穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

土曜の朝

2022-11-17 08:35:37 | 小説みたいなもの

「君は炒り卵を作るのがうまいね」
えっと彼女は怪訝そうに聞き返しいた。「これのこと?」とテーブルの上の皿を指さして聞き返した。「炒り卵なんて今頃いわないよ。スクランブルエッグっていうのよ」と彼女は現在形で言った。
「そうか、単純な料理なんだが作る人によってうまさが全然違うんだよな」
「誰に作ってもらったの」と彼女はやや口をとがらせて聞いた。
「いや、だれというか、 例えばレストランやホテルなんかでも店によって随分味が違う」と彼女の誤解を慌てて解いたのである。
「そうだねえ」と彼女は考え深そうに答えた。「日本料理でもその店の卵焼きを食べれば料理人の腕が分かるというわね。あれも日本料理ではもっとも素朴で単純な料理だけど、ものすごい差が出るらしいから」
 突然マンションの下の駐車場で爆音が破れた薬缶のような音をたてた。彼は立ち上がると明け放してあった窓を閉めた。今日は土曜日だったな、何時かなと時計を見た。十時半だった。安サラリーマンが週に一度のお楽しみにやってきたのだ。駐車場にはアイドリング厳禁と言うコーンが置いてあるが、彼らはお構いなしに騒音を楽しむ。まるでライブ感覚だ。

 安月給でようやっと買い入れてピカピカに磨き上げたオートバイだが彼らのせせこましい家には置くところが無いし、路上に置けば盗難の心配がある。そこで住宅地の真ん中にある駐車場に預けて週末にやってくるのだ。
窓から下を見るとオートバイの横には精一杯めかし込んだ革ジャンパーを着こんだ若い男が弱よわしいガールフレンドを連れてきていた。彼の宝物を自慢するつもりだ。それなら早く駐車場から連れ出せばいいのに、延々と静かな週末の住宅街に騒音をまき散らす。一張羅の宝物だから十分にチューニングが必要なのだ。騒音だけで充分に楽しめるのだ。安っぽい若者だ。
「ひどい騒音ね。いつからオートバイをおいているの」
「そうだな、先月からかな」
彼女はここしばらく彼のところに泊まらなかったので、この朝の気違いじみた騒音には驚いたようだ。
「ところで彼は現れているの」
「うん、時々ね、この間はあいつの顔を見たぜ」
ぎょっとしたように彼女は目をしばたかせた。「やっぱ男だったのね」