体中を掻き疲れて殿下は樫の大木にもたれてうとうとし始めた。ふと近くにものの気配を感じて彼ははっとして意識が戻った。あたりは真っ暗でとっくの昔に公園は閉まっていたらしい。闇を透かしてみると三十メートルほど先の繁みで二人の人影かもつれるようにして不規則運動をしている。どうやらホテル代を節約してなにかやっているようだ。かれは気づかれぬように動いて遠くへ行こうとしたが、どうしてもガサゴソと落ち葉が足の下でささやくのでそろりそろりと現場を離れようとしていたら、道路を自動車が近づてくる。閉園後の公園内を走り回るのは守衛の巡回車しかいない。電気自動車なのかささやくような音しかさせていない。
彼はギクッとしてその場に立ちすくんだ。彼らの動きは素早かった。車を降りるとあっという間に不規則運動に夢中な二人を取り囲んで怒声を浴びせた。強力な懐中電灯を彼らの顔に突き付けた。
「あっ、お前はこの前にももぐりこんでいたな」というなり、その手をつかんだ。その女は、声で女と分かったのだが、ギャーと喚き声を上げた。もう一人の守衛が女の相手に懐中電灯を突きつける。若い男だった。こちらはすっかりおびえて声もでないらしい。まだ学生か社会人になったばかりのような男だ。
女は威勢がいい。こういう場面に慣れているのだろう。「なんだ、この野郎。離せ」と喚き散らした。守衛は女の腕をひねりあげたらしい。彼女は悲鳴を上げた。「暴れるな、けがをするぞ」とどやしつけた。守衛たちはほどけたほどフンドシを引き摺る二人の深夜の闖入者を引き立てて車に乗せると走り去った。
彼は事前に見当をつけておいた塀のほうに向かった。公園は低い土塁に囲まれていた。彼はそれを乗り越えると歩道に転がり落ちた。起き上がると、公園から出来るだけ離れようと歩き出した。何時だかわからないが、歩道にはまったく人影がない。空には月影がない。百メートルおきくらいにある弱い光を放っている街灯が歩道をぼんやりと照らしているだけだった。彼は今にもぶっ倒れそうになりながら千鳥足で歩いていたがどこにも腰を下ろせるようなベンチはない。かれは街灯の下でおのれの実体化はどうなっているのかと自分の体を上から下まで点検した。アナ、嬉しや。実体化は終わったらしい。
ふと違和感を感じて視線を下げた。鼻がない。アラブ人の彼の鼻は高くてでかい。いくら目線を下に向けても鼻が見えない。
彼はポケットからスマホを引っ張り出すと自撮りしてみた。顔はない。顔の後ろの街路が透けて見えるだけである。えれえこっちゃで、これでは夜が明けたら街は歩けない。あと夜明けまでどのくらいあるだろう。月が出ていないので見当がつかない。スマホの時計を見ると午前三時である。晩春だから、天体の運行が変化していなければ、スマホの時刻表示がAD3000年でも通用するなら、あと二、三時間で明るくなる。街に出てくる人数も増えてくると思うと殿下は恐怖にとらわれた。