場所は皇居和田倉門から4キロの地点にある。方角は言わない。本ブログに多数いる読者がわっと見物に押し寄せると本人の迷惑になるといけないからである。
金田一光太郎博士の住まいは標高二、三十メートルくらいの小高い丘の全部を占めている。一応原稿のあらすじを書き終わったあと、覘き屋の山野井明はもう少しわさびを効かせるネタがないかなとダメもとで金田一博士にインタビューを申し込んだのである。博士の快諾を受けて彼は邸宅に向かった。何しろ博士は話したくてしょうがないのである。
ふもとに高さ五メートルくらいの鉄の柵で出来た入口がある。彼は前もって要求された通りスマホで、ただいまご門前に到着いたしました、と来意を告げたのであった。門内には二車線くらいの幅のある舗装された坂道が上に向かっている。道は湾曲していて向こうは見えない。道の両側にはよく手入れのされた高いカエデの樹が一面に植わっている。
やがて、小型のベージュ色の自動車が坂道を下ってきて、運転席から降りた壮年の男性が「山野井様ですね」と確認してから門扉を押し広げた。彼の車に同乗して坂道を上りきり、平坦な頂上に出るとまたしばらく車は走り、やがて壮大な西洋建築の車寄せに泊まった。
車が止まると運転していた男は降りて彼のためにドアを開けてくれた。彼は破れかけて今にも破裂しそうな山野井の大きなボストンバッグをじろじろと見分するように見ていたが、どうぞと言うと邸内に案内した。
邸内一階のおおきなホールの正面中央に緩やかに二階へ上る螺旋形の広い階段がある。執事らしい男はその右を回ると奥にあるドアを開けて彼を招じ入れた。図書室か応接間のようであった。席を進められて重厚な一人がけの椅子に座ると、彼はすこし位置をなおそうと椅子を動かしたが、全然動かない。別に固定しているわけでもないようだが、どういう材質で出来ているのか全然うごかない。もちろん現代的なキャスターなんて庶民風なものなどついていない。しょうがないから座り心地の悪い椅子にちょこんと座って落ち着かない気持ちでいると、別のドアから博士が入ってきた。
「やあやあ、ご足労をおかけしましたな」と挨拶をしてテーブルの向かい側の椅子に収まったのである。テーブルの上にある木の箱の蓋を開けながら山野井の前に押しやると「葉巻はいかがです」と勧めた。中には黄褐色でまだらのある葉で巻いた極太の葉巻が整列していた。気を呑まれている山野井は葉巻にも吸い方があるのだろうと思ってしまった。煙草だから咥えて火をつければいいのだろうが、変に凝った茶室で「おひとつどうぞ」なんで気取った手で進められると気後れするようなもので粗相をしてはいけないとかしこまってしまうのであった。
「葉巻はやられませんか、ここは禁煙ではありませんから、どうぞお好きなようにおやりください」と博士は如才なく彼の緊張を和らげるように言って微笑んだのであった。