遠州鉄道の電車に乗ったことはありますか。
現在は新浜松―西鹿島間を走る西鹿島線一系統だけですが、廃線となった奥山線や中ノ町線、そのほか笠井地区にもあったようです。
小生が浜松にいたころその西鹿島線や奥山線に乗車したこともあり、乗車運賃にプリペイドカートが使われた頃、その当時の面影をデザインしたカードが発行され、過去を知ることができました。
コレクションとして残っていたカードから、遠鉄電車(機関車を含む)のその当時の様子を振り返って見てみました。
遠鉄西鹿島線が開業したのは明治42年12月。当時は軌間762ミリの狭軌幅の鉄道のようでした。
カードの中の電車。上段の車両は昭和の時代に走っていた電車でこれに乗車した記憶があります。
◆旧駅舎シリーズ。↓
戦後間もないころの旧駅舎シリーズのカード。
上段はJR(当時は国鉄)浜松駅近くにあった「旭町駅」。西鹿島線の始発駅で、昭和28年に新浜松駅と改名されています。
下段は、当時浜北市の玄関口であった「貴布祢駅」(昭和52年当時)。現在は浜北駅となっているようです。
次に、昭和39年に廃線となった奥山線(遠鉄浜松―奥山間)の紹介カードから。
奥山線が最初に開通したのは大正3年。全線開通は大正12年で、約50年間その役割を果たし、昭和39年に廃線となっています。
奥山線はその昔、けん引していたドイツ製機関車の頭がラッキョウに似ていることから「ラッキョウ軽便」と言われ親しまれたそうです。軌間も最後まで762ミリの狭軌幅の小さな電車でした。
画像の小さな箱型の電車に乗って奥山半僧坊まで行ったことを覚えています。
なかなかローカル鉄道に乗る機会は車社会の中で減ってきています。
いつか、天浜線を含めてのんびりとローカル鉄道に乗車してみたいですね。
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