教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

日本の高校生「偉くならず、のんびりと」

2007年05月02日 11時39分15秒 | 受験・学校

日本の高校生は、米国、中国、韓国に比べ偉くなりたいと思っているバーセントは他国の3分の1の8バーセント、のんびりと暮らしていきたいと考えている高校生が多いことが分かった。 偉くなるためには人に頭を下げねばならないと考えているようだ。 昔は、日本でも「末は博士か、大臣か。」と言われていましたが。大臣先生は事務所費の流用で、実態のない分けの解らぬ高価な「還元水」問題を起こし、博士に当たる大学の先生は、大学院で院生にアカハラと国立・私立の大学を問わずセクハラや研究費補助金の不正流用で処分ばかりです。事件を起こし頭を垂れるお偉い人ばかりです。大臣や博士と称する人達の不正や非行を自分の目で見て、今の高校生、故東京ぼん太さんの「夢も希望(ちぼう )もないよ!」では有りませんか。ぼん太さんは、希望を「ちぼう」と良く言っていましたが。大臣も博士も皆「不正漬け物の素」では、高校生以外でも、誰でも嫌になりますよ。上に立つ大人が、非行事件を起こして、子供達に「モラルを守り」なさい、道徳教育が大切だと言っても誰も言う事を聞きませんよ。大人達の行動を両目で見ていますよ。子供達より生活指導が必要なのは、大人の先生方です。私の尊敬する西郷隆盛の遺訓「『命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困る者なり。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり』。無欲の人間でなければ、国家を指導出来ないと問うている。今の世の中逆を行く人達ばかりが目立つ。そして西郷はこうも言う『万民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし、驕奢を戒め、節倹を勉め、議事に勤労して人民の標準となり、下民にその勤労を気の毒に思うようならでは、政令は行われ難し』。人の上に立つ者、ここでは指導者を指しているが、そういう立場にある人間は贅沢であってはならず、あれほど苦労しているのに、と国民が気の毒がるようでなければ政治は信頼されない、と西郷は言っているのだ。今もなお、この言葉は永遠の真理としてその輝きを失っていない。明治を読む、川勢康弘、58ページより引用、読書のすすめ・第5集・岩波文庫編集部編」何でもお金で片を付けようとする現代社会です。不正事件や汚職ばかりの日本の状況を憂い西郷隆盛の南洲遺訓を皆さんにもう一度読んで頂きたく書かせて頂きました。西郷隆盛のような大人物が今の日本に出て欲しいと思います。高校生の皆さんは、頑張って日本を背負って立ち、公正で不正の無い明るくて素晴らしい日本を作って下さい。高校生の皆さん希望と夢を持って下さい。「姿勢は低く、理想は高く、いつも心に太陽を持って、未来を信じ、未来に生きる。( 立命館大学名誉総長末川博先生の言葉)」をお送り致します。

 

 

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今日は、5月1日は語彙の日

2007年05月02日 00時15分16秒 | 受験・学校

今日は、語彙(ごい)の日である。『 語彙{ごい}とは、(vocabulary)一つの言語の、あるいはその中の有る範囲についての、単語総体である。785ページより引用、 広辞苑第三版・岩波書店』。『語彙は、単語・言葉の意味に用いられるが、本来から言えば誤用380 ページから引用、旺文社国語辞典改定新版』最近日本語の語彙不足が指摘されることが多い。日本語表現力の欠如もあると思う。元高校の国語科の先生が、バソコンのEメールを読んで文章の句読点も無く、漢字が少なく、誤字や脱字が多く、Eメールを朱書きで添削して送り返してやりたいと言われていたことを思い出した。手紙で、便箋に書くと読み返し、難しい漢字は国語辞典を見ながら書くと良いと思う。文章の読み返しもせず良い大人が、送って来るのである。もう日本は、国語教育の危機的状態に陥っていると言って過言では無い。小学校より英語を教えるより、母国語の日本語教育に力を入れるほうが良いと思います。社会で活躍している大人でも正しく日本語の文章を書けないのである。先ごろ来たEメールの文章を読んで、手紙の書き方やマナーも知らず、本当に日本語教育を受けたのかと疑いたくなった。日本語の文章が、正しく書けておらず文面を見て情け無く思った。手紙としてのマナーや敬語の使い方も知ら無いのである。日本人失格である。これが行き着くところ「コンピュターお宅」の成れの果てと思った。大人がこのような状態だから、子供は論ずるに及ばすである。、いじめに使っている中学生のいじめ言葉を見ると語彙不足どころではなく、日本語としても間違いで、文章も間違いだらけで、これが日本の中学生かと目を疑いたくなる。間違った日本語表現や日本語会話しか出来ないのか。いじめ言葉にいじめられている子供達は苦しめられていると思いますが。間違った日本語で、日本語として通用しない「いじめ言葉」など蹴飛ばして下さい。少し心に余裕を持って考えれば、何んと国語力のない本当に国語の勉強をしていない哀れないじめっ子としか思えません。平気で主語と述語もない文章を使いいじめに利用しているでは有りませんか。国語科の評価としては0点以下です。いじめに負けては,いけません。私もいじめられ、泣かされ、困っているのに蹴飛ばされて、踏み台にされ、馬鹿にされても今も在野で細々と生きています。今度は、私の命のある内に体と力を蓄えて大和魂の精神で、正義の拳、右のアッパーカットで全部ノックアウトしてやろうと思っています。今に見ていろ。ボクシングのファイティング原田さんは、なぜ僕は勝って来たかと体験談を言われましたが。いつも弟が喧嘩が弱くて殴られ、兄さんの原田さんが、殴り返し行ったそうです。「一発殴られたら二発殴り返す」気力で喧嘩にも、ボクシングにも、人生にも勝って来たそうです。いじめられても負けないで、ファイティング原田さんのようにファイトを持って生き抜いて下さい。今度は君が勝って皆を完全に人生のリングでノックアウトして下さい。それまで皆首を洗っとけぐらい男として、気迫を持って下さい。人生は、月夜の晩ばかりじゃない、闇夜も来るのですから。いじめられている君にもきっと良いチャンスが来ますよ。その経験か、大人になって長い人生の中生きる価値として役に立ちますよ。大人の世界にもいじめは有りますよ。人生勝ってばかりじやない。人に負けたり、怪我も病気もしますよ。どうたくましくその時に立ち上がるかです。アスファルト道路を破り、芽を出す名も無い花のたくましさに私もこの前道で教えられました。学ぶことは、手短なところで学校以外でもどこでも出来ます。植物の生命力の強さです。すぐに枯れる綺麗な切花よりも、人生踏まれても踏まれても負けないで頭を出す雑草でいいじゃありませんか。今の中学生の国語力を見ていますと日本の将来は心配ですよ。『 言葉は、言霊(ことだま)です。言葉に宿っている不思議な霊威があります。古代、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じていました。万葉集・13{言霊のたすくる国ぞ、言霊の・さきはう・くに{言霊の幸ふ国} 、言霊の霊妙な働きに幸福をもたらす国。わが国のことを差す。新村出著「広辞苑}885ページ、岩波書店第三版から引用』 歌手の倖田来未さんの言葉「人をいじめたら、自分に帰って来るねん!」京都人らしい発想です。私のお世話になった91歳で亡くなられた西陣の染物加工業のYさんの言われたことを思い出しました。「人を叩いたら、今度は叩き返されまっせ。人を踏み台にして人を泣かしてお金儲けをしても、長続きしまへん。人に恨まれて、自分が泣かなあかんようになりまっせ。子孫に影響が出まっせ。」と言われました。明治人の戒めでした。今の世の中、人の粗や欠点ばかりを探すのが上手な人や人の不幸に付け入ったり、転んで倒れていたら蹴飛ばして行くような人間が多い今の世の中です。奢り高ぶる人達にも、「上れば、下がる」のが自然摂理です。一代できっと無常の風が吹くでしょう。思いやりある心が豊かな人間を養成するためにも、正しい日本語の文章が書け、美しい日本語の話せる国語教育の充実に取り組んで下さい。美しい日本語を使う日本にして下さい。

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