母がふと口を滑らして気が付いてやめたのは、複雑な家族関係について、彼の考えに影響を与えてはいけないという配慮があったのではないかと思う。複雑である意味では「混乱を極めていた」当時の家族の現状を年少の彼には言わない方がいいという母らしい心遣いと思いであったと思われる。
そういう中で一つだけまとまった起承転結の整ったいきさつを話した事件があった。物語として最後まで整っていて、しかも何回も同じ話を貴司に聞かせたのである。
それはある日の午後に警官が家を訪ねてきて「おたくの坊ちゃんはいますか」と聞いたらしい。
私は外で遊んでいて家にいなかった。そのお巡りさんが言うには近所の貯水池に子供が落ちて溺れたのだが、目撃者が彼に似ているとか言ったというので確認にきたというのだ。もちろんそれは彼ではなかったのだ。そのうちに彼が遊びから帰ってきて誤報だったことが母に分かったわけだが、いまひとつ分からないのは、彼が無事に帰宅したときに母親が取った態度を彼がまったく覚えていないことである。
自分の子供が溺死しいたかもしれないという情報が間違いであったとわかって、ほっとして驚喜したであろうから、子供に向かって取った常ならぬ態度は彼にも記憶されたはずだが、全くその印象が残っていない。あるいはとんだ間違いだと安堵して子供に話すのではないかと思うのだ。ところが彼はその後成年に達してからはじめてその話を聞かされてもその日のことが思い出せないのである。
最近になって叔母たちから妊娠中から彼の幼児だったころの家庭内でのもめごとを聞いた時に、こんな話をきいた。まだ彼が生まれる前、母のおなかの中にいたころに再婚した父親に義兄たちが激しくの反発したが、強権的な父親に反抗できなくて義理の母にその暴力と嫌がらせの矛先をむけた。
母親が思い余って家出のような状態で家を出て、実家にかえるのも躊躇して街をさまよったことがあったらしい。母は故郷の実家近くまで戻ってきたものの実家に帰るのもためらわれ橋から身を投げしようとしたらしい。飛び込んでいればおなかの中の彼も溺れていたかもしれないのだ。
この出来事は終生母のトラウマだったに違いなく、警官から息子が水死した可能性を聞かされて一気にその時の情動が噴出したのではないか。禁忌としての体験で、だから彼が自宅に帰ったときもマヒしたように無感覚になっていたのではないか。普通なら彼の行動を問いただして、今日の午後お巡りさんが来てこういうことがあったのよ、ぐらい言うだろう。それが言えなかった。だから彼は自分を巡る事故だったのに成人して母親から聞くまではまったく知らなかったのである。
そのころに兄は週刊誌の記事のような煽情的な、偽情報をでっち上げた素人小説「二人の母」を書いてばらまいたそうだ。
そういえば、と彼は気が付いたのである。叔母からこの話を聞いた後で水道橋の橋を歩いて渡れなくなったのである。フロイト先生ではないが、記憶の抑圧が外れて、いわば外気に触れて爆発するマグネシウムのようにフラッシュバックしたのではないか。
ベルグソンは記憶と言うものは絶対に消えない。隠れているだけだという。夢野久作は胎児にも記憶があるという。記憶をつかさどる脳の海馬は受胎後数週間で発達し始めるそうである。叔母が最近しつこく彼が昔の話を聞きたがるので、「あんまり昔のことを調べると良くないというわよ」と言ったが。宝物が発掘されればいいが、地雷を踏んでしまうこともあるのかもしれない。