投の田中、打のジョーンズとマギー、守りでは松井と藤田の二遊間。すべてに軸ができたことは大きい。だが、真にチームを変えたのは星野監督が打ち出した意識改革だ。
就任後の監督の口癖は「松井らを除き、うちで本当のプロは田中だけ。あとはまだ高校野球レベル。大学、社会人にも行っていない。戦うプロの集団にするには3年かかる」だった。
1年目の11年シーズン終了後の秋季練習では2日目に体が痛いという選手が続出した。翌年は休む選手がいなくなり、練習量をこなせるようになった。次に課したのがチーム内競争。「ライバルは他球団の選手ではない。血を入れ替え、新しい素材と競わせる」。実績より意欲を買い、若手の起用を明言した。
迎えた今季、WBCで調整遅れの田中に代わり、開幕投手を任せたのは新人の則本だった。本人には「お前に期待している」との意味合い、他の投手には「悔しくないか」との無言のメッセージを込めた。「若手は使わないと育たない」の信念で、則本には5月の中日戦で7失点しても8回を投げ切らせた。7月には自身3連敗となった翌日にプロ初救援で投げさせ勝利投手に。自信を取り戻させ、田中に続く先発の柱に育て上げた。
走塁を始め、攻撃面でも積極性を重視、前向きなミスには目をつむった。その中で定位置を取ったのが、高校出で8年目の銀次と枡田と2年目の島内だった。昨季チーム首位の2割8分を打った銀次は一塁に入ることで苦手の守備の負担が減り、首位打者争いが出来るまでになった。
極め付きが球宴後の7月31日から1番右翼に定着させた2年目の岡島だ。元々、俊足と食らいついていく打撃に定評はあった。本来は捕手。それを外野で起用すると、4割近い出塁率で、後半戦で一度も首位を譲らなかった楽天を文字通り引っ張った。
東日本大震災後、被災者を思いやる選手らに、星野監督は「お前らの優しさは十分に伝わっている。今度は勝って、優勝することでみんなを喜ばせよう」と言い続けた。東北の地に来て3年。闘将の計画通りのスケジュールで、改革は実を結んだ。(竹園隆浩)
■楽天選手らコメント 新しいページ刻んだ/喜びと感謝の気持ち/あの屈辱から、やっと
<星野監督> 「ほんとかなあ。信じられない気持ち。でも、宙に舞って、やった、やってくれたという気持ちになった。東北の震災から3年。少しでも被災者の方の力になればとやってきた。楽天の新しいページを刻んでくれた。最後は田中を信じていた。田中の連勝が大きかったが、田中だけじゃない。よく守ってくれた。どんなに先に点を取られても、よく粘って頑張ってくれた。これからも東北の方と一緒に歩んでいきたい」
<岡島> 「(捕手から外野手への)コンバートに不安はあったけど、与えられたことを必死にやろうと思った。勝って優勝を決められたことが大きいし、自分が貢献できたこともうれしい」
<枡田> 「1年間を通して働けなかったけど、少しは貢献できたかなと思う」
<則本> 「人生の中で、一番幸せ。開幕投手を務めさせていただき、結果的に負け。悔しいスタートだったが、先輩方に優勝させてもらった」
<斎藤> 故郷で8年ぶりに日本球界に復帰。8回に好救援し、「長く野球をやっていれば喜びとともに同じくらい感謝の気持ちがある」。
<ハウザー> 危険球退場から一夜明けて勝ち投手に。「どんな場面でもチャンスをもらえて感謝しています」
<松井> 「9年で優勝できたのはすごい。昨年の終わりぐらいから力がついてきて春季キャンプが楽しみだった」
<藤田> 昨季途中から楽天へ。9回2死で田中に助言。「初球から振ってくるので広くいけ、と。最高です」
<美馬> 先発して6回途中で3失点。「僕の勝ち負けは関係ない。この試合に勝てたことがうれしい」
<初代選手会長の礒部公一・2軍外野守備走塁コーチの話> まだまだかな、と思っていたが、ようやく戦力が整った。9年での優勝は早いと思う。最初は100敗近くするようなチームだった。0―26という試合もあった。あの屈辱的な負けからここまでやっと来たなと思う。
<加藤良三コミッショナーの話> 星野監督の下、絶対的な田中投手を中心に繰り広げた地に足のついた戦いぶりは名実ともにチャンピオンにふさわしいものでした。
■なんと言ってもマー君/昔のイメージとほど遠い/うまく若手かみ合った
<伊東監督(ロ)> 「田中という絶対的なエースがいて、絶対勝てる安心感があった。打線も切れ目がなく、昔のイメージとほど遠かった」
<秋山監督(ソ)> 「マー君(田中)がよく引っ張っていたな。銀次ら、若い連中も出てきた。それがうまいことかみ合ったんじゃないか」
<渡辺監督(西)> 「楽天は投打のバランスが良かった。外国人が2人入ったし。なんと言ってもマー君(田中)だろうね」
<森脇監督(オ)> 「個が成長し、チーム力が月ごとに上がっていた印象。藤田、銀次の一、二塁間への打球は、なかなか抜けなかったなあ」
<栗山監督(日)> 「一つになり、いい野球をやっていた。田中という週1回、先発完投できる投手がいて、いい形で(カードの)頭を取っていた」
■今季成長した主な若手野手の成績
選手 年齢 出身 ドラフト順位 試合数 打率 本 打点
銀次(赤見内) 25 盛岡中央高 05年高(3) 121 .320 4 49
島内宏明 23 明大 11年(6) 97 .284 6 38
枡田慎太郎 26 智弁学園高 05年高(4) 76 .275 8 45
岡島豪郎 24 白鴎大 11年(4) 72 .323 1 13
※26日現在。カッコ内数字はドラフト順位(05年は巡目)、高は高校生ドラフト
■星野監督の通算成績
年 球団 勝 敗 分 勝率 順位
1987 中日 68 51 11 .571 2位
88 〃 79 46 5 .632 優勝
89 〃 68 59 3 .535 3位
90 〃 62 68 1 .477 4位
91 〃 71 59 1 .546 2位
96 〃 72 58 0 .554 2位
97 〃 59 76 1 .437 6位
98 〃 75 60 1 .556 2位
99 〃 81 54 0 .600 優勝
2000 〃 69 63 0 .523 2位※
01 〃 62 74 4 .456 5位
02 阪神 66 70 4 .485 4位
03 〃 87 51 2 .630 優勝
11 楽天 66 71 7 .482 5位
12 〃 67 67 10 .500 4位
13 〃 79 53 2 .598 優勝
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通算 1131 980 52 .536
(26日現在。※00年は出場停止処分の3試合を除く)
石の上にも三年と言う諺通り、見事楽天イーグルスを優勝に導きました。東日本大震災による東京電力第一福島原子力発電所の事故で、心労で悲嘆にくれる東北3県の被災地の皆さんの希望の灯火と空高く飛ぶゴールデンイーグルスなったと思います。楽天イーグルスに気持ち良く見送送った阪神タイガースのオーナーの坂井信也氏と監督に招聘した東北楽天ゴールデンイーグルス会長兼球団オーナーの三木谷浩史氏の経営者としての人を見る目が輝いたのでは有りませんか。プロ野球の優勝請負人になった星野仙一監督です。野球も結果で優勝にしないと意味が有りません。どの世界も『将には、将たる器』がないと企業経営者も政治家も勤まらないのでは有りませんか。