存在する音楽

ジャンルに関係なく良いと感じた曲は聴く
誰かの心に存在する音楽は
実際に音が鳴っていない時にも聴こえてくることがある

ミュージック・ポートレイト 吉永小百合 × 坂本龍一 第2夜

2013-08-16 00:01:38 | 坂本龍一
先週に続いて 第2夜です。

古謝美佐子さんをあげるとは!

小泉文夫で交錯しているとは!

坂本龍一61歳、吉永小百合68歳
吉永さんは1945年3月13日生まれ。2つの原爆が落ちた年に生まれ、福島第一原発の事故も人生で経験。
日本から発信しなきゃいけない。

8月15日の教授は大友さんやユザーン、勝井祐二らと盆踊りFUKUSHIMAに参加して、またまたピアニカで「あまちゃん オープニング曲」を演奏。(「八重の桜」でしたーの演奏後のMC)

以下は
NHKのHPよりコピペです。

8月15日放送 吉永小百合 × 坂本龍一 第2夜


坂本龍一 選曲
6曲目<世界へ>
「Olmo E Alfredo」エンニオ・モリコーネ(映画「1900年」より)
坂本「ベルトルッチ(監督)の映画はほんとに高校時代から、好きで。で、この音楽をつくったモリコーネさんというのは、もうずっと長いことベルトルッチとあの一緒に仕事していて。モリコーネさんの映画音楽にもたくさん影響を受けましたし、ほんとにもう、絶対たどり着けないようなすごい人なんですよね」
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7曲目<家族との試練>
「てぃんさぐぬ花」古謝美佐子ほか
坂本「自分の音楽にもその沖縄の音楽を取り入れたいと思って、で、古謝さんたちと知り合ったんですね。で、すっかり意気投合してというか、僕の海外のツアーなんかにも、同行してくれて世界回ったりして。ある日、本番で、モニターといって、その自分とかほかのミュージシャンがやっている音が聞こえなくなっちゃって、うまく歌えなかったと。もう終わってものすごく落ち込んでんですよね。ま、怒りと落ち込みと両方ですかね。それで『あんたたちヤマトンチュは、島唄の歌う気持ちわかんないでしょ!』みたいにすごく怒ってて。沖縄の人と音楽の結びつきってほんとに強くて、大げさに言えば、命賭けて歌ってるんだなというのが。・・・そこでわかりましたね。自分の音楽を大事にしなきゃ、本気でやんなきゃと。教えてもらったんですけども」
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8曲目<父への想い>
「Sabia」アントニオ・カルロス・ジョビン
坂本「取っ組み合いしたらね、あんなに怖かった父なんですが、もう父はその70代でしたから、すぐ倒れちゃったんです。なぐったりしてないんですよ。だけどエイってやったら倒れちゃって。すごく悲しかったですね、やっぱり。こんなに弱くて軽くなっちゃったんだと思って、これは労わんなきゃいけないと思って。それで、父が入院して。(そして、ジョビンの曲をカバーしたアルバムのツアー中に)父親亡くしたっていうことと、ジョビン、まあ会うことはできなかったけど、すごく敬愛してるジョビンの音楽をやっていたときっていうのがこう結びついて、すごく忘れがたい曲になってるんですね」
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9曲目<今の自画像>
「RADIOACTIVITY」クラフトワーク
坂本「ほんとに奇しくもその『放射能』という曲を70年代につくっていて、そのあとにチェルノブイリの事故があり、また今回福島の事故があるということで、とても象徴的な曲になってます。で、ヨーロッパの人はね、身近でチェルノブイリの事故があって、いまだにその記憶が生々しいので、福島のあとドイツがすぐ脱原発の方向に向かったり、次々とね、方針転換をしてますけども、肝心の日本がね・・・」
吉永「そうですね」
坂本「してませんね。何とか早くやめてほしいと思いますけども。はい」
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10曲目<人生の最期に聴きたい曲>
「『マタイ受難曲』から“おお、こうべは血潮にまみれ”」バッハ
坂本「2011年3・11のあとも、やはりなかなか音楽を聴くような気持ちになれなくて、それで音楽に戻っていくときに、最初に聴きたくなるのが『マタイ受難曲』で、それを聴いてるうちに心がほぐれてきて、ほかの音楽も聴けるようになってくるんですね。そういうことが多いんです。なぜそうなのかってわからないんですけど、この曲、この音楽は特別だって言うしかないんですけど。ほんとになんか、音楽の根源のようなね」
吉永「バッハに始まり、バッハに終わるという」
坂本「そう、まあ、ちょっと外したいぐらいなんですけど、こうなってしまいますね」
 




吉永小百合 選曲
6曲目<世界へ>
「コンドルは飛んで行く」(南米の民族音楽)
吉永「(民族音楽学者の小泉文夫さんに)お会いして、もし二人が気が合えば、一緒に旅をしましょうっていうことになって、新宿のホテルで待ち合わせてお目にかかったら、ほんとに素敵で、『あ、ぜひ』っていうことになったんですけども。小さな世界しか私なんか知りませんでしたからね、大きくこう世界を見てる。で、柔らかく見る。楽しさを教えてくださって、忘れられない曲です」
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7曲目<家族との試練>
「希望」岸洋子
吉永「夫が大病をしまして、で、もうすっごく落ち込んじゃったんですよ。もうなんかそれこそ希望を失ってるような感じで。で、歌が聴きたい(と、夫が言った。)何としても、この歌を見つければ、きっと彼は元気になると思ったんですね。で、もう一生懸命レコード探しに、CDを探しに行ったんですけど、もうそのころはあの発売されてから随分経っていて、どこにもなかったんですね。で、思い切って岸さんの事務所にご連絡して、『ないでしょうか』って言ったら、カセットであったんですね。で、それをいただいてきて、病室で何度も何度もそれ聴いて、すごく励まされたと思うんですけども。全く元気になって、今はもうぴんぴんして、それこそ世界の遺産を見て歩いたりしてるんですけどね」
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8曲目<平和への想い>
「生ましめんかな」栗原貞子
吉永「1945年に生まれたというのはとても大きいと思うんですね。その年に原爆が二つ落とされて、で、私はそういう中で、戦火を浴びながらも、今までこう生きてきたっていうのは、とても重いことだと思うし、自分がこう表現者として仕事をしているので、伝えていく、語って伝えていくということはできる限りやりたいと。それが私がその、この年に生まれて生きてきたということの、なんかこう証しみたいな感じになっているかしらとは思うんですけどね」
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9曲目<今の自画像>
「Merry Christmas Mr.Lawrence」坂本龍一(映画「戦場のメリークリスマス」メインテーマ)
吉永「(イギリスのオックスフォード大学での朗読会で演奏された)坂本さんのその『戦場のメリークリスマス』が、そのチャペルにいる人たちだけじゃなくて、イギリスからまた世界にこう流れていったような、そんな思いが私はしました」
坂本「なるほどね」
吉永「広島・長崎だけじゃなくて、福島ということがすごく大きな問題になっていって。もう年月が少しずつ経っていくと忘れてしまう人も多いんですけど、やっぱりとても大事なことで、人間の命というものをすごくこう、あの場所で思いました」
坂本「だから、日本からやはり世界に向けて発信しないと…」
吉永「そうですね」

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10曲目<人生の最期に聴きたい曲>
「あの青い空のように」(映画「北のカナリアたち」より)
吉永「人生の最後に聴きたい歌っていうのが、どうしてもイメージできないんですよ。そこまでまだこう追い詰められてないというか、体も少しずつほころびが出て、まずい部分もあるんですけど、なんかもうちょっと走りたいなという部分があって」
坂本「ああ、素晴らしい」
吉永「だからなんかそういう、自分を支えてくれる歌みたいなものだったら、今ね。
(映画「北のカナリアたち」は)『二十四の瞳』のちょっと違うバージョンみたいな感じなんですけど」
坂本「ね」
吉永「6人のあの子供たちが歌った、『あの青い空のように』っていう曲がとても、
思い出すたびに、たぶんこれからまた少しずつ、もちろんフィナーレに向かってですけども、歩いて行けるかしらという曲になっています」

コメント
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