穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

# ヘーゲルの主題によるインターミション #

2021-03-20 07:37:11 | 小説みたいなもの

 ヘーゲルは帰納家か演繹家か。彼は円環家である。はじめが終わりであり、終わりがはじめである。

 さて、彼の哲学は難解であると言われる。理由の一つか長年の彼の習慣である。彼は匿名作家としてスタートした。言うまでもなくフランス革命後の、まあ、逆コースの政治思想のなかで取った当然の習慣だろう。実名で自説を公表するようになってからでも、かなり危なっかしい思想家である。よく読むと、マルクスを熱狂させたことが分かる。それは世間で言われるように彼の弁証法だけではない。もっと深く広く過激派を揺さぶる内容がある。匿名に代わる方法は文章の韜晦である。これで検閲者の目ををごまかす。

 彼の著作のもう一つの特色は繰り返しが多いことである。もっとも多くの読者や研究者は繰り返しと気付かず、それぞれの文章の意味を忖度するから余計ややこしくなる。繰り返しが多いのは勿論文意を強調したいということもあるが、それよりもヘーゲルの文章表現が上手くないことである。目の覚めるような表現ですぱっと一文で表現できないから、ああでもない、こうでもないと同じ事を繰り返す。読んでいるほうは、文章が違うから同じことを言っているということに気づかないのである。

 しかし、面白いところはある。バートランド・ラッセルや一部の評論家が指摘しているように彼の思想背景には西欧の思想史でキリスト教神学やデカルト以来の近代思想のほかに、オカルトの伝統がある(グノーシス思想、ヘルメス思想、錬金術、占星術など)。その料理の仕方が面白いのである。

 いま書いているSF小説もどきに使えるかなと、少し読み返している。「有を含んだ無」とかね。