『 名古屋市は、河村たかし市長が公約に掲げる「名古屋ことばの復権」を目指して、名古屋弁のイメージなどをたずねた市政アンケート結果をまとめた。 名古屋弁に「よい印象を持っている」市民は2割だけ。4割強が「よい印象、悪い印象を両方持っている」と答え、日頃の生活で名古屋弁を使っている人は4割にとどまった。
「わしがもっとPRせな」河村市長◆
河村市長は「残念な結果。わしがもっとPRせないかん。ますます使命感が強まった」と話している。 アンケートは、無作為抽出した市民2000人を対象に、9月29日から10月13日にかけて行われ、1157人が回答した(回収率57・9%)。 調査結果によると、名古屋弁のイメージ(複数回答)は「親しみがもてる」が最も多く、40・4%。しかし「田舎的」も35・3%と多く、「温かい」29・9%、「面白い」「汚い」が28・3%で並んだ。 日頃の生活で名古屋弁を使っている人は「いつも」25・1%、「状況によって使い分ける」17・1%を合わせて4割強にとどまり、「全く使わない」が17・5%、「あまり使わない」も39・6%と、話さない人の方が多かった。 また、使用頻度の高かった名古屋弁は「米をかす」「ようけ、ぎょうさん」「ご無礼します」などとなっている。(小山内晃) 』 (2009年12月4日11時25分 読売新聞)
1995年1月13日に肺癌になり70歳で亡くなられた喜劇俳優南利明さんの1969年のオリエンタルの「スナックカレー」のCM中での名古屋弁のフレーズ「ハヤシもあるでョ~」は非常に有名である(後にこのCMをパロディ化した赤城乳業の「カレーアイス」のCMにも出演。なおこのCMの締めは「ハヤシはあらせんよ(ないよ)」となっている)。南さんの懐かしい名古屋弁を思い出します。名古屋市千種区在住の知人 Sさんに伺いますと「ハヤシもあるでョ~」とは余り言わないと言われました。 方言も地方の言語文化の一つです。共通語とは違う地方独特のお国言葉大切にすべきです。東京弁だって東京の方言ですよ。大阪弁とようけ、ぎょうさんは共通性が有りますね。御無礼しますは尾張名古屋の武家言葉に由来するようで良いのではないでしょうか。もっと自分住んでいる所の方言や地域文化や伝統習慣を大切にしたら良いと思います。昔から代々伝えられてきた言葉です。標準語を話さなくてもその地方の独自の方言は、その地方の言語文化にもしづく歴史が有ります。方言をどんどん使い地方の活性化と町起こしの意義もあるでョ~!、名古屋弁丸出しの河村市長もわしがもっとPRせないかんと言われている通りと思います。各地の方言のお国言葉を大事にせなあかんで!。
日本の方言政策 [編集]
『明治時代以降、日本では学校教育の中で標準語を押し進め、方言および日本で話されていた他の言語を廃する政策がとられた。方言を話す者が劣等感を持たされたり、または差別されるようになり、それまで当たり前であった方言の使用がはばかられる事になった。現在では、テレビ・ラジオにおける標準語使用の影響などにより、ほぼ標準語が日本全国に浸透し、各地の方言は衰退や変容を余儀なくされた。各地のアクセントは多くの地域で保持されているが、語彙は世代を下るに従って失われやすいとされる。フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」より引用 』
障害者団体は反発、市議会でも追及の動きが出るなど波紋が広がっている。 ブログは11月8日付。深刻化する医師不足への対応策として、勤務医の給料を引き上げるべきだとの議論に対し、「医者業界の金持ちが増えるだけのこと。医者を大量生産してしまえば問題は解決する。全(すべ)ての医者に最高度の技術を求める必要はない」と批判。 そして、「高度な医療技術のおかげ」で機能障害を持ち、昔の医療環境であれば生存が難しい障害児を「生き残らせている」などと述べ、「『生まれる事は喜びで、死は忌むべき事』というのは間違いだ」と主張している。 知的障害者の家族でつくる「全日本手をつなぐ育成会」(本部・東京、約30万人)の大久保常明・常務理事は「人類繁栄のため、優れた子孫だけを残そうとするかつての優生思想そのもの。命の重さを踏みにじり、公人の意見とは思えない」と批判。 阿久根市身体障害者協会(約1050人)の桑原祐示会長も「差別意識も甚だしい」と反発、役員会で対応を協議し始めた。 同市議会の木下孝行市議も市長に説明と謝罪を求め、14日から始まる市議会一般質問で追及する。 竹原市長は取材に対し、「養護学校に勤めている人から聞いた情報をそのまま書いた。事実と思う。障害者を死なせろとかいう話ではない」と説明している。 』 12月3日6時13分配信 読売新聞
としなんぼ?
89歳
2009年05月30日マイタウン・大阪、アサヒコム
小田徹也 医師 大阪市福島区鷺洲中
『【家族】妻【いま興味があること】仕事や趣味で使うコンピューター【好きな食べ物】ビフテキ【最近の買い物】余裕がないから特にない【最近読んだ本】劣化ウランの本【最近腹が立ったこと】若い人に根性がない【あなたのヒーロー】現役を続けている日野原重明先生【10年後】生きてないでしょう
【ひとこと】医者は、人の命を預かる仕事でしょ。血もつながっていない私にすべてを委ねた患者を自分の手で救う。並大抵の信頼関係じゃないね。夜中に呼ばれて家を飛び出ていった内科医の父を見てきたことが原点ですね。
軍医学校を卒業後、広島県呉市の海軍病院に勤めた。戦争末期です。毎日のように爆撃を受け、けが人もたくさん治療した。朝7時前に鳴る「第二(だいふた)警戒配備につけ」という警報が今でも耳に残ってます。8月6日はそんな日常の1日。仕事に出ようかと思っていた朝。広島の方の空がバーッと光った。足がすくんだ。
院長の「救護隊募集」という言葉に、すぐに手を挙げた。20人の医師とテントを持って広島へ。翌日、広島駅近くの救護所に入りました。暗い暗いテントの中。患者は体の半分が黒こげになっている。原爆が落ちた側だけ焼けてしまったんです。
とにかく無力。次から次に来る患者にできるのは、毛布に寝かせて、肝油を含ませたガーゼをあてるくらい。治すとか助けるという状態じゃないですよ。何を食べたか、どこで寝たかも思い出せない。何もできない。
ここで胃腸科を開業してからは、働いたねえ。救いたいけど救えない、あの広島の経験があったからかもしれないなあ。午前0時前に帰ると調子が悪いんですよ。近くの病院に場所を借りて手術もした。自分の患者は自分で救いたくてね。77歳までメスを持った。
人の命にはとことん真剣でありたい。だから患者だっていい加減な人は困る。「風邪ひいた。薬くれ」って来た人が、態度が悪くてねえ。「帰ってくれ!」って怒鳴りました。2日後に謝りに来ましたが。命をやりとりする間柄なんだから、お互いまじめに向き合わないといかん。
もうかりません。私は薬はできるだけ処方しないから。命を守るのにそろばん勘定はいらんでしょ。築40年、エレベーターもないおんぼろビルで、壁なんか自分で塗り直しながら細々続けています。妻には「何とかして下さい」と言われるんだけどねえ。』