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『 ベネッセコーポレーションと朝日新聞社は10日、教育分野での共同事業として「語彙(ごい)・読解力検定」を開発・実施することで合意した、と発表した。高校・大学生を中心に、小学生から社会人まで幅広い層を対象とする検定で、2011年春に本格的に実施する。 朝日新聞が、名物コラム「天声人語」や社説、一般記事などの記事データベースを提供し、国語辞典や教材、試験問題作りに定評のあるベネッセが問題作成を担当する。学校で学び、社会で生活する上での基礎的な知識とその活用能力を判定する。小学生から社会人まで、求められる力に応じて「級」を設け、実力を判定。まず10年秋に高校・大学生を対象にモニター試験を実施する予定だ。』 2009年12月10日アサヒコム
漢字検定やら語彙(ごい)・読解力検定を実施して果たして国語力が付くのであろうか。何でも検定試験で、実力を計ろうという考え方には疑問です。検定試験の勉強で、検定試験に合格したら国語力が身に付くという考えはどうかと思います。試験だ一義の朝日新聞の秀才新聞記者の発想です。無味乾燥な検定試験合格だけに偏りがちな検定試験の勉強で、日本語の良さや深い味わい、文章を書く楽しさや文章表現の面白さが体得出来るのでしょうか。小説家か作家に語彙(ごい)・読解力検定を受けて貰ったら良い精気を取れるとは限りません。本来検定試験で、語彙力や読解力が計れるものでもないと思いますが。インターネツト時代の今日新聞離れは進み、購読者が減り新聞配達をされる時代は、将来無くなるかも分かりません。漢字検定と同じ検定料のお金儲けですか。日本人の母国語を検定試験で無いと国語力が分からないなんて恥じや有りませんか。最近の新聞は、社説でも他社の書いた文章を盗用したり、朝日新聞の2008年6月18日付夕刊のコラム「素粒子」で、『6月17日に将棋の羽生善治名人が永世名人称号を獲得したことを引き合いに出して、「永世死刑執行人 鳩山法相。『自信と責任』に胸を張り、2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」という表現がされたことに対し、「人の命を絶つという極刑を実施するのだから、心境は穏やかではない。しかしどんなにつらくても社会正義のためにやらざるを得ない。宮崎勤死刑囚らにも人権も人格もある。司法の慎重な判断、法律の規定があり、苦しんだ揚げ句に執行した。死に神に連れていかれたというのは違うと思う。(記事は)執行された方に対する侮辱だ」と強く抗議し、「私を死に神と表現することがどれだけ悪影響を与えるか。そういう軽率な文章を平気で載せる態度自身が世の中を悪くしていると思う」と朝日新聞を批判した。兄の由紀夫も「弟は法に従っただけ。私も死に神の兄といわれては困る」と弟を擁護した。』素粒子で、日本の現行制度の法律手続きに従っている一国の法務大臣を死に神扱いしたり、永世死刑執行人と担当新聞記者の語彙力で表現したり、法務大臣の就任期間は永久に任ぜられるものでは有りません。物を書く専門家の新聞記者としての自覚が全く有りません。語彙力や読解力を問う検定試験を朝日新聞の記者にこそ実施すべきでは有りませんか。唯我独尊、自分達の書いている記事は絶対的と思い込み検定試験の問題にされたら困ります。 言論人として公正さ、新聞社としての中立性を忘れては困ります。真実の報道の姿勢を新聞は貫くべきです。自分達の書いていることは正しいなど現場で取材することなく、記事の裏取りもしないで新聞記事にする記者としての自覚や役目を忘れた新聞記者が今は多過ぎます。他の新聞社の記事を社説に利用して書いたり、十分な取材をしないで新聞記事を捏造することも後を絶ちません。報道の自由が憲法で認められていても、新聞人としての社会的責任を忘れてはなりません。産経新聞大阪本社の社会部記者として活躍された亡くなられたT記者は、文章を簡潔にまとめる達人で、新聞記者は事件を直接取材して裏取りをしないと新聞記事にしてはいけないと言われたことを今も思い出します。常識が通らない新聞の世界では困ります。小学校から、英語教育に力を入れるより、正しい日本語が、話せ、聞け、書ける日本語教育を実践すべきだと思います。国語教育を充実すれば、国語の思考力や表現が身に付きいじめや直ぐに切れる子供達も少なくなると思います。自分の思っていることが上手く言えない、話せない子供達が小学校から高校生まで今学校で増えていることも事実です。子供同士の会話や教育現場の先生と子供達とのコミュニケーション作りに役立つのではないでしょうか。母国語である日本語を大切にする事が、今の日本では1番大切なことと思います。母国語を大切にしない国は、世界中探して無いと思います。日本語教育、国語教育のの充実こそが日本の伝統文化や歴史を正しく理解出来ることになり、若い人達が忘れている日本人としての自信と誇りを取り戻せることにも繋がると思います。国際化時代だからこそ日本の伝統文化を大切にし、海外へ行って、海外の人達に尋ねられても質問されても堂々と説明出来る教養ある日本人たる必要が有るのでは有りませんか。