窓下でか細いエンジン音が聞こえた。オートバイが駐車場を出て行ったようだ。出る時にも壮大な爆音を轟かせそうなものだが、近所の誰かに注意されたのか、消え入るような遠慮がちな音だ。気弱なサラリーマン・ライダーなのだろう。これが愚連隊みたいなやつだったらクレイムをつけた人間に凄むところだったろう。
裕子が思い出したように言った。「そういえばこの間テレビで似たような話があったよ」
「へえ、どんな話」
「アメリカかどこかの話でさ。おばあさんの夢に鮮明な土地の記憶が出てきたんだって。しかもその場所というのが一度も行ったことのない場所で、夢に出てくる人物も全く知らない人だというのよ。しかもその人たちが話すことまで、まるで現実のように覚えているんだって」
「まるで映画を見ているみたいだな。天然色パノラマ、トーキー映画だ」
「あなたも古い表現を知っているわね」と彼女は呆れたように言った。
「そうすると、俺の場合なんか幼稚なものだな。視覚だけが断片的に表れるだけだからな。それでNHKだったのかい」
「まさか、NHKはそんな際物をするわけがないじゃない。民放よ」
彼女は空になった紅茶茶碗を未練らしく指で撫でていたが、それでね、そのおばあさんが、夢に見た場所を探し始めたの。あなたのロケハンに似ているなと思ったという。
彼は思わず話に引き込まれた。「それで見つけたのかい、その人は」
「そうなのよ」というと彼女は彼に気を持たせるように間を置いた。
「それで」と彼は先を促すように聞いた。
「それがさ、私が見たのは番組の最後だけなのよね。だからどうしてその場所を探し出したかは聞き漏らした」
「なんだ、バカバカしい」と担がれた思った彼は吐き捨てた。
「ところがさ、この話に箔をつけるためか、心理学者めいたおっさんが最後にコメントしているわけ。『記憶にはまだ分からないことが沢山あります』とさ」
「そうするとその学者は事実を認めている?」
「そうね、そうじゃなきゃテレビで出さないでしょう」
「それから」と彼女は思い出して付け足した。「その他人の記憶と言うのがもう死んだ彼女の両親くらい年の離れた人たちの記憶なのよ」
「よく分からないな。それならどうしてその人は確認したんだい」
「つまり探し当てたら、そこに現在住んでいる夫婦は彼女の記憶にある人達の子供だったわけ。で彼女が記憶の内容を確認するとそれが現在住んでいる夫婦の記憶と一致したというのよ」
死んだ人の記憶のカタマリが浮遊していたわけだ。ベルグソンの宇宙魂説を裏付けるような話だ。