安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係
振り返って我が身を見ると押し寄せる「老化の波」との戦いが始まっている。
昨年並みの「売り上げ確保」など望むべくも無く、いかにして広げた手を狭めていくかに知恵を絞らねば
ならない。
そのリストラに聖域は無い。
冬場の主力商品となるヘソ大根だって対象になる。
へそ大根は「手のかかる生産物」のワースト3に入り、そのため冬場でさえ「暇が無い状態」となっている。
昔の貧乏農家でさえ冬場は「湯治」に出かけたというのに、これでは「湯治」どころか一泊の温泉旅行さえ
ままならない。
(夜に内側から撮影したヘソ大根。乾いたものは取り入れ既に二巡目に突入している)
この仕事も生産部長に一番負担がかかっている。
しかし、身体は既に「過去の人」になっているのに意気込みだけは衰えない。
「いきなりゼロ」は無いとしてもせめて「半減」ぐらいは目指したい。
「権利の上に眠るものは・・・」シリーズで五回、「平和偽装集落」も五回書き続けたが、この種の記事の
掲載には多くのエネルギーを必要とする。
農繁期で忙しい時期の夜だと、とてもそんなエネルギーは残っていない。
農閑期の今だからこそ「書けた」と言っていい。
書いているとどうしても夏目漱石の「草枕」の書き出しが頭をよぎる。
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると安い所 へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれ画が出来る。
(鶏糞堆肥を搬出した鶏舎には新しい籾殻を敷いた。)
そして、次に口ずさむ歌が若い頃からの愛唱歌、ザ・カーナビーツの「オーケイ!」
たとえ世界中が
ぼくに冷たくても OK
君がいれば OK
愛があれば OK
何もいらない.
30年余り前の仙台時代の話しになるが「費用の半分を出すから家を新築したら」とジイチャンに提案したのが
契機となって母屋が新築された。
ところが、数年前に当時の棟梁さんが訪れ「『娘夫婦は何も応援してくれないから当てにしないことにしている』
とジイチャンがいつもこぼしていた」と思い出話しをするのを聞いてビックリ仰天した。
集落内でも棟梁さんと同じ理解をしていたのでジイチャンは「この家は自分一人で建てた」と自慢したかったようだ。
(鶏舎から堆肥を搬出して雪の畑に散らしている。)
ことほど左様にジイチャンは「自分の外面」を良く見せるために腐心する人生を送っている。
一緒に暮らし始めた当初、ジイチャンの判断基準が支離滅裂なのに悩まされたが、長年一緒に暮らしていた息子から
「外面重視のため」と解説されて初めて納得することが出来た。
そんな外面重視と併せてジイチャンの無責任体質やホラ吹き体質も半端ではない。
責任逃れのためならカラスだって白鳥になるのが日常茶飯事となっている。
そう言えば中身のない「仲よく」もジイチャンの好きな言葉の一つだ。
霜後集落の「悪しき文化」の根源を追及していくと、18年間の区長時代を含め30年余りに亘り集落のリーダー格の
一人だったジイチャンがその「ルーツ」なのかもしれない。
「盗人を捕らえてみれば我が親なり」ということか。
J氏が農家組合長時代に農業共済の契約更新で誤解を生じさせる勧誘をしたので本人に抗議すると共に
申込み様式が「詐欺まがい」であることをブログで紹介したことがあった。
その数日後から農家組合長経由で各農家に配布される文書が我が家に届かなくなった。
あまりにも低次元なイヤガラセに呆れて抗議する気にもなれず放置したが、そのお蔭で「農協が無くとも
農業を続けるのに何の支障も無い」ということに気付く大発見に繋がった。
ただ、JAの出先機関の農家組合長としてJ氏は報酬を得ているはずだが、配布義務を怠った分の「報酬
の減額」が気になるところだった。
しかし、元々が権利は100%以上に行使するが義務や責任には無頓着な人なので報酬は満額受け取った
ものと思われる。
(田畑は未だ雪に覆われているがエグネの杉林の根雪は大分前から消えている)
そのJ氏は中山間制度のスタート時から役員を続けているが、独善的な解釈で補助金の目的に反するような
オママゴト共同事業を推進したA級戦犯と目されている。
数年前に役員の重大ミスで構成員に大きな迷惑をかけた際、責任を追及したら「自分は何も知らずに役員を
しているので責任などと言われても困る。そんなことを言われたら誰も役員をする人が居なくなる」と霜後
集落でしか通用しない釈明をして責任逃れをしたことがあった。
そう言いながらも役員手当や役員日当は確り受け取るしたたかさを有している。
どうやらJ氏は義務や責任逃れをする時は「無能力者」になり、権利や権限を行使する際は「横暴な君主」
に早変わりする特殊な「変身の術」の心得があるようだ。
もしかすると「役員には権利や権限だけがあって義務や責任は無い」と思っているのかもしれない。
今回の公民館の樹木の伐採や補助金の不正流用の首謀者もJ氏ではないかと推測しているが、責任追及をし
てもいつものように「変身の術」を使ってはぐらかす可能性がある。
当霜後集落のキーワードのようになっている「仲よく」は本来の意味で使われている訳ではない。
行政区や中山間地の役員(殆どが兼務だが)が、権限の範囲を超えて権利を行使したり不適切な行為を犯した際に、
責任を回避する「逃げ道」として重宝に使われている言葉が「仲よく」のようだ。
「仲よく」という聞き心地のいい言葉が「批判封じ」の大義名分となり、結果的に最も「仲よくない行為」をした
人間を保護する形になっている。
今回の総会を経ずに行った公民館の樹木の伐採や補助金の不正利用でも、糾弾されるべきは「仲よく」に反する行為
を犯した役員達のはずだが、例によって役員側は「仲よく」を連発して「批判封じ」にやっきになっている。