穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

安部公房その後

2022-11-07 19:32:44 | 書評

  ウィキの紹介によると彼の代表作は壁、燃え尽きた地図、他人の顔、砂の女、箱男、密会という所らしい。ま、絶対と言うわけでもないのだろうがそう職業評論家の間で意見がふらつくこともあるまい。
 そのうちの五冊は未読のまま十年以上下拙の本棚に陳列してあったので、今日密会を買いました。
 前回までで燃え尽きた地図、他人の顔、砂の女については一応報告したが、その後、壁は一応読みました。これは彼の初期の作品で芥川賞の受賞作品ということです。壁は二つの中編とショート風の何篇かが一冊になっているが、芥川賞はこれ全体に与えられたのか。あるいはそのうちの、例えばカルマ氏の犯罪に与えられたのか不明だ。解説にはなにも書いていない。とにかく、内容では作品相互の関連はない。しかし、第一部カルマ氏の犯罪、第二部バベルの塔、第三部赤い繭とあるところを見ると、作者も出版社も有機的な一体と見ているのかもしれない。
 佐々木基一という人が解説しているが、なんかぴんと来ない文章だ。カルマ氏の犯罪は不思議な国のアリスのパロデイだというが、冒頭はドストエフスキーのダブルみたいだし、続くパートはカフカの審判のコピーのようだ。それから帽子やズボンが深夜踊りだして会議をするところは確かに「アリス」風だ。しかし全体として何をいいたいのか、分からない。
 佐々木氏は満州生まれの安部にとっては壁も砂漠も同じだと解説している。このところでちょっと別のことを考えたんだが、壁と言うのはどうも自我の比喩ではないかと思われる節がある。どうだろう。突飛かな、新解釈かね。とにかく「壁」と言うのは日本国の象徴が天皇であるように、安部にとっては非常に根本的なイメージらしい。佐々木氏が言うように壁も砂漠も同じだとすると、「自我のダダ漏れ」という惨状ということになる。自我とは自と他を区別選別する関所のような、また細胞膜のようなものだろうが、通行自由ということになるのかな。
 箱男のほうは途中まで読んでいる。それはまた別便で。