毎回都知事選挙に立候補することで少しは世間に名前の知られた発明家明智大五郎は今回の選挙には立候補しないことにしている。一生一代の大発明の完成の目途がついて、都知事選挙なんかで遊んでいる暇が無くなってしまったのである。
世にこれまで無数に登場した、といってもSFの中でであるが、タイムトラベル小説の最大の欠点は搭乗者の生身までが飛んで行ってしまうということなのである。生身の人間はどんなにスピードを上げても秒速30万キロを超えることは出来ない。もっともアインシュタインが嘘をついているなら別だが。それなのに、すべての、恐らくすべてのSFでは、生身の人間までが何百光年のかなた(未来や過去の)にぶっ飛んでいく。マシンがドスンと着地したら、搭乗者も生身で未来や過去に運ばれる。おかしいよね。
そして、異時点で冒険したり未来少女に恋をしたり、死なれたりしている。こんな理屈に合わない話はない。明智大五郎のマシンは『表象』のみが吹っ飛んでいく。未来へ、過去へ。だから彼は、つまり旅行者というか搭乗者というか操縦者は、そこでは透明人間なのである。そして異世紀到着後幽体化していた心身は実体化するように設計されている。
今回の計画の依頼者はドバイの競馬王であるアリャアリャ太守である。この十年間彼の持ち馬はイギリス、フランス、アメリカ、日本のダービーを勝ち続けている。
明智は最近死亡したアリャアリャ所有の種牡馬ペガサスの剥製にくだんのマシンである『パーセプトロン』を内蔵させている。見事な腕前で剥製に再現された名馬はまるで生きているようであった。
「それでは、どうぞ、殿下ご乗馬ください」と明智大五郎は促した。アリャアリャはさすがにベトウィンの首長である。たてがみをつかむとひらりと馬の背にまたがった。鐙の上でかるく腰を上げると、アブミの長さが適切かどうか、左右歪んでいないか確かめると明智に軽くうなずき、左足の太ももで馬の横腹を軽く圧迫し、右足の踵の拍車を馬の右わき腹に当てた。
愛馬ペガサスはストトン、ストトンと軽くキャンターに入ると実験室である馬房を出て国道3000号に出てからギャロップに移った。と思う間もなく、ぐんぐん加速してたちまち空中に舞い上がると三キロ上空の雲間に姿を消した。