気ままな趣味の散歩道

趣味にまつわる話題を、デジカメ画像などを活用し郷土の写真、菜園と園芸、郵趣、版画と年賀状などを紹介してまいります。

大阪万国博と堺屋太一氏

2019-02-23 11:19:21 | 日記

 2025年の大阪万国博開催が決まりました。

 そして経済企画庁長官を歴任した堺屋太一さんがお亡くなりになりました。

 この二つのつながりは、1970年に開催された大阪万博にあります。堺屋さんはその万博の誘致に携わりその企画も担当されています。そして今回2度目の大阪万博の誘致にも尽力されたとのことで、報道紙面を飾っていました。 

 そこで、当時(1970)の万博の思い出となるものはないか探してみました。

 大阪千里丘陵で開催された万博は延6000万人以上が訪れたと聞いていますが、とにかく会場の混雑はすごかったです。

 当時はまだカメラも持っていなかったので画像はありませんが、記念のものがいくつかありましたのでご紹介します。

★ まずは、入場券です。 

      (当時の大人の入場券は800円でした。)

★ パビリオンや入場記念に配布されたシールなども出てきました。

          (裏ノリをはがして貼るシールなど。)

★ 記念貨幣〔1種〕も発行されました。

記念貨幣〔100円白銅貨〕)発行数は4000万枚。皆さん持っているのではないでしょうか。

 ★ このほか、当時はブームだった記念切手もたくさん発行されました。
 最初は、前年の1969年に15+5円と、50+10円の寄付金付き切手です。

★ 開催時には1次と2次に分かれ各3種類(7円、15円、50円)が,20枚シートや小型シート、切手帳の3タイプで発行されています。

 1次の3種を小型シートでご紹介します。(下段は小型シートの表紙)

 開催初日の3/14発行。この時のはがき料金は7円。封書が15円でそれぞれ3500万枚が発行されています。

※ 2次分についても同様の形で期間途中の6/15に発行されています。(この画像は上の小画像でご覧ください)

★ 二つ折りの切手帳も1次(左)、2次それぞれ発行されています(売価各100円)。↓

 右の赤い部分は二つ折りにした時の切手帳の表紙です。(上が1次、下が2次分です。) 

 万博は2日間行きましたが、記憶に残っているのは、当時、NASAが月から持ち帰ったばかりといわれる「月の石」の展示品を見たことだけです。

 もう一つ、今で言う流行語大賞にあたる部分は『ノーキョー』(農協)でした。日本各地から農協主催の団体バスで多くの人が訪れたことで『ノーキョー』が有名になりました。

 

 

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