始まりました。
テーマは歌詞
ソングライター=現代の詩人
カフェ・ボヘミアのテーマ
ポップソングは時代の表現であり
時代を超えたポエトリー
第1回のゲストは小田和正(現在61歳)
過去の映像が次々と流れて活動暦を紹介
クリスマスの約束の映像も(TBS)
東北大学工学部建築学科、早稲田大学理工学部建築科の学歴を紹介
音楽と建築の共通点
何もないところから作る
最終的にディテールを決めていかなくちゃいけない
トイレと階段を必ず作らなきゃいけない。・・・
なかなか楽しいです。
音楽はサビを作る時に盛り上げていってサビに入る。それは最後に詰めれば良いやとほおっておくことが多かったんだけど、それが建築の課題の課題でトイレと階段を必ず作らなきゃいけなくて、階段とか面倒くさくて、それを最後に書けば良いなと。
トイレと階段を最後に書いて二階にわーといく書く感じとかがとてもトイレとか階段とかが似ているなと思って。
だんだん30年もやっているとそういうのもなくなってきた。
時代背景
団塊の世代、かなり荒れている、政治的に
69年の安田講堂の闘争の映像も流れて
そもそも曲を書くきっかけ
曲をはじめた頃、とても苦労した(二人とも同意)
千歳橋の近くにアパートを借りて早稲田に通っていた頃、初期のオフコースのメンバーで曲作りをしていた。
「いつでも」というフレーズを作って、その後は全然出きずに一日終わってしまったり。
コピーするのとオリジナルを作るのとは全然違う。
コピーで受けても、オリジナルでは全然うけなかったりする。
基本的に歌いたいことがなかった。
コピーしてきたのは、他愛も無い恋愛の唄か、反戦歌。
メッセージソングは
戦う相手がはっきりとなかった。泉谷・拓郎にしても苦しんでいる青春の話を歌っていた。
同級生がどう思うか、それが気になって書けない。
当時は聴いてくれる人がいなかったので、同級生がどう思うか?ということが気になっていた。
佐野さんは、過去の作品から選んだ「the flag」を
ステージの上に絨毯を敷いて、椅子に座って 詞を朗読
スポーキング・ワーズ
時々胸を叩くスタイル
どうでしたか?人の詩みたいだった。素晴らしい。
ソングライターを志したきっかけ
「音楽が好きだった」
影響を受けたソングライター
「絞りきれないですね。出あったた音楽すべて」
小田さんの世代なら一般的ですがビートルズ
「もういいやって」
ありふれていて
「シンプルだけど、あのときに色んなものが集まってきちゃったんじゃないか」
奇跡の音楽
デビューのシングル曲について、ヒットしました?
「ヒットしませんよ。そんなの。どうやって書いて良いかわからなくて、僕は沢山日記を書いていたので、何かヒントがないかと日記を読んでいると手がかりがあった。でもそれ一曲の分しか手がかりがなかったね。」
「やってみようぜ」
どうしても使ってしまう言葉はありますか?
「風 好きなんですよ。 また風かよって言われても平気なんだけど。本当は全部 風 で良いんだ俺」
好きな映画は
「ローマの休日」
随分ロマンティックですね。オードリー=ヘップバーン好きですか?僕もファンです
他ににやりたかった職業は
小さい時はプロ野球選手。ジャイアンツのファン。挫折した一番大きな理由は硬式がなかった。軟式では絶対にダメだろうな。
絶対やりたくない職業
「締め切りのある仕事 期限を守る 連載を抱えている漫画家を考えると大変だろうな。嫌でしょう?締め切り。締め切り守ってる?守ってそうにないな。」
締め切りがあると、そればもうプレッシャーになるので集中できなくなる、出来たら渡す
「じゃあ組み立てようがないよね。」
いつまでたってもビジネスに結びつかない
「じゃあ、CDなりに曲を作り上げて、自分としてはイマイチだなと思いつつも出さざるを得ない
それはない
アルバムの中で12~16くらい作っても、レコード会社が良いから全部入れたいと言われるけど、この4曲は入れたくないですと入れないです。
「偉い、偉いねー」
でも、後になって聴くと、良いなと思って何で入れなかったんだろうという反省も。
約束は最初からとりすぎない
死ぬ前に愛する人に残す伝言は?
「ありがとう」
小田さんは人のために書いているのか、
「まあ、あんまり人のためには書かないよね。最近はタイアップして書くとか、そういうやらしいことがあるけれど、それでもかかわってきた人たちの思いもあるから、それを叶えたいなと思って書くこともある」
商業性と芸術性について
「「歌うときの自分を考えると、誰かに歌わせるのはまた違うんだろうけど、自分が歌う限りは素直に歌えるものを歌いたいなと。」
「生まれ来る子供たちのために」という僕の当時好きだった一曲
レコード会社に文句を言われたという噂を聞いたんだけど
「文句は言わせないけれど、さよなら は最初に売れたシングルで、嫌だということはないけれど、少し距離感があって、レコード会社は次は さよなら 第二弾 というものが売れやすいから期待していて、聴く方もそういう期待があり、でも僕は理屈っぽいから、せっかくこういう時だからこそ 自分の同級生に聴いてもらえるような自分の本音に近いものを。その辺をレコード会社にわかって欲しかったんだけど、そんなことをわかってくれることは当時は全くなくて。」
「生まれ来る子供たちのために」に対する思いは?
日本という・・・欧米が格好良いなと思っている裏で日本を本気で好きになりたい。日本に誇りを持っていたい。いつまでも、こんなんではしょーがねーなみたいな。当時は反応なかったけれど、作ってて良かった。今、何年も経って。好きでしたよとか言って貰ったりして、作っていて本当に良かったと。
テーマは歌詞
ソングライター=現代の詩人
カフェ・ボヘミアのテーマ
ポップソングは時代の表現であり
時代を超えたポエトリー
第1回のゲストは小田和正(現在61歳)
過去の映像が次々と流れて活動暦を紹介
クリスマスの約束の映像も(TBS)
東北大学工学部建築学科、早稲田大学理工学部建築科の学歴を紹介
音楽と建築の共通点
何もないところから作る
最終的にディテールを決めていかなくちゃいけない
トイレと階段を必ず作らなきゃいけない。・・・
なかなか楽しいです。
音楽はサビを作る時に盛り上げていってサビに入る。それは最後に詰めれば良いやとほおっておくことが多かったんだけど、それが建築の課題の課題でトイレと階段を必ず作らなきゃいけなくて、階段とか面倒くさくて、それを最後に書けば良いなと。
トイレと階段を最後に書いて二階にわーといく書く感じとかがとてもトイレとか階段とかが似ているなと思って。
だんだん30年もやっているとそういうのもなくなってきた。
時代背景
団塊の世代、かなり荒れている、政治的に
69年の安田講堂の闘争の映像も流れて
そもそも曲を書くきっかけ
曲をはじめた頃、とても苦労した(二人とも同意)
千歳橋の近くにアパートを借りて早稲田に通っていた頃、初期のオフコースのメンバーで曲作りをしていた。
「いつでも」というフレーズを作って、その後は全然出きずに一日終わってしまったり。
コピーするのとオリジナルを作るのとは全然違う。
コピーで受けても、オリジナルでは全然うけなかったりする。
基本的に歌いたいことがなかった。
コピーしてきたのは、他愛も無い恋愛の唄か、反戦歌。
メッセージソングは
戦う相手がはっきりとなかった。泉谷・拓郎にしても苦しんでいる青春の話を歌っていた。
同級生がどう思うか、それが気になって書けない。
当時は聴いてくれる人がいなかったので、同級生がどう思うか?ということが気になっていた。
佐野さんは、過去の作品から選んだ「the flag」を
ステージの上に絨毯を敷いて、椅子に座って 詞を朗読
スポーキング・ワーズ
時々胸を叩くスタイル
どうでしたか?人の詩みたいだった。素晴らしい。
ソングライターを志したきっかけ
「音楽が好きだった」
影響を受けたソングライター
「絞りきれないですね。出あったた音楽すべて」
小田さんの世代なら一般的ですがビートルズ
「もういいやって」
ありふれていて
「シンプルだけど、あのときに色んなものが集まってきちゃったんじゃないか」
奇跡の音楽
デビューのシングル曲について、ヒットしました?
「ヒットしませんよ。そんなの。どうやって書いて良いかわからなくて、僕は沢山日記を書いていたので、何かヒントがないかと日記を読んでいると手がかりがあった。でもそれ一曲の分しか手がかりがなかったね。」
「やってみようぜ」
どうしても使ってしまう言葉はありますか?
「風 好きなんですよ。 また風かよって言われても平気なんだけど。本当は全部 風 で良いんだ俺」
好きな映画は
「ローマの休日」
随分ロマンティックですね。オードリー=ヘップバーン好きですか?僕もファンです
他ににやりたかった職業は
小さい時はプロ野球選手。ジャイアンツのファン。挫折した一番大きな理由は硬式がなかった。軟式では絶対にダメだろうな。
絶対やりたくない職業
「締め切りのある仕事 期限を守る 連載を抱えている漫画家を考えると大変だろうな。嫌でしょう?締め切り。締め切り守ってる?守ってそうにないな。」
締め切りがあると、そればもうプレッシャーになるので集中できなくなる、出来たら渡す
「じゃあ組み立てようがないよね。」
いつまでたってもビジネスに結びつかない
「じゃあ、CDなりに曲を作り上げて、自分としてはイマイチだなと思いつつも出さざるを得ない
それはない
アルバムの中で12~16くらい作っても、レコード会社が良いから全部入れたいと言われるけど、この4曲は入れたくないですと入れないです。
「偉い、偉いねー」
でも、後になって聴くと、良いなと思って何で入れなかったんだろうという反省も。
約束は最初からとりすぎない
死ぬ前に愛する人に残す伝言は?
「ありがとう」
小田さんは人のために書いているのか、
「まあ、あんまり人のためには書かないよね。最近はタイアップして書くとか、そういうやらしいことがあるけれど、それでもかかわってきた人たちの思いもあるから、それを叶えたいなと思って書くこともある」
商業性と芸術性について
「「歌うときの自分を考えると、誰かに歌わせるのはまた違うんだろうけど、自分が歌う限りは素直に歌えるものを歌いたいなと。」
「生まれ来る子供たちのために」という僕の当時好きだった一曲
レコード会社に文句を言われたという噂を聞いたんだけど
「文句は言わせないけれど、さよなら は最初に売れたシングルで、嫌だということはないけれど、少し距離感があって、レコード会社は次は さよなら 第二弾 というものが売れやすいから期待していて、聴く方もそういう期待があり、でも僕は理屈っぽいから、せっかくこういう時だからこそ 自分の同級生に聴いてもらえるような自分の本音に近いものを。その辺をレコード会社にわかって欲しかったんだけど、そんなことをわかってくれることは当時は全くなくて。」
「生まれ来る子供たちのために」に対する思いは?
日本という・・・欧米が格好良いなと思っている裏で日本を本気で好きになりたい。日本に誇りを持っていたい。いつまでも、こんなんではしょーがねーなみたいな。当時は反応なかったけれど、作ってて良かった。今、何年も経って。好きでしたよとか言って貰ったりして、作っていて本当に良かったと。