VISITORS ライナーノーツに
「この街に来て初めての友達がドラッグで死んだ」
ピアニスト ロン・スレーター 1983年7月没
雑誌「This」vol.3 ’83,11 ロンに宛てた文
Dear my friend Ron
今日 君のガールフレンドから知らせを受けた。悲しいニュースだった。ロン、君はこのマンハッタンのどこかで死んでしまっていたんだね。君は僕がこの街へ来てから初めての友達だった。嬉しかったんだ。例え女たちが君のことを無神経で礼儀知らずだと言ったって、僕は君と大騒ぎしたあの時間が楽しかったよ。
イヴォンス・シウォールさんと会う元春
当時、小さなライヴ・ハウスのオーナーだった。NYで孤独だった元春はロンとの出会いがきっかけで変わっていった。
イヴォンス「ロンは今って思ったら、ぶっとんでいったわ。ロンもモトの自由で明るい面を引き出した。」
ロン死後も交流が続いた30年ぶりの再会
元春「思い出で言うとね、とにかく僕は街のあちこちのクラブに連れて行ってくれて、良いこと悪いことも教えてくれた。たぶん、彼女は知らないと思うよ。」
イ「ロンはかなり個性的だったものね」
元春「彼はオーヴァードーズ(薬物の過剰摂取)で亡くなったんだけど、その時はとてもショックを受けた。それで、それまで僕はこの街でレコーディングするためにの曲を書いていたんだけれども、それを全部捨てました。(日本で用意していた曲を)NYで作り直すことを決めた。」
イヴォンスはカセットテープ リハーサルを遊びで録音したものを再生
元春「当時、本当 毎晩毎晩いろんなライヴハウスを一緒に回りながら明け方まで騒いでいた。その時の様子がまるで昨日の景色のように思い浮かんできましたね。音を聞くことによってね。」
イヴォンス「その時、ロンは新曲のデモテープを作っていたの。時間通りにリハーサルにも来て真剣に取り組んでいた。ところがある日突然、姿を見せなくなったの。異変を察して探して、遺体安置所で彼を発見した。7月の暑さでかなり腐敗していた。それがロンだったの。モトにロンの死を伝えたの。」
1986年 シャドウズ・オブ・ザ・ストリート
元春「ロンスレーターの死が無ければ僕はVISITORSは作らなかったと思う。ある意味、ロン・スレーターには凄く感謝している。今日はね、イヴォンヌに会えて良かった。」頬にキスしあう二人。
サウンド・ストリート MRS(元春レイディオショー)
小川洋子「ラジオを抱くようにして聴いてましたね。(笑)」
1983~84年 NYの佐野元春のアパートメントの部屋から
NYの第一声 1983年6月6日 セントラルパークでロケ。山羊にインタビューして「山羊は何も答えてくれません」
セントラルパークのベンチに座って当時のことをスタッフにインタビューされる元春
スタッフ「どうして山羊にインタビューをされたのですか?」
元春「友達が一人もいなかったからせめて動物のぬくもりを感じようと思って寂しい始まりだったんだね。」
MRSの一部は流れる
7月4日の独立記念日のNYの各場所の様子を語る元春。最初は観光っぽい。‘83年10月からはレコーディング・プロジェクトに入ってる。
阿部吉剛ゲスト1983,10,3のMRS
元春「僕が物心ついたころから東京の街がどんどん変わっていくのを感じる。土とがあったえけれど、コンクルートに代わったりとか、アジア的風景が変わっていく。この変化とは何かと東京にいる時からも感じていたけれど、NYに来てよくわかった。街にいると直接性が奪われてしまうので何だか生きている実感がしないなっていうことを言おうとしてると思うんですよね。思い出して欲しいのは1983年ってまだバブル経済には至っていない。でも何か奇妙なことが起こりつつあるなっている東京に居て感じてました。僕は東京で生まれて東京で育って、渋谷辺りで遊んだりしてた。まだ野原があったりザワザワする魑魅魍魎なものがあったけれど、色々な資本が街に入ってきて、ビルが建ち何か表面的なものが広がっていく。それがNYに来る前の東京の様子でした。それがヒップポップへの興味にもつながったと思いますね。WILD ON THE STREET ミッドタウンあたりの5th AVENUE 金持ちたちがよく歩いている その道を黒人たちが闊歩していて出来上がった価値をこわしていくかのような野性味に溢れた景色ですよね。既成の街の中で野性的に生きている人たちのことを歌いたかった。ヒップポップはコンセプトの一つに直接性を取り戻せというのがあったと思います。人間の生きている実感を軸にした表現をてらうことなくやっていこうぜ。ワイルドになろうぜ。って、そういう傾向があったと思います。
カムシャイニング
宇多丸:これ今聴いても、凄く格好良い。全然古くないっていうか、むしろ、今のムギーと言われるようなエレクトリック・ファンクですね。’83- 84のNY 一番行きたかったNYがここに詰まっている。行ってみたい!
チャーリー・エイハーン監督 映画「ワイルド・スタイル」’83年作品
「ヒップポップの洗礼を受けた アメリカの底辺から生み出された非常に興味深いアートの流れを感じた。」
それまでブロンクスで広がっていたものが白人のロック・ミュージシャンにも波及するようになっていった。一番自由な時期。ウッドストックみたいな昔のロックの歴史に寄りかかっている時じゃねえぞ、と今まさにスゲエことが目の前で起こってるんだから ということですよね。
アベニューBはもっとも当時危険なストリートだった。
スタッフ「ベルベット・ムーンライトとは?」
元春「うーん これはかなりヤバイですね。スラングですね(ドラッグ)」
宇多丸:佐野さんがラッパーと一番違うのは、佐野さんが見ている光景を軸にしているんだけどポップスとしての抽象化が行われているというところが佐野さんの歌ですよね。日本語ラップの歴史というようりは!
元春「僕は言葉とビートのつなぎ目のないご機嫌でストロングな表現をしたいとずーっと思っていた訳ですけれども、’83年この街でヒップホップに出会った時に一つの大きなヒントを貰ったような気がした。でも、あのVISITORSでヒップホップ・アルバムを作ろうなんて一回も思ったことはない。僕がやりたかったのは、それまでに無かった新しい表現のある一級のロックアルバム」
宇多丸:日本語でDJをやったりするんですれど、「カムシャイニング」めちゃくちゃ盛り上がりますよ!
スタジオで
元春「ダンスレコードは5~6分とものすごく長いんですけれども、飽きさせずに聴いてもらう必要がある。途中で聞こえてくる木琴の音、マリンバ、トウルル・・・これは僕にとってはアンユージュアル(独特)な表現でオリエンタルな表現」
本物のマリンバの生音にシンセを重ねた 18CH シンセ、9-10CH マリンバ のコンビネーション
元春「少し立体的に聴こえる」
トークス「シンセだけだと乾いた音、マリンバだけでも味気ない。空間的な広がりを持った自然な臨場感を与えたかった。」
元春「このカムシャイニングにとっては、このマリンバ・サウンドっていうのはとても重要だよね。とても目立って聞こえる。」
さまざまなパーカッションも使っている。
18CH ウッドブロック
ドラムセッション(4CH ハイハット 3CH スネア 2CH バスドラム)
ドラム・サウンドに対して、バシリ・ジョンソン(パーカッショニスト)のリズムを口で
元春「バシリのウッドブロックが加わると全体がリズムが凄い豊かに聴こえる。バシリの音をカットしてくれる?」
トークスがカット
元春「加えるとただ、これだけでなく、ダンスフルになる」
スタッフ:バシリにインタビューした映像があります とiPADを渡す。
バシリ「彼はあの音楽であの時代をアルバムで表現していたんだ。」
トークス「NYCの中でも色んな音楽に流されそうになる中で、モト、君は決して見失わなかったね。」
銀次:1984,1,16と23のMRSのDJは銀次 国際電話で話す二人
銀次:アルバムはどんな雰囲気のものになりそう?
元春:そうだね、1STアルバム「バック・トゥ・ザ・ストリート」の頃は言いたいこと、やりたいことがいっぱいあって、無我夢中のうちに作っていた。「サムデイ」は音楽のために音楽をやったという感じがあった。こっちに来てから今は1STの頃の感覚になってきたんだ。食事をしたり、街を歩いたり、それと同じレベルで音楽をやれる。とにかくレコーディング作りをこっちで楽しくやれる。」
銀次:NYに行ったことによってヒットソングとか、そういうことじゃなくてね。音楽が日常、歯を磨いたり、ご飯を食べるのと同じような場所に行ったことによって、もう一度 誘発されて出てきたんじゃないかな。
元春:生活レベルで音楽をするということですよね。VISITORSの中の何曲かはこの街を歩く速度でテンポを決めました。音楽と言うのはコミュニケーションの道具の一つでもあると思うんですよね。例えば、友達を作ろうと思うの有れば、自分の得意技であるのが音楽ということになりますよね。ポップロックの様式に日本語をそこに嵌めて歌ったりすると周りの友達は面白がってくれる。もっとモトやってくれよって多くの見知らぬ人たちとコミュニケーションし、議論し、一緒に大声でしゃべり、一緒に大股で街を歩いて食事をし、そこに生きているという実感があったんだと思いますね。」
1984,5,21 アルバムチャート1位 VISITORS
評価は賛否両論。
ラジオのリスナーからの反応・・・コメントをラジオで読む元春の音声
「前の元春は『TONIGHT』だけでした。他の曲は全部スピーディーだけど冷たい。私はロマンチックだけで優しいでも、それだけでは終わらない元春サウンドが好きでした。正直少し寂しいです。何となく元春の今の伝え方が怖いです。その否定的なところ危険であること、今リアルに感じたくないって気持ちがあるのかもしれません。『アンジェリーナ』や『ガラスのジェネレーション』を歌っていた佐野元春は本当にあなたなんですか?すぐに壊れてしまう世代のBOYS&GIRLS世代にとっては寂しく感じさせてしまうんじゃないですか?」
銀次:なるほど。でもよく読んだね!僕だった読まないかもしれない。辛くて読めない。
小川洋子:天才の宿命じゃないですか。まあちょっと新しすぎる感じがありますよね。ある意味期待を裏切るということと紙一重なんですけれど。
吉成伸幸:変わってしまって残念んだって意見ですよね。アーティストに同じことを繰り返せよと要求しているようなもんで、アーティストによって、いや、そうじゃない。それをやっちゃうと本当にポップスになっちゃう。
宇多丸:否定派の意見もある意味『VISITORS』のある側面を確かに言い当ててはいますよね。ピリピリはしてますよ、そりゃ。特に今のNYと違って、まだ物凄く治安が悪いんですよ。全然、そんなセンチメンタルにガラスじゃ生きていけないんですよ。そこを敏感に感じ取って優しくない 実は当たってるんでしょうね。
元春:大方、歓迎されるかなあと思っていたんですけれど、「何だよこの音楽は」って言われる言われた声の方を大きく感じたので、少しビックリしました。もう「あんたなんか嫌い」って言われてるのとぼぼ同じですよね。
28歳当時の元春がラジオでコメントする様子 1984,6,4
「僕が今から言うことはもしかしたら何人かのファンを失うことになるかもしれないし、あるいは、驕り高ぶった意見として解釈されるかもしれませんけども、僕はもしね、自分の真意がくぐもったまま相手 到達していくんであれば、僕が例えばヒットチャートで1位になるとか、あるいはシングルでベストテンに入るとか、そういったことは今のところ僕にとっては重要な問題じゃないですよね。何て言うかな。とても寂しいと感じるのが僕の正直な意見です。」
それを聞いた元春:かなり暗い。暗くなっちゃってるね。どうしちゃったの佐野君って感じだね(笑)。1984,6,4めったに自分の心情を裸にすることはなかった。でも、これは裸ん坊になった時ですね。全然覚えてないです。こんな発言をしたことは、よっぽどのことだったと思います。(笑)ただ、僕の若いファンに批評的なことを言われるのは全然僕はOKだった。だって僕からしたら妹の世代、弟の世代。お兄さんが外国に行って急に変わって来ちゃってビックリするのは当たり前だよね。でも僕と同世代や僕より年上の評論家が何だかんだとケチをつけるのは「何も解ってねえな」って思ってた。
シェイム
吉成伸幸:頭の中にずっと残っているのは、『シェイム』ですね。歌詞が重たく響いてきて、「エゴ」という言葉を一言で全て言っちゃっている気がする。人間の身勝手さ、世の中の不条理すべてに対して自分が感じる問題であるとか。
小川洋子:佐野さんの怒り方ってこういう怒り方なんだなと。バイクを飛ばすのでもなく、海に向かって叫ぶのでもなく、整然と辞書から切り貼りしたみたいに単語を並べることによって、すんごい静かな怒りが、しかし、すんごいエネルギーを持った怒りが伝わってきますよね。ここに羅列される単語がね、怒りという光を持ってスパークしてる感じですね。
ナレーション/ 佐野自身はどんな事に怒っていたのか?
1983,11,21 プロテスト・ソング集のラジオより
「NYにいて街を歩いていると戦争で傷ついてハンディ・キャップを背負っている人をよく見かけます。ベトナム戦争がこの国に残した傷跡は予想以上に深いです。政治的なステートメントを含んだ曲が割と頻繁にリリースされています。確実に時代がいい方向には向かってはいないということです。」
元春:時事的なものを取り上げた曲は時代が減ると陳腐に響いてしまうものもあります。『シェイム』のあの詩、あのメロディーがなかったら、ポップソングらしくない詩を誰が聴いてくれますか?って話。パンクロッカーみたいに、ここに(右鼻の穴に親指を入れて人差し指で挟み)ピンを刺して「I’m so angry」って言ったって、そうですか?って話だ。」
小川洋子:80年代以降の世界のあり様を見ていると怒らなくちゃいけないって、生々しく伝わってくる詩ですよね。社会とか世界とか物凄い広いものとつながれる曲。それも佐野さんの大きな魅力。
セントラルパークのベンチでのインタビュー
元春:丁度、このあたりですね。とベンチに座り、セントラルパークについて知ったのは『ライ麦畑でつかまえて』だったと思います。僕にとってはイノセンスの象徴。その小説の中で主人公がセントラルパークの池のほとりに来て、こんな風に言うんですね。「夏の間いた鳥たちは冬になったらどこに飛んで行ってしまうんだろう」この池を見て何かその主人公の言っている意味が解った気がしました。
SUNDAY MORNING BLUE
小川洋子:ベンチとかワインとかね。心の内を表わす言葉を使ってないですね。唯一「君がいなければ」っていうところだけ内側がちょっと覗くかなっていう手前で止まっている。君がいなくて寂しいってことは歌わないんですよね。
元春:聖なるものと世俗的なものをぶつけることによって、その先にどんなイメージが生まれるんだろうってことを曲の中で実験してみた。「窓辺の天使」ってのは無垢の象徴だとしたら、FOUR-LETTE-WORDS(四文字言葉)ってのは、こんなことNHKでやっていいのかどうかは、わかんないけど(右手中指をカメラに向けて立る)
(インチキphoniesって言葉をジョン・レノンも使っている。)
Q 君とは?
小川洋子:情緒的ではない使い方で君というのを使っている気がしますよね。
吉成伸幸:一番最初にストロベリー・ワインっていうのが出てきますよね。ああ、ジョンだと思ったんですよ。ジョン・レノンがいてくれたらなと。
1980年12月8日 射殺された。マーク・チャップマンも『ライ麦畑でつかまえて』の愛読者で犯行時も持参していたとの報道があった。
元春:ここからすぐ近くのダコタ・アパートメントで暗殺された。自分はここに座って、そのことを生々しく感じていたってことですよね。わかるよ、完璧な純粋さは危ない。僕は一番気を付けているのは人々が汚れているって思うものも僕の中では清らかであったりする。人が清らかだと思うものが僕には薄汚れて感じるものもある。
小川洋子:人間の心の本当に大事な部分は物凄く危ういもので、言葉で容易に置き換えられない本当の真実には行きつけないというのが佐野さんのやり方かなって思いますね。
元春:だから僕は出来るだけ自分の心に沿って自分の心に映った映像を正直にスケッチしたい。『VISITORS』の時にはこのセントラルパークに来て、自分の目の前にあるものを率直にスケッチした。
銀次:最高傑作。これが無かったら彼は今、続いてませんよ。僕には彼ほどの勇気はない。僕はビビるね、よく作ったと思う。
宇多丸:『VISITORS』から学ぶべきことはいっぱいある。日本人が特に内向きに意識がなってるって言うじゃないですか。どっかに行って刺激を受けてくるとか、そういうことって結構大事だよとか。
元春:マルチトラックで『NEW AGE』を聴く
小川洋子:ひとかけらも時代的なことを感じさせない。30年 超越している。何ら古びない 音と言葉の生みつける力を備えた作品だと思います。
Q 30年ぶりにマルチを聴いて
元春:マルチを聴いて何か懐かしい気持ちになるかなと思ったけれど、なかったですね。その音、言葉、今でも生きているなあと。1984年 あの時代に取りつかれてた様に作ったアルバム。いつも思うことは、どうか作っている自分のメッセージ、この音、記録がいつまでも古びずに普遍性が宿ってくれたらいいな。感じてくれたらいいなと思います。
「この街に来て初めての友達がドラッグで死んだ」
ピアニスト ロン・スレーター 1983年7月没
雑誌「This」vol.3 ’83,11 ロンに宛てた文
Dear my friend Ron
今日 君のガールフレンドから知らせを受けた。悲しいニュースだった。ロン、君はこのマンハッタンのどこかで死んでしまっていたんだね。君は僕がこの街へ来てから初めての友達だった。嬉しかったんだ。例え女たちが君のことを無神経で礼儀知らずだと言ったって、僕は君と大騒ぎしたあの時間が楽しかったよ。
イヴォンス・シウォールさんと会う元春
当時、小さなライヴ・ハウスのオーナーだった。NYで孤独だった元春はロンとの出会いがきっかけで変わっていった。
イヴォンス「ロンは今って思ったら、ぶっとんでいったわ。ロンもモトの自由で明るい面を引き出した。」
ロン死後も交流が続いた30年ぶりの再会
元春「思い出で言うとね、とにかく僕は街のあちこちのクラブに連れて行ってくれて、良いこと悪いことも教えてくれた。たぶん、彼女は知らないと思うよ。」
イ「ロンはかなり個性的だったものね」
元春「彼はオーヴァードーズ(薬物の過剰摂取)で亡くなったんだけど、その時はとてもショックを受けた。それで、それまで僕はこの街でレコーディングするためにの曲を書いていたんだけれども、それを全部捨てました。(日本で用意していた曲を)NYで作り直すことを決めた。」
イヴォンスはカセットテープ リハーサルを遊びで録音したものを再生
元春「当時、本当 毎晩毎晩いろんなライヴハウスを一緒に回りながら明け方まで騒いでいた。その時の様子がまるで昨日の景色のように思い浮かんできましたね。音を聞くことによってね。」
イヴォンス「その時、ロンは新曲のデモテープを作っていたの。時間通りにリハーサルにも来て真剣に取り組んでいた。ところがある日突然、姿を見せなくなったの。異変を察して探して、遺体安置所で彼を発見した。7月の暑さでかなり腐敗していた。それがロンだったの。モトにロンの死を伝えたの。」
1986年 シャドウズ・オブ・ザ・ストリート
元春「ロンスレーターの死が無ければ僕はVISITORSは作らなかったと思う。ある意味、ロン・スレーターには凄く感謝している。今日はね、イヴォンヌに会えて良かった。」頬にキスしあう二人。
サウンド・ストリート MRS(元春レイディオショー)
小川洋子「ラジオを抱くようにして聴いてましたね。(笑)」
1983~84年 NYの佐野元春のアパートメントの部屋から
NYの第一声 1983年6月6日 セントラルパークでロケ。山羊にインタビューして「山羊は何も答えてくれません」
セントラルパークのベンチに座って当時のことをスタッフにインタビューされる元春
スタッフ「どうして山羊にインタビューをされたのですか?」
元春「友達が一人もいなかったからせめて動物のぬくもりを感じようと思って寂しい始まりだったんだね。」
MRSの一部は流れる
7月4日の独立記念日のNYの各場所の様子を語る元春。最初は観光っぽい。‘83年10月からはレコーディング・プロジェクトに入ってる。
阿部吉剛ゲスト1983,10,3のMRS
元春「僕が物心ついたころから東京の街がどんどん変わっていくのを感じる。土とがあったえけれど、コンクルートに代わったりとか、アジア的風景が変わっていく。この変化とは何かと東京にいる時からも感じていたけれど、NYに来てよくわかった。街にいると直接性が奪われてしまうので何だか生きている実感がしないなっていうことを言おうとしてると思うんですよね。思い出して欲しいのは1983年ってまだバブル経済には至っていない。でも何か奇妙なことが起こりつつあるなっている東京に居て感じてました。僕は東京で生まれて東京で育って、渋谷辺りで遊んだりしてた。まだ野原があったりザワザワする魑魅魍魎なものがあったけれど、色々な資本が街に入ってきて、ビルが建ち何か表面的なものが広がっていく。それがNYに来る前の東京の様子でした。それがヒップポップへの興味にもつながったと思いますね。WILD ON THE STREET ミッドタウンあたりの5th AVENUE 金持ちたちがよく歩いている その道を黒人たちが闊歩していて出来上がった価値をこわしていくかのような野性味に溢れた景色ですよね。既成の街の中で野性的に生きている人たちのことを歌いたかった。ヒップポップはコンセプトの一つに直接性を取り戻せというのがあったと思います。人間の生きている実感を軸にした表現をてらうことなくやっていこうぜ。ワイルドになろうぜ。って、そういう傾向があったと思います。
カムシャイニング
宇多丸:これ今聴いても、凄く格好良い。全然古くないっていうか、むしろ、今のムギーと言われるようなエレクトリック・ファンクですね。’83- 84のNY 一番行きたかったNYがここに詰まっている。行ってみたい!
チャーリー・エイハーン監督 映画「ワイルド・スタイル」’83年作品
「ヒップポップの洗礼を受けた アメリカの底辺から生み出された非常に興味深いアートの流れを感じた。」
それまでブロンクスで広がっていたものが白人のロック・ミュージシャンにも波及するようになっていった。一番自由な時期。ウッドストックみたいな昔のロックの歴史に寄りかかっている時じゃねえぞ、と今まさにスゲエことが目の前で起こってるんだから ということですよね。
アベニューBはもっとも当時危険なストリートだった。
スタッフ「ベルベット・ムーンライトとは?」
元春「うーん これはかなりヤバイですね。スラングですね(ドラッグ)」
宇多丸:佐野さんがラッパーと一番違うのは、佐野さんが見ている光景を軸にしているんだけどポップスとしての抽象化が行われているというところが佐野さんの歌ですよね。日本語ラップの歴史というようりは!
元春「僕は言葉とビートのつなぎ目のないご機嫌でストロングな表現をしたいとずーっと思っていた訳ですけれども、’83年この街でヒップホップに出会った時に一つの大きなヒントを貰ったような気がした。でも、あのVISITORSでヒップホップ・アルバムを作ろうなんて一回も思ったことはない。僕がやりたかったのは、それまでに無かった新しい表現のある一級のロックアルバム」
宇多丸:日本語でDJをやったりするんですれど、「カムシャイニング」めちゃくちゃ盛り上がりますよ!
スタジオで
元春「ダンスレコードは5~6分とものすごく長いんですけれども、飽きさせずに聴いてもらう必要がある。途中で聞こえてくる木琴の音、マリンバ、トウルル・・・これは僕にとってはアンユージュアル(独特)な表現でオリエンタルな表現」
本物のマリンバの生音にシンセを重ねた 18CH シンセ、9-10CH マリンバ のコンビネーション
元春「少し立体的に聴こえる」
トークス「シンセだけだと乾いた音、マリンバだけでも味気ない。空間的な広がりを持った自然な臨場感を与えたかった。」
元春「このカムシャイニングにとっては、このマリンバ・サウンドっていうのはとても重要だよね。とても目立って聞こえる。」
さまざまなパーカッションも使っている。
18CH ウッドブロック
ドラムセッション(4CH ハイハット 3CH スネア 2CH バスドラム)
ドラム・サウンドに対して、バシリ・ジョンソン(パーカッショニスト)のリズムを口で
元春「バシリのウッドブロックが加わると全体がリズムが凄い豊かに聴こえる。バシリの音をカットしてくれる?」
トークスがカット
元春「加えるとただ、これだけでなく、ダンスフルになる」
スタッフ:バシリにインタビューした映像があります とiPADを渡す。
バシリ「彼はあの音楽であの時代をアルバムで表現していたんだ。」
トークス「NYCの中でも色んな音楽に流されそうになる中で、モト、君は決して見失わなかったね。」
銀次:1984,1,16と23のMRSのDJは銀次 国際電話で話す二人
銀次:アルバムはどんな雰囲気のものになりそう?
元春:そうだね、1STアルバム「バック・トゥ・ザ・ストリート」の頃は言いたいこと、やりたいことがいっぱいあって、無我夢中のうちに作っていた。「サムデイ」は音楽のために音楽をやったという感じがあった。こっちに来てから今は1STの頃の感覚になってきたんだ。食事をしたり、街を歩いたり、それと同じレベルで音楽をやれる。とにかくレコーディング作りをこっちで楽しくやれる。」
銀次:NYに行ったことによってヒットソングとか、そういうことじゃなくてね。音楽が日常、歯を磨いたり、ご飯を食べるのと同じような場所に行ったことによって、もう一度 誘発されて出てきたんじゃないかな。
元春:生活レベルで音楽をするということですよね。VISITORSの中の何曲かはこの街を歩く速度でテンポを決めました。音楽と言うのはコミュニケーションの道具の一つでもあると思うんですよね。例えば、友達を作ろうと思うの有れば、自分の得意技であるのが音楽ということになりますよね。ポップロックの様式に日本語をそこに嵌めて歌ったりすると周りの友達は面白がってくれる。もっとモトやってくれよって多くの見知らぬ人たちとコミュニケーションし、議論し、一緒に大声でしゃべり、一緒に大股で街を歩いて食事をし、そこに生きているという実感があったんだと思いますね。」
1984,5,21 アルバムチャート1位 VISITORS
評価は賛否両論。
ラジオのリスナーからの反応・・・コメントをラジオで読む元春の音声
「前の元春は『TONIGHT』だけでした。他の曲は全部スピーディーだけど冷たい。私はロマンチックだけで優しいでも、それだけでは終わらない元春サウンドが好きでした。正直少し寂しいです。何となく元春の今の伝え方が怖いです。その否定的なところ危険であること、今リアルに感じたくないって気持ちがあるのかもしれません。『アンジェリーナ』や『ガラスのジェネレーション』を歌っていた佐野元春は本当にあなたなんですか?すぐに壊れてしまう世代のBOYS&GIRLS世代にとっては寂しく感じさせてしまうんじゃないですか?」
銀次:なるほど。でもよく読んだね!僕だった読まないかもしれない。辛くて読めない。
小川洋子:天才の宿命じゃないですか。まあちょっと新しすぎる感じがありますよね。ある意味期待を裏切るということと紙一重なんですけれど。
吉成伸幸:変わってしまって残念んだって意見ですよね。アーティストに同じことを繰り返せよと要求しているようなもんで、アーティストによって、いや、そうじゃない。それをやっちゃうと本当にポップスになっちゃう。
宇多丸:否定派の意見もある意味『VISITORS』のある側面を確かに言い当ててはいますよね。ピリピリはしてますよ、そりゃ。特に今のNYと違って、まだ物凄く治安が悪いんですよ。全然、そんなセンチメンタルにガラスじゃ生きていけないんですよ。そこを敏感に感じ取って優しくない 実は当たってるんでしょうね。
元春:大方、歓迎されるかなあと思っていたんですけれど、「何だよこの音楽は」って言われる言われた声の方を大きく感じたので、少しビックリしました。もう「あんたなんか嫌い」って言われてるのとぼぼ同じですよね。
28歳当時の元春がラジオでコメントする様子 1984,6,4
「僕が今から言うことはもしかしたら何人かのファンを失うことになるかもしれないし、あるいは、驕り高ぶった意見として解釈されるかもしれませんけども、僕はもしね、自分の真意がくぐもったまま相手 到達していくんであれば、僕が例えばヒットチャートで1位になるとか、あるいはシングルでベストテンに入るとか、そういったことは今のところ僕にとっては重要な問題じゃないですよね。何て言うかな。とても寂しいと感じるのが僕の正直な意見です。」
それを聞いた元春:かなり暗い。暗くなっちゃってるね。どうしちゃったの佐野君って感じだね(笑)。1984,6,4めったに自分の心情を裸にすることはなかった。でも、これは裸ん坊になった時ですね。全然覚えてないです。こんな発言をしたことは、よっぽどのことだったと思います。(笑)ただ、僕の若いファンに批評的なことを言われるのは全然僕はOKだった。だって僕からしたら妹の世代、弟の世代。お兄さんが外国に行って急に変わって来ちゃってビックリするのは当たり前だよね。でも僕と同世代や僕より年上の評論家が何だかんだとケチをつけるのは「何も解ってねえな」って思ってた。
シェイム
吉成伸幸:頭の中にずっと残っているのは、『シェイム』ですね。歌詞が重たく響いてきて、「エゴ」という言葉を一言で全て言っちゃっている気がする。人間の身勝手さ、世の中の不条理すべてに対して自分が感じる問題であるとか。
小川洋子:佐野さんの怒り方ってこういう怒り方なんだなと。バイクを飛ばすのでもなく、海に向かって叫ぶのでもなく、整然と辞書から切り貼りしたみたいに単語を並べることによって、すんごい静かな怒りが、しかし、すんごいエネルギーを持った怒りが伝わってきますよね。ここに羅列される単語がね、怒りという光を持ってスパークしてる感じですね。
ナレーション/ 佐野自身はどんな事に怒っていたのか?
1983,11,21 プロテスト・ソング集のラジオより
「NYにいて街を歩いていると戦争で傷ついてハンディ・キャップを背負っている人をよく見かけます。ベトナム戦争がこの国に残した傷跡は予想以上に深いです。政治的なステートメントを含んだ曲が割と頻繁にリリースされています。確実に時代がいい方向には向かってはいないということです。」
元春:時事的なものを取り上げた曲は時代が減ると陳腐に響いてしまうものもあります。『シェイム』のあの詩、あのメロディーがなかったら、ポップソングらしくない詩を誰が聴いてくれますか?って話。パンクロッカーみたいに、ここに(右鼻の穴に親指を入れて人差し指で挟み)ピンを刺して「I’m so angry」って言ったって、そうですか?って話だ。」
小川洋子:80年代以降の世界のあり様を見ていると怒らなくちゃいけないって、生々しく伝わってくる詩ですよね。社会とか世界とか物凄い広いものとつながれる曲。それも佐野さんの大きな魅力。
セントラルパークのベンチでのインタビュー
元春:丁度、このあたりですね。とベンチに座り、セントラルパークについて知ったのは『ライ麦畑でつかまえて』だったと思います。僕にとってはイノセンスの象徴。その小説の中で主人公がセントラルパークの池のほとりに来て、こんな風に言うんですね。「夏の間いた鳥たちは冬になったらどこに飛んで行ってしまうんだろう」この池を見て何かその主人公の言っている意味が解った気がしました。
SUNDAY MORNING BLUE
小川洋子:ベンチとかワインとかね。心の内を表わす言葉を使ってないですね。唯一「君がいなければ」っていうところだけ内側がちょっと覗くかなっていう手前で止まっている。君がいなくて寂しいってことは歌わないんですよね。
元春:聖なるものと世俗的なものをぶつけることによって、その先にどんなイメージが生まれるんだろうってことを曲の中で実験してみた。「窓辺の天使」ってのは無垢の象徴だとしたら、FOUR-LETTE-WORDS(四文字言葉)ってのは、こんなことNHKでやっていいのかどうかは、わかんないけど(右手中指をカメラに向けて立る)
(インチキphoniesって言葉をジョン・レノンも使っている。)
Q 君とは?
小川洋子:情緒的ではない使い方で君というのを使っている気がしますよね。
吉成伸幸:一番最初にストロベリー・ワインっていうのが出てきますよね。ああ、ジョンだと思ったんですよ。ジョン・レノンがいてくれたらなと。
1980年12月8日 射殺された。マーク・チャップマンも『ライ麦畑でつかまえて』の愛読者で犯行時も持参していたとの報道があった。
元春:ここからすぐ近くのダコタ・アパートメントで暗殺された。自分はここに座って、そのことを生々しく感じていたってことですよね。わかるよ、完璧な純粋さは危ない。僕は一番気を付けているのは人々が汚れているって思うものも僕の中では清らかであったりする。人が清らかだと思うものが僕には薄汚れて感じるものもある。
小川洋子:人間の心の本当に大事な部分は物凄く危ういもので、言葉で容易に置き換えられない本当の真実には行きつけないというのが佐野さんのやり方かなって思いますね。
元春:だから僕は出来るだけ自分の心に沿って自分の心に映った映像を正直にスケッチしたい。『VISITORS』の時にはこのセントラルパークに来て、自分の目の前にあるものを率直にスケッチした。
銀次:最高傑作。これが無かったら彼は今、続いてませんよ。僕には彼ほどの勇気はない。僕はビビるね、よく作ったと思う。
宇多丸:『VISITORS』から学ぶべきことはいっぱいある。日本人が特に内向きに意識がなってるって言うじゃないですか。どっかに行って刺激を受けてくるとか、そういうことって結構大事だよとか。
元春:マルチトラックで『NEW AGE』を聴く
小川洋子:ひとかけらも時代的なことを感じさせない。30年 超越している。何ら古びない 音と言葉の生みつける力を備えた作品だと思います。
Q 30年ぶりにマルチを聴いて
元春:マルチを聴いて何か懐かしい気持ちになるかなと思ったけれど、なかったですね。その音、言葉、今でも生きているなあと。1984年 あの時代に取りつかれてた様に作ったアルバム。いつも思うことは、どうか作っている自分のメッセージ、この音、記録がいつまでも古びずに普遍性が宿ってくれたらいいな。感じてくれたらいいなと思います。