存在する音楽

ジャンルに関係なく良いと感じた曲は聴く
誰かの心に存在する音楽は
実際に音が鳴っていない時にも聴こえてくることがある

2013,1,8元春レイディオショー

2013-01-08 21:31:59 | 佐野元春
新年明けて最初の特集は「新春特集 音楽をもっと聴こう」。

三人のゲストをお迎えしています。

第一回目はゲストに音楽評論家の小尾隆氏

を迎えて、改めて“洋楽の面白さ”をリスナーの皆さんと一緒に発見していこう、というテーマ

1 Anna (Go to Him) :The Beatles

S:1曲目小尾さんが選んでくれた初期のビートルズの隠れた名曲ですよね。アンナ。「プリーズプリーズミー」の中の1曲アンナでした。どうしてこの曲を選曲してくれたんですか

小尾:ビートルズが’63年にデビューアルバムを出したんですけれど、A面の3曲目でいきなりアーサー・アレクサンダーというアラバマ州のシンガーソングライターの曲をやってくれたんですね。この時期からビートルズは海を越えた遥かアラバマ州のシンガーソングライターに目を向けていた。これは意外と語られてないことなんで、ちょっとそこらへんにポイントを置いてみました。

S:はい。今夜、小尾さんが選曲した音楽がこの後どんどん続くわけですけれども、その布石となる曲。これから期待していいんですよね。

小尾:はい

S:小尾さんは初めて買ったポップ音楽のシングル・レコードって何ですか?

小尾:僕はシングルは確かキャット・スティーブンスの「雨に濡れた朝」もしくはサイモン&ガーファンクルの「アメリカ」この2枚のどちらかだったと思います。

S:ふんふん。当然アナログ盤、ドーナツ盤の時代でしたね?

小尾:そうですね。

S:まあ当時僕たちは、それほどお小遣いが多くはなかったと思うんですよね。確かドーナツ盤シングル1枚450円か500円か600円くらいしたと思うんですけれども1曲を買うのに大変悩んだとう経験はありませんか。

小尾:ええやっぱり悩むんですね。レコード屋さんで2枚か3枚かを持って、一枚しか買うお金が足りないわけですから、いかに最後の一枚をどれをレジに持っていくか、っていうのは僕も悩みました。

S:そうですよね。それと小尾さんのバックグランドというのはやはり70年代の欧米のポップロック音楽ということになりますよね。

小尾:そうですね

S:今夜はそのポップロック音楽の魅力について二人で大いに語ってみたいと思います。2曲目さっそく行ってしまいたいんですけれど、これはDan Penn を選んでくれましたね。これはどういう理由ですか?

小尾:さっきのアーサー・アレクサンダーの話じゃないんですけれど、アーサーと仲の良いんですよね このDan Penn っていうのは。同じアラバマ出身のソングライターで、アラバマ州のマッスル・ショールズ地区にあるフェイム・スタジオ(Florence Alabama Music Enterprises(FAME:通称フェイム))に出入りしているシンガーソングライターだったんですよ。

S:米国で言うと南ですよね。南部のいわゆるそのサザンソウルっていう感じなんかで呼ばれていたと思いますけれども、そのアメリカのサザンソウルの中でも大活躍したソングライター。そしてまたプロデューサーでもありますよね。

小尾:そうですね

S:ね。では小尾さんの選曲で

2 Power Of Love :Dan Penn

S:1968年のレコード。これは良い曲ですよねー。ちょっと専門家の耳で聞くと、はっとしたんですけれど、ベースのラインとギターの構成で言うとBメロでモータウンヒットの「マイガール」とそっくりですね

小尾:そうですね。

S:これはやはりモータウンとサザンソウルの関係というのは切っても切れない関係があるんじゃないですか?

小尾:はい。総合影響ってことを僕は凄く聴くうえで大事にしているんですけれども、誰か一人が全く新しいオリジナルを作るというよりは同時代にお互いが刺激し合って、影響を受けながらシーンを作っていくという、そういうことを学んだと思います。

S:そうですね。時には素人がコピーだとかパクリだとかって言葉づかいで使いますけれども、コピーということとはまた違うってことですよね?

小尾:はい

S:今聴いたダン・ペンの音楽これはサザンソウル系のシンガープロデューサーということ。当時’70年代を振り返ればこのサザンソウルの系の優れたシンガープロデューサー、プレーヤー沢山出ましたよね。ダン・ペン以外に尾木さん記憶に残っているアーティストっていますか?

小尾:そうですね。プロデューサーであるとアメリカン・スタジオのチップス・モーマンであるとか

K:プロデューサー系の音楽であると、アトランティックのオーナーのひとりだったジェリー・ウェクスラー、
トム・ダウド、あとフロリダにあったサウスアトランティックスタジオ、クライテリア・ スタジオそこで活躍していたジム・ディキンソンという人がいるんですけれど、名わき役だと思います。

S:そうですね。今でこそ小尾さんは音楽評論家として1970年代のいろんな事情について説明して頂いているんですけれども、多感なころからそんな知識があったわけじゃないでしょう?

小尾:そうですね

S:やはり。勉強なさったんですか?

小尾:勉強というか好奇心でどんどん調べたくなる。気になってしょうがないっていう。

S:ああ、そうですね。多感なころの小尾さんのことを僕は少し知りたいんですけれども、音楽の情報はどこから仕入れてたんですか?

小尾:僕は圧倒的にラジオでしたね。

S:ラジオとは言っても、まだFMはなかったんじゃないですか?

小尾:丁度FMラジオが開局したのが中学1年だったんですね。それでその波と重なるように聴いてきましたのでAMラジオもFMラジオも同時に聴いていました。

S:なるほど。思い出に残っているラジオ番組はありますか?

小尾:FM東京で森井直哉さんが日曜日の夜にやっていた「ミュージック・シャウト」という番組が1時間の番組があったんですけれど、そこは当時流行り始めたアメリカのポップミュージックが特にいっぱいかけてくれて凄く嬉しかったです。

S:そうですか。ああやっぱりラジオなので、この曲やっぱり良いなって思う。この演奏者は誰なのか?シンガーは誰なのかとか。そしてどこに行ったら手に入るのか。かなりあちこち駆け回ったんじゃないですか?

小尾:裏ジャケットを見て、ミュージシャンのクレジットが載ってますよね

S:はい

小尾:ベース誰だれ、ギター誰だれってそれを覚えていくのが楽しくって、

S:あー

小尾:じゃあここでギターを弾いている人が、違うアルバムでまたギターを弾いていてたりしますよね。どんどん聴きたくなってしょうがない。

S:そうですね。当時はアナログ盤30センチ30センチで大きいですから演奏者のクレジットも詳しく書いてありましたよね。同時に、ジャケ買いなんて言葉もあるでしょう?中身の音楽は聴いたことがないけれども、アルバム・ジャケット見て何かピーンと来るなって

小尾:雰囲気で伝わるものがありましたね。

S:小尾さんもやはり、ジャケ買いなんてのもやられましたか?

小尾:はい

S:上手く行った場合もあれば、勿論その失敗した場合もありますよね

小尾:そうですよね。でも僕の場合はだいたい幸運なことに当たりました。

S:そうですか。まあ情報源で言うとラジオもそうなんですが、僕の場合は気の利いたレコードショップで こんなレコードが聴きたいんだっていうと、彼らは、じゃあこんなレコードはどうだってレコメンドしてくれるそんなお店があったんですけれど小尾さんはどうでしたか?レコードショップというのは大事な存在ではなかったですか?

小尾:僕はやっぱり大事でしたね。さすがに中学時代は近所のレコード屋さんしか行けなかったですけれど、高校生になると当時輸入レコードショップがブームになりはじめたんですね。それで青山のPied Piper Houseであるとか
吉祥寺の芽瑠璃堂、上野の蓄光堂そういったお店に出入りするようになって、 壁に飾られているレコードなどをよく眺めたりしていましたね。

S:僕も東京なので特に青山のPied Piper House、僕はよく通いましたね。はい。Pied Piper Houseにはすごく目利きの良い店主が居ましたね。

小尾:そうですね。

S:彼から僕は色々と音楽のことを教わったんですけど。どうですか今でもレコードショップはよく行かれるんじゃないですか?

小尾:行きます。頑張っている個人ショップみたいなのもしっかりありますからね。そういうお店は大事にしたいと思います。

S:やはり友達っていったような感覚ですよね。

小尾:そうですね。一番嬉しいのは、お客さんこれが好きだったら、これも聴いてみてって言われると気になってくるんですよね。

S:すごく目利きの利いた推薦者が街の中にいるってことですよね。

小尾:やっぱりそうですね。実際お店の人と対話しながらっていうのが面白いですよね。

S:はい。そうですね’70年代を振り返ってお話をしています。音楽の情報源がどこだったのか。もう一つ僕はロック喫茶っていうのも(笑)

小尾:そうですね。

S:どうですか小尾さん東京で記憶に残っているロック喫茶っていうのはどういったものというとどのあたりですか?

小尾:渋谷のブラックホークっていうお店がシンガーソングライターとか、ちょっと泥臭いスワンプ・ロックとかに特化したお店だったんですね。

S:そうですか。僕はそのブラックホークのすぐそばにあったんですけど、渋谷のB.Y.Gっていうのがありましたね。
当時の僕はまだ中学生で当然お小遣いないですから、一枚のシングル・アルバムを買うとなると大変なことですね。まずはロック喫茶のB.Y.Gに行って、そしてリクエストするんです。ジェームズ・テイラーのが新しいのが出たとか・・そして一時間くらい待ちますね。店でしっかり粘って、その間もコーヒー一杯。一抱え、しっかりとしたスピーカーでしたね。その真ん前に陣取ってね、アルバムがかかると一曲目から最後の曲まで、もう全部そこで記憶するかのように全部吸収するかのように

小尾:本当必死でしたよ。

S:ロック喫茶ってなんだって思いますか?

小尾:音楽を聴けるっていうのも勿論なんですけれども、そこで友達が出来る。同興の志が出来る。

S:君どんな音楽好きなの?こんな音楽好きなのっていうことによって、一つのある特定の音楽からコミュニティーが形成されていく。こういう現象でしたよね。で我々の生活にとってポップ音楽というのはとても重要な役割をしていたんじゃないか。ってふと振り返るのですが、どうですか?

小尾:まさにそうですね。10代20代を振り返ってみても、記憶の端々が僕の場合レコード、音楽、友達がみんなミックスされて、もう刷り込まれてますね。

S:そうですね。ある重要な一枚がリリースされた。すると友達がそれを買って、そしてその友達の家に行って、一晩中みんなで聴いて、そしてそのアルバムについて約半年間ずーっとなんだかんだって、討論して、そんな記憶さえあるんですけれども。小尾さんはそんな経験はありませんか?

小尾:あります。ニール・ヤングの「After the Gold Rush」で、僕は「Harvest」が好きだとか。両方とも良いので、今から思うと幼い論争だったんですけれども、そんなことまで懐かしく思い出します。

S:今で言うとダウンローディングで自分の方に1曲ダウンロードして、それで気に食わなければ、直ぐに消してしまう。まるで何か消費物資のように扱われているのが残念でならないのですけれど。僕たちの時代では重要な音楽は半年間くらいかけてじっくり聴いた。そういうような時代でしたね。どうですか?

小尾:そうしてじっくり聴いているうちに、その構成アルバムのA面の流れB面の流れ、何でこの曲から始まって、B面この曲で閉まるだろう?あるいは、B面の1曲目は何だろうかって、そういうフックというか凹凸の面白さがわかってくるんです。

S:そうですね。一度持ったレコードを沢山聴くことによって自分の意見が言いたくなる。これが批評の始まりですよね。さて、小尾さんが推薦してくれた曲。ヤング・ラスカルズ。米国東海岸の音楽。これは僕も好きです。そしてまたブルー・アイドソウルですね。

3 Good Lovin' : The Young Rascals

S:これはご機嫌な曲ですよね。大好きです。これ驚くことに凄くブラックな雰囲気を演奏でしてますけれども、白人たちなんですよね。

小尾:イタリア系の白人ですよね。

S:そしてNYを活動拠点としているグループですよね。ヤング・ラスカルズ。このバンドについて小尾さん何か

小尾:やっぱり黒人音楽が大好きで始めたっていう。丁度大事にしている音ですね。そういうところに惹かれて最初は無邪気なダンスバンド、ブルー・アイド・ソウルだったのに、時代とともに、ベトナム戦争などが起きて、混迷の時代になってきて、メッセージ色を強めてくんですよね。音楽もちょっと難しくなっていくんですけれども、僕がリーダーのフェリックス・キャヴァリエが一番印象に残っているのは、僕たちはブラック・ミュージックの恩恵に預かっているだから黒人たちを追い出すような会場ではもう二度と演奏はしないって発言をしたんですね。結果的には、その発言が尾を引いて解散に追い込まれていってしまったんですけれども。その志の高さの素晴らしさ。

S:最高でしたね。’60年代においては、まだまだポップ音楽の中にはレイシズム、黒人白人そして差別という問題が残っていた。これはやはりポップ音楽の歴史を語る上では無視できないことではないかってことですよね。

小尾:そういうことですね。

S:中にはウォーのように黒人と白人の混合バンドでありながら、素晴らしい表現もやっていたバンドもありましたよね。ブルー・アイド・ソウルでってことでいうと、このヤング・ラスカルズ、’70年代後半になってくるとホール&オーツという新しいバンドが出てきますよね。ホール&オーツも現代的なブルー・アイド・ソウルのバンドとして僕は楽しく聞いていたんですけれども、どうですか?ホール&オーツ

小尾:そうですね彼らもカバーが多いですよね。むしろホール&オーツから聴いていって、逆にそのホール&オーツが歌ったソウル・クラッシックスを遡って聴いてったり、そういった楽しみも与えてくれましたね。

S:そうですね。ヤングラスカルズ、そしてホール&オーツ。地域的に言うと米国東エリアのバンド。小尾さんもよくご自身書かれているけれども、地域によってその性質、特徴ってのがあるんですよね。東には東の特長、西には西の、南部には南部のってのがありますよね。それで少しウェストコーストの方のことについて話してみたいんですけれども、そもそも、ウェストコーストっていうのはこういう音楽なんだってのは、自覚的に聞き分けたのはお幾つくらいの時でしたか?

小尾:18か20歳くらいにかけてですよね。

S:やはりそれはディランの音楽やバーズの音楽から計っていったって感じですか?

小尾:はい。バーズは西海岸、ロサンゼルスのバンドで彼らの交流図を見ていると、どんどん広がっていく楽しさがあって、バーズの場合、フォークロックから始まって、カントリーロックの方まで行きますよね。その中で、グラム・パーソンズとかいう人も覚えていきましたし、

S:その後ニルス・ロフグレンとかにつながっていくんですよね

小尾:はい何となく西海岸だとアコースティックで爽やかなコーラスが凄く綺麗な、そういった魅力に取りつかれていきましたね。

S:ウェストコーストの音楽っていうと、どんなイメージを持っていました?

小尾:ウェストコーストはやっぱりNYあるんで洗練された粋なビート、あとビートで言うとシャッフル・ビートを凄く使うバンドがいたりとか。そういった印象が残ってます。

S:そうですね。そしてまたブルース傾向の強い音楽がウェストコーストの音楽にはありまして、ブルース、ジャズが強い音楽って感じがしますよね。そして、東海岸のバンドで言うと、彼らもそう言って良いのでしょうか?ジョン・セバスチャン

小尾:そうですね。ラビンスプーンフル(というバンド)出身のシンガーソングライターですけれど。

S:ラビンスプーンフルっていうとね、よく海外のレコードショップに行って、よく分類があるでしょう?R&Bだとか’70年代ソウルとか。あの分類の中に、グリニッジ・ヴィレッジっていう分類があったんで、あれ?って思って、グリニッジ・ヴィレッジを見てみると、その中にラビンスプーンフル、ジョン・セバスチャン、ピーター・ポール&マリーがありました。それはロンドンのレコードショップの話ですけれども、グリニッジ・ヴィレッジっていうのも一つのジャンルとして理解されいるのかなって、僕はその時思いましたけれども。確かにジョン・セバスチャン言ってみれば、NYのリベラルな地域でそこのコーヒーハウスなどで彼らは演奏していてキャリアをスタートした。

小尾:ジョン・セバスチャンはですね。優しい歌声と切ないハーモニカ 、あと優しいメロディー

S:ラビンスプーンフルというのも不思議なバンドでジャズだとかフォークだとかカントリーだとかジャグだとかいろいろな音楽要素がごちゃまぜになっていて、今でいうジャムバンド的な要素が強かったなっていう印象が僕は強かったなって思うんですけれども。

小尾:まさにジャグの要素もあって、いろいろと混ざってますよね。限らずいろいろと混じっているグループはいっぱいあるでしょうけれども、そこらへんをうまく本当にミックスして自分たちの音楽を紹介していると思います。

S:実を言うと僕はね、一回ジョン・セバスチャンと一緒にセッションしたことがあるんです。

小尾:バーンアルバムの時ですよね

S:そうです。’90年代の後半でしたけれども、僕とバンドはウッドストックに行って、ソロアルバムでハーモニカを吹いてくれたんですよね。当然10代の時に聴いたラビンスプーンフルのジョン・セバスチャンが自分の目の前で自分のレコードセッションとして参加してくれている。もうそのことは夢のような感じ。自分もミュージシャン、ジョン・セバスチャンがと同じ。どうも僕は日本で音楽活動をしていると他の人との繋がりというのをあんまり感じられず、こう点でぽつんといるような錯覚に陥ってしまうんですけれど、ジャンセバスチャンが目の前で演奏しているのを見た時にやはり僕は’60年代‘70年代’80年代、そして現代に続く一つの流れの中に僕は位置しているんだ。寂しい思いなんか必要もないって思ったことを強く思う一瞬がありました。

小尾:それは凄く素敵なことで。僕も継承というか引き継がれていくものというのは大事にしたいと思いますよね。

S:それではジョン・セバスチャン、この曲は本当に素敵な曲です。

4 I Don't Want Nobody Else : John Sebastian

3PICKS!
今夜はBRUNO MARS
米国のシンガー、現在27歳。音楽が好きな家庭に育って、子どもの頃からR&Bやヒップホップを聴いて育ちました。ブルーノ・マーズの魅力は何といってもメロディメーカーとしての才能、そしてステージでの魅力的なパフォーマンスですね。昨年出したデビュー・アルバムから「Just The Way You Are」という曲が全米NO.1ヒットしました。そして新人でありながらグラミー賞に2年連続でノミネートされています。実力、人気ともに世界的に大きく認められてきています。グラミー賞にノミネートされたことについてブルーノ・マーズはこんな風に言っています。「音楽は賞をもらうためにやってる訳ではない。でも同業者が自分の努力を認めてくれて、とてもうれしい」そんな風に言ってます。新しいアルバムUnorthodox Jukeboxから

5 Young Girls :BRUNO MARS

S:小尾さんっと言えば素晴らしいと思うのは、本を書かれてます。これは主に米国の'70年代の音楽について書かれた「ソングス」という評論集と言っていいですよね。僕は、どのページにも僕にとっても馴染みのレコード、ソングライター、バンドが次々と出てきて、楽しく拝見しました。音楽を聴く人、ロック音楽を聴く人、洋楽を聴く人って沢山世の中にはいるけれども、それを聴くだけではなく批評してみようという人はそれほど多くない。批評する側に回ったきっかけは何ですか?

小尾:やはり音楽について書くこと語ることが僕は小さいころから好きだったですね。何か表現できるんじゃないかって、逆の見方をすると何か面白いロック評論とかを読者として啓発されたことがあったんですよね。

S:それはどういうもの?

小尾:海外のグリル・マーカスとかポール・ウィリアムスとかいう評論家がいて、グリル・マーカスの場合は「ミステリー・トレイン」、ポール・ウィリアムスは「アウトロー・ブルース」が代表作なんですけれど、凄く啓発されるものがあって、じゃあ自分でも彼らには及ばないけれども、ちょっとは何か貢献できるんではないかと

S:そうですね。僕はミュージシャンですけれども、面白いなっていう質問だとは思うんですけれど、そもそも音楽評論って、どういうお仕事だと思いますか?小尾さんの言葉で語って下さい。

小尾:知識や情報はもちろんですね。でも僕がむしろ大事にしているのは、その音楽を聴いて自分はどう感じたんだ。どういう意見を自分はその音楽に対して持っているんだっていう、そういうことを大事にしたい。ですから僕にとって知識や情報は入口であって結果ではないということですよね。

S:つまり小尾さんは自分の人生にとって意味のある音楽だと感じながら、そこに批評が発生する。こういう流れでしょうかね?

小尾:はい。僕はやっぱり好きなものを伝えたいっていうのが根本にあるので、いい流れに貢献したいと思います。

S:次の用意してくれたこのレコードはアレサ・フランクリンのレコードですよね。唯一、黒人音楽を選んでくれたんですが、これはどうしてですか?

小尾:そうですね。ライヴアルバムから聴いてもらいたいんですが、フィルモア・ウェストという有名な会場がありますよね。アレサ・フランクリンをフィルモアに呼んだのは今は亡き偉大なるプロモーター、ビリー・グレアムという人なんですけれども、何でアレサを呼んだのかというと、白人の子どもたちに本物の黒人音楽を聴かせたいという思いが結果として表れたのがフィルモアでのアレサ・フランクリンおライヴアルバムなんですよね。

S:今、ビル・グレアムという名前が出ました。これは’70年代の言ってみれば音楽プロモーターですよね。このビル・グレアムが果たした役割というのは当時相当大事ではないかって思うんですよね。その辺についてはどうですか?

小尾:そうですね。色んな組み合わせでロックだけでじゃなく、マイルス・デイビスも呼んだりとか、あと彼の場合、サンタナにはかなり肩入れして、サンタナをシーンに踊り上げた功績というのが大きかったと思います。

S:そうですね。フィルモアっていうのはライヴハウスの名前ですよね。フィルモア・ウェストこれは西海岸にもう一つ、フィルモア・イーストというライヴハウスを今度はマンハッタンに作るんですよね。ウェストとイースト、この二つにロック音楽を紹介する拠点を作ったという。僕はこのビル・グレアムの仕事を見るとね。そこに良い音楽があるならば良い紹介者が居なければ成立しないんだ。ということをよく感じましたね。それでは小尾さんが紹介して下さった曲を聴いてみたいと思います。

6 Make It With You (Live) : Aretha Franklin

S:これは確か’70年代最初にヒットしたブレッドの曲のカバーですよね。

小尾:原曲とは全然違いますね。

S:アメリカを見て素晴らしいなって思うのは黒人の文化圏は黒人の文化があり、’80年代の文化圏があり、それぞれの文化圏は独立しているんだけれども、アートとか音楽というのがそれを跨ぐんですよね。例えば白人のバンドの代表的なブレッドの曲をアレサ・フランクリンがソウル・ミュージックの解釈で表現するとこんな風になるよって。これは周りにとっては非常に大きな刺激になるんじゃないでしょうかね。これは何故、アレサ・フランクリンの「Make It With You」を選んだんですか?

小尾:佐野さんが仰ったように、元の歌はブレッドというソフト・ロックのデビッド・ゲイツというソングライターの曲ですけれど、テイストの違いとかを味わって頂ければ良いかと。

S:そうですね。小尾さんは今まで沢山の洋楽を聴いていらっしゃったと思うんですよ。
洋楽というとお伺いしたいことがあるんですけれどもね。最近では、洋楽が聴かれなくなっている。ってことをよく聞くんですよね。これについてはどう思いますか?

小尾:きっと聴きたがっている層はいると思うんですけれども、なかなかそこに辿り着くきっかけが無いというか、色々今、楽しみの選択があって選べないでいるんじゃないのか。だから、何かちょっと、こういうのが面白いよっていうのを言ってあげると、凄く喜んでくれる人もいるんで、最初、僕はそういうのがおせっかいかなって思っていたんですけれど、もうこの年になるとやっぱり受け継いでいかなきゃいけないんで、伝えるものは伝えなきゃいけないという思いは増してきましたね。

S:街のあちこちで、小尾さんが選んだ曲をDJ風に紹介するという、そういうイベントもやられてるんですよね?

小尾:はい。

S:そういう時のお客さんとしての反応はどうですか?

小尾:やっぱりダイレクトな反応があって嬉しいですよね。

S:そうですよね。まあ僕らは多感な頃に、邦楽も聴いていたけれども、音楽に洋楽から学ぶものって大きかったと思うんですよね。僕自身も音楽を聴き始めたとき、お手本になるソングライターというのが日本には居なかったですよね。ですので海外のソングライターのレコードを聴き、どんなことを歌っているのかって自分なりに理解して、見よう見まねでソングライティングという経験がある。そしてそのうち、ロック音楽を通じて世界を見て社会を見てというようなことまでやっていた。自分にとって音楽というのはとても多感な頃ね、ものの見方を育んでくれた重要な文化物だったですが、小尾さんにとってはどうでしたか?

小尾:そうですね。僕も今まで見られなかったものを見せてくれた、切り開いてくれた、そういったこと感じたものでした。躍動感であるとか高揚感、本当に駆け上がりたいくらいレコードを聴いて嬉しくなりました。

S:小尾さんにとって多感な頃に聴いたその’70年代の洋楽のものの味方や価値観というのは、それはどういうものでしたか?

小尾:そうですね、最終的には自分の生き方というのは自分で決めるんだ、人に左右されない。自分らしくやっていけばなんとかなるんじゃないか。そういった気持ちですよね。

S:ふんふん。小尾さんが最後に選んでくれたこの曲。ニール・ヤングの「Mr. Disappointment」 これはどうしてですか?

小尾:この曲の歌詞を読んでみると「僕たちが誓った約束は一体どこに行ってしまったんだろう、あの日、一緒に分かち合った感情は一体どこへ行ったんだろう、今まで僕は貝にかこわれるように生きてきたけれど、そういった自分が恥ずかしい、歌っていくものはきちんと歌っていかなきゃいけない」っていう宣言があるくらいなんですよね。だから凄くスピリチャルな崇高な歌と思っています。

S:同感ですね。ニール・ヤングは常に物事を継承するということに意識的なシンガーソングライターですよね。’60年代からのキャリアを始めて、ロック音楽の良心とで言っていいくらいの主張をソングライティングの中に入れて、今でもご自身のスタイルでやり通してますよね。本当に尊敬すべきソングライター。今、小尾さんの言われた通りに何か継承すべきものは継承していくんだっていうそういう力強さを感じますよね。
確かこのMr. Disappointmentって曲はアルバム「ARE YOU PASSIONATE?」 というアルバムですよね。君はまだ情熱的があるかって問いかけがあると思うんですよね。

7 Mr. Disappointment :Neil Young


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