穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

夢が暴れる

2022-11-10 11:14:52 | 小説みたいなもの

  どうも最近夢が暴れるようになった。びっくりして飛び起きた四海貴司は夢から覚めて寝床から上体を起こした。あたりは真っ暗である。枕元のスマホを探って持ち上げると明るくなった画面を見た。二時であった。再び横になった彼はしばらくしてまた飛び起きた。夢に驚いて自分が大声をあげたのかもしれない。あるいは夢の中で恐ろしい声で怒鳴られて驚いたのかもしれない。
 夢と言うものは一旦起きても、またすぐに寝ると続きを見るものらしい。
夢と言っても色彩はほとんどないのだ。なんだか薄暗くて狭苦しいところに押し込められていて、それがどうも袋に入れられているようで、それが時々彼の体を締め付けるのである。袋の外にいる男が怒鳴りながら袋を締め付けるらしい。
 あまり気持ちのいい夢劇場ではなっかったのだ。すぐまた寝たのがよくなかったらしい。夢の続きを断ち切るために彼は起き上がると電気をつけて、昨夜書きかけた原稿を読み返し、そしてさらに二、三ページ分ほどパソコンに打ち込んだ。それから冷蔵庫からチョコレートを出してかじりながらウイスキーを飲んだ。テレビのスイッチを入れてみたが、どの局もお休み中だ。一時間ほど経過したのを確認すると床に這入った。夢の続きは出てこなかった。
 翌朝書きかけの原稿を取り上げると最初のページに「二人の母」とタイトルを挿入した。年の大分離れた異母兄がむかし同じタイトルの「小説」を書いたという話を叔母から聞いたので、わたしのバージョンを自分の立場から書いてみようと、幼児のころの記憶をまとめようと思ったわけである。
 ところがそのころの記憶と言うものはほとんどないのである。これまで思い出そうともしなかったから気が付かなかったわけだが、いざ思い出そうとすると禁忌がかかっているのかほとんど出てこない。おやじに聞くのは微妙すぎる問題だし、母親が生きている間にいろいろ聞いておけばよかったと今更ながらに残念に思った。
 幼年時代を事細かに思い出して書いている小説がある。トルストイにもあるし、谷崎潤一郎や中勘助の小説は有名である。しかし、これは読んでみると祖母や親切なばあや(いまでいうお手伝い)から繰り返し聞かされた話が本人の直接記憶のように思われたのであって、作者自身の記憶かどうかあやしい。貴司の場合は祖母と父とは不仲で別居していたし、母親は沢山の次々と成長する子供の世話に追いまくられて、しんみりと昔話を聞かせる余裕もなかったようである。もっとも、何かの拍子にふっと何か言いかけることがあったが、途中でやめてしまった。その時にもっと聞き返しておけばよかったと今にしては思うのだが、その時には聞き流してしまった。
 そこで叔母たちから話を聞いて書いているのだが、どうもそれ以来、夢が暴れるようになったらしい。