『横浜市青葉区の市立奈良中学校で04年、柔道部の元男子生徒(20)が練習中に重い脳障害を負う事故があり、傷害容疑で書類送検され、不起訴となった元顧問の男性教諭(31)について、横浜第1検察審査会が不起訴不当と議決していたことが11日分かった。議決は2日付で業務上過失傷害容疑での再捜査を求めている。同容疑の公訴時効は今月23日。 審査申立書などによると、元顧問は04年12月、約2週間休んだ元男子生徒を練習に参加させ、休憩をはさまずに約10分間、投げ技や絞め技を連続してかけ、元男子生徒に記憶障害や視覚障害を負わせたとされる。横浜地検は今年10月、元顧問を不起訴処分とし、元男子生徒が検審に審査を申し立てていた。 検審は、故意ではなかったとして「傷害罪は不起訴とせざるを得ない」としたが「重大な障害を引き起こす可能性は予見できた」と判断。注意義務違反を指摘し、業務上過失傷害罪が成立すると結論付けた。』2009年12月12日 9時54分毎日JP
元顧問は 『2004年12月、約2週間休んだ元男子生徒を練習に参加させ、休憩をはさまずに約10分間、投げ技や絞め技を連続してかけ、元男子生徒に記憶障害や視覚障害を負わせたとされる。』約二週間休んでいた生徒を練習に参加させ休憩を挟まずに 投げ技や絞め技を連続してかけたのは練習と言うよりしごきです。柔道部の生徒を扱いて強くなると思っているのでしょうか。科学的な練習法をなぜ取れいれないのか。昔ながらの制裁的なしごき練習では強くならないと思います。この男子生徒体を悪くして休んでいたのか。何か理由が有ったと思います。横浜第1検察審査会が、重大な障害を起こすという予見可能性を認めたと思います。講道館柔道の創始者嘉納治五郎先生の柔道修行の目的は、「攻撃・防御の練習によって身体を鍛練して強健にし、精神の修養につとめて人格の完成をはかり、社会に貢献することであると示されています。」の目的に反するのではないでしょうか。柔道の技や強くなることだ目指し、柔道の精神を忘れていたのではないでしょうか。この中学校の柔道の元顧問の男性教諭が、柔道の指導者としての適格性の問題に欠けていたのではないでしょうか。嘉納治五郎先生は、1932(昭和7)年から講道館医事研究会を組織し医学的課題にも取り組まれた。柔道の練習中に重い脳障害を負う事故を起こすなど嘉納治五郎先生の『自他共栄』の教えにも反するのではないでしょうか。
☆講道館のホームページより一部引用
柔道の目的
心
柔道は、あらゆる年齢層の人々に親しまれています。講道館でも、6歳から80歳を超す高齢者まで、年齢、そして性別、職業、国籍に関係なく、大勢の人々が柔道に励んでいます。このなかには、強くなりたい一心の人、弱いからだを鍛えたい人、自分の精神を練りたい人、快い汗を楽しみたい人、安全の能力を身につけたい人、柔道の指導者になりたい人、現に指導に熱中している人などさまざまな人がいます。こんなにいろいろな年代の、いろいろな目的を持った人たちを共通にひきつけている柔道とは一体なんなのでしょうか。 嘉納師範は、一般に言いならわされていた柔術を柔道として単に技を修得するだけでなく、天下の大道を学ぶものとし、その教育場を「講道館」と呼んだのです。講道という語には、道を学び、明らかにし、実践するという意味があり、講道館柔道と名付けて柔道の本質を明らかにしているところに、嘉納師範が、いかに道を重んじ、その修行を一生の大事としていたかを知ることができます。嘉納師範は、柔道修行の目的は、攻撃・防御の練習によって身体を鍛練して強健にし、精神の修養につとめて人格の完成をはかり、社会に貢献することであると示されています。柔道は、あらゆる年齢層の人々に親しまれています。
技
身体と精神を最も有効に働かせる」、これが柔道の根本原理で、この原理を技の上に生かしたのが「作り」と「掛け」の理論となります。 「作り」は、相手の体を不安定にする「くずし」と、自分の体が技を施すのに最も良い位置と姿勢をとる「自分を作る」ことから成り立っています。「掛け」は、この作られた一瞬に最後の決め手を施すことをいいます。この「作り」と「掛け」は、柔道の根本原理に従った技術原理ということができます。互いに、精力善用・自他共栄の根本原理に即した作りと掛けを競い合う間に、自然とこの根本原理を理解し、体得して、社会百般の実生活に生かそうとしています。「技から道に入る」わけです。 嘉納師範は、一般に言いならわされていた柔術を柔道として単に技を修得するだけでなく、天下の大道を学ぶものとし、その教育場を「講道館」と呼んだのです。講道という語には、道を学び、明らかにし、実践するという意味があり、講道館柔道と名付けて柔道の本質を明らかにしているところに、嘉納師範が、いかに道を重んじ、その修行を一生の大事としていたかを知ることができます。嘉納師範は、柔道修行の目的は、攻撃・防御の練習によって身体を鍛練して強健にし、精神の修養につとめて人格の完成をはかり、社会に貢献することであると示されています。
◎嘉納治五郎師範の教え
精力善用
いかなる場合でも、その目的を果たすためにもっとも効力あるように己の心身の力を働かせること
自他共栄
自己の栄えのみを目的とせず、助け合い、譲り合い、融和協調してともに栄えることを目指すこと
柔道修行の究竟の目的
柔道は心身の力を最も有効に使用する道であるその修行は攻撃防御の練習に由って身体精神を鍛錬修養し、その道の神髄を体得することである。 そうして是に由って己を完成し世を補益するのが柔道修養の究竟の目的である。
教育のこと
一人の徳教,広く万人に加わり,一世化育遠く百世に及ぶ.教育のこと,天下にこれより楽しきものはなし.英才を陶鋳して兼ねて天下を善くすその身亡ぶといえども余薫とこしえに存す。