、誰かに歌わせるのはまた違うんだろうけど、自分が歌う限りは素直に歌えるものを歌いたいなと。」

「生まれ来る子供たちのために」という僕の当時好きだった一曲
レコード会社に文句を言われたという噂を聞いたんだけど
「文句は言わせないけれど、さよなら は最初に売れたシングルで、嫌だということはないけれど、少し距離感があって、レコード会社は次は さよなら 第二弾 というものが売れやすいから期待していて、聴く方もそういう期待があり、でも僕は理屈っぽいから、せっかくこういう時だからこそ 自分の同級生に聴いてもらえるような自分の本音に近いものを。その辺をレコード会社にわかって欲しかったんだけど、そんなことをわかってくれることは当時は全くなくて。」
「生まれ来る子供たちのために」に対する思いは?
 日本という・・・欧米が格好良いなと思っている裏で日本を本気で好きになりたい。日本に誇りを持っていたい。いつまでも、こんなんではしょーがねーなみたいな。当時は反応なかったけれど、作ってて良かった。今、何年も経って。好きでしたよとか言って貰ったりして、作っていて本当に良かったと。


コメント (2)
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題名のない音楽会

2009-07-04 18:35:06 | TV番組
ようやく再放送を見ています。

題名のない音楽会の第一回の放送で出演していたという

タモリがゲストで出演。
以前は指揮で番組に参加したことがあるとか。
CDを聴きながら指揮をしている・・・佐渡さんも同じ事をされているとか。


山下洋輔トリオ 1969年に結成?

第2期山下洋輔トリオ
 山下洋輔、坂田明、森山威男 「キアズマ」(交錯する。エックスに交わる。生物に詳しい山下さん)

 体力と能力が加齢とともに低下する。でも演奏家は経験とともに味が出てくるんですな。

佐渡「何なんですか?このいってしまえっていうのは?」
タモリ「このファッションがよくてね」
渡辺貞夫さんのマネージャーと飲んで、帰ろうとしたら、どんちゃん騒ぎが聴こえてきて、
中村誠一らが歌舞伎みたいなことをやっている声が聞こえてきて、この人たちは自分に合うなと思い、
ドアを開けたら、みんなが不思議な顔をして、神様が降りてきて、そのまま歌舞伎の真似事の仲間に勝手に入って、どんちゃん騒ぎをしていた。明け方に帰ろうとしたら、ところで、あんた誰なの?と言われ、森田と思います。」と言って帰った。
山下洋輔がタモリを探して面白いからと、山下洋輔がタモリのマネージャーになって活動していたとか。
これは知りませんでした。

  金沢美也子1969年生まれ、1999年に(る*しろう)を結成
 「キアズマが好き」というタイトルで演奏

 山下洋輔・金沢美也子の「キアズマが好き 合体バージョン」
この辺から最初の放送では見ていたんです・・・

  山下洋輔ニューカルテット!


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佐野元春のザ・ソングライターズ

2009-07-04 17:51:34 | 佐野元春
いよいよ今夜です。お見逃しなく。

小田和正の第一回は
放送日:2009年7月4日(土) 23:25~23:54 NHK教育

母校の立教大学で口座を持つ佐野さんの受講生達はどういう感想を持っているのだろう。

第1、2回目は 小田和正
第3、4回目は さだまさし
第5、6回目は 松本隆


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