穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

サッカーはスペースを嫌う

2022-11-23 07:58:00 | 小説みたいなもの

 容子との土曜日の定例朝食会である。陪食させているテレビがワールドカップの予想をしていた。
「そうか、サッカーではスペースを嫌うんだな」
「なによ、いきなり」と彼女はソーセージに乱暴にフォークを突き刺しながら言った。
「いやさ、これをアリストテレスはこう表現した、『自然は真空を嫌う』とね」
「なんだよ、いきなり精神分裂症患者みたいなことを言って」。彼女は昨晩の経過にいささか不満のようで欲求不満気味であった。
しょうがない、最近は体力も回復してきたのでリュックにバーベル数本を入れて負荷をかけて一日一万歩を実行しているのだ。この夏の強烈な暑気あたりの後遺症と思われる意識障害は解消したらしい。そのかわり一日の終わりにはヤヤ疲労を覚える。
 振り返ってみると、ここ一週間以上「サカイ氏」が視界に侵入して来ない。おそらく暑気あたりの後遺症で頭に空白が出来ていたのが解消したらしい。
「最近は彼が侵入して来ないんだ。体力が回復して頭に空白が無くなったからだろうな」
「ふーん」と彼女はしばらく無言で考えていたが、
「インチキ宗教でもまず、相手の頭を空っぽにしてから邪教を注ぎ込むものね。そういうメカニズムはあるんだろうな」
「大切なのはリセットであったフォーマットではないわけだ」
「体力が回復したのはいいけどさ、、」と彼女はまだ不満そうであった。「だけど仏教なんか、禅では座禅して心をカラにしろとか、無念無想とかいうでしょう。あれは同じことじゃないの」とするどく突いてきた。
 彼はたじたじとなったが、「そうだな、おなじメカニズムを利用しているんだろう。しかし、新興宗教の大部分は空になった心に邪念を注ぎ込むのに対して、まっとうな宗教は正しい教えを注ぎ込むわけだ」と急ごしらえの城壁をこしらえあげたのである。
 彼女はフンと鼻を鳴らすとトーストにジャムを塗りたくった。