goo blog サービス終了のお知らせ 

教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

骨髄ドナーへの道(3)山内康一『螳螂の小野』

2014年07月04日 22時56分07秒 | 国際・政治

2014年7月4日 (金)

骨髄ドナーになるための最初のステップは、
骨髄バンクに登録することです。

私は日赤病院で登録した記憶があります。
採血をしたような記憶がかすかにあります。
1993年のことですから、ずいぶん前です。

骨髄移植ドナーになるための第二のステップは、
HLA型の一致する患者さんが現れることです。

一致する患者さんが現れると日本骨髄バンクから、
「重要」と「親展」と朱書きされた分厚い封書が、
郵送されてきます。

この20年のドナー登録歴で連絡が入ったのは3回。
最初は2007年、次は2011年、そして今年です。

2007年の時は健康診断(採血)まで行ったものの、
肝臓の数値が悪くて(肝機能障害)失格でした。

2011年は患者さん側の理由でコーディネーションが、
途中で打ち切りになりました。理由は知らされません。
私以外のドナーが見つかったのかもしれません。

そして今回は虎の門病院で移植コーディネーターと医師と
すでに第1回目の面談と採血を済ませてあります。

肝機能を回復させるため、お酒を控え目にしてきたので、
今度こそドナーになれるのではないかと期待しています。

7年前はお医者さんに「ドナーになるには、まずご自身が、
健康でなくてはいけません」と注意されたことがあります。
健康管理に留意しつつ、次の面談を待っているところです。

*ご参考まで:過去のブログ
2007年2月27日付ブログ「自分がドナーに?」
http://yamauchi-koichi.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_319b.html

2011年8月23日付ブログ「移植ドナーになれず」
http://yamauchi-koichi.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-1d78.html

引用元http://yamauchi-koichi.cocolog-nifty.com/blog/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

骨髄ドナーへの道(2)山内康一「蟷螂の斧」

2014年07月04日 22時49分03秒 | 国際・政治

2014年7月3日 (木 )

前回に引き続き「骨髄ドナーへの道」です。
骨髄移植推進のためにはドナー登録が重要です。

現在、骨髄バンクに登録しているドナー希望者は、
なんと445,854人(平成26年5月末)です。

ドナーにとっては、金銭的な見返りは全くありません。
見ず知らずの他人のために、相当時間を割かれます。

骨髄移植ではドナーも入院が必要で痛い手術を受けます。
何の得にもならず、痛いだけと言えなくもないです。

それなのにドナーになる人が年に1300人もいます。
日本人は捨てたものではないなぁ、と感心します。

日本骨髄バンクという公益法人が骨髄移植を担当し、
患者の登録費や寄付金、国庫補助で運営されています。
思ったより税金の投入が少ないことに驚きます。

骨髄バンクの登録事業は、AC公共広告でも宣伝され、
ある程度の知名度は出てきているのかもしれません。
しかし、私も含めて詳しく知っている人は少ないです。

もっと大勢の人が登録すれば、より多くの患者さんが、
骨髄移植を受けられ、多くの命が救えます。

ある程度の年齢になると登録を取り消されるので、
常に一定数の新規登録者が必要になります。

骨髄移植を受けて健康になった患者さんたちは、
再び社会復帰して、社会に貢献できます。
将来への投資としても有益な税金の使い道です。

骨髄移植の普及、ドナー募集の啓発運動などは、
政府として力を入れるべき分野だと思います。

引用元http://yamauchi-koichi.cocolog-nifty.com/blog/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自民党の加藤紘一元幹事長が、「弁護士の連帯を強める埼玉の会」で講演の直前、体調不良でダウン、残念

2014年07月04日 21時57分13秒 | 国際・政治

2014年07月04日 02時26分15秒 | 政治

◆「自民党の加藤紘一元幹事長(元防衛庁長官)、さいたま市に来る」という感じの触れ込みに応じて、埼玉県内の弁護士らでつくる「弁護士の連帯を強める埼玉の会」が7月3日午後6時半から、さいたま市浦和区の市民会館うらわホールで、加藤紘一元自民党幹事長・元衆院議員を招き、集団的自衛権をテーマにした講演会に出かけた。だが、残念ながら加藤紘一元自民党幹事長が「体調不良のため中止」という看板が掲げられていた。会場入り口で主催者が配布していた「封筒入りの資料」をもらって、会場を後にするしかなかった。
 私(板垣英憲)は、毎日新聞政治部記者として、大平正芳首相番記者時代、将来の首相候補の1人と目されていた加藤紘一内閣官房長官も担当した。池田勇人元首相がつくった自民党派閥「宏池会」のいわゆる「プリンス」と目されていた。池田勇人元首相は、旧広島2区選出で、広島県呉市在住の私の一族は、広島県議をはじめみな、「宏池会」に属していた。それだけに、宏池会会長を務めたことのある加藤紘一元幹事長の「病欠」は、残念でならなかった。加藤紘一元幹事長は、東大法学部の学生時代の1960年安保闘争当時、父が自民党代議士でありながら、全学連主流派のデモに「3回だけ参加した」経験を持つ。
◆主催者から配布された資料のなかに、「しんぶん赤旗日曜版」に掲載されたインタビュー記事が含まれていた。見出しは「解釈改憲誤り」「自衛隊が地球の裏側まで」「自衛隊が地球の裏側まで」「自民元幹事長 加藤紘一さんが批判」である。
 このなかに、「戦争の道 再び進みかねない」「元官房長官、元防衛庁長官 加藤紘一さんに聞く」というインタビュー記事があり、講演会で語られたであろう内容を推測させている。
◆参考までに引用しておこう。聞き手は、田中倫夫記者で、以下の通りである。
 戦後日本の反戦・平和の世論は、労働組合や平和団体も支えてきました。でも日本の反戦・平和勢力で最大のものは戦争体験者だと、私は思っています。
 第2次大戦中、日本の少年兵で一番若いのは15、16歳でした。私の地元に、復員兵の息子さんがいます。彼はこんな話をしていました。「父は夜中になると荒れるんです。自分が殺した八路軍(中国共産党の軍隊)の兵隊が追いかけてくる、といって、家中のものをぶっ壊すんです」。別の復員兵は「1日に3人、4人と殺すことは大変なことだ」と語り、戦後25年たって、古い井戸に飛び込み自殺したそうです。
 復員兵たちは「生きて帰ってきて申し訳ない」と思いつつ、戦後、一生懸命働いてこの国を再建しました。その多くは保守系議員の後援会の中枢幹部になりました。そういう人たちは「代議士よ、国会議事堂に赤旗が立つのは困るけれど、戦争だけはしちゃだめよ」と強烈にいっていました」
 戦後69年もたつと、そういう人たちはだんだんいなくなってきた。あとは、戦争を知らない、戦争の悲惨さを体験していない世代です。戦争体験のない、頭だけで考える若者たちが、"ネット右翼"と称して勇ましいことをいっています。
 憲法は時代とともに多少変化があっていいと思うが、解釈改憲をこの流れに乗ってやると大変危険です。だからこそ集団的自衛権問題を機に、憲法論議を正面からやればいいと思っています。
 改憲勢力は実は、反米勢力なんですよ。靖国神社は、あなた方がよくこ承知の通り、反米神社です。正面から議論するとそういう問題があぶり出されてくる。憲法論議はいろんな欺臓(ぎまん)、を映し出してきます。
 私はこの国は、よほど慎重にやらないと間違えた方向に行きかねないと思っています。昔、「再び戦争の道を歩ませない」と聞いた時は「大げさな話だ」と思っていました。でも最近は、万が一ということもあると思っています。日本共産党はしっかりしているが、本当に腹のすわった抵抗勢力が少ないからです。
 自民党もいろいろと考えなおさなきゃいけない。戦後の保守主義というのは、地域のいろんな声を束ねた地域共同体づくりに原点がありました。しかしこの10年の新自由主義・構造改革がその日本的地域主義を壊し続けている。そういう中で俣守のありようも変わってきて、異論は排除しても右に行くというようになってきている。
 私たちは近現代史をよく勉強していないし、学校の授業でも十分に教えてくれない。今こそ歴史を学ぶ必要があります。
 聞き手 田中倫夫記者


本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」

北朝鮮「特別調査委員会」の事実上のトップに、金正恩第1書記=元帥(背後に女帝)の「身内」が就任した


◆〔特別情報①〕
 「第2の日本」北朝鮮が、拉致被害者らを調査する「特別調査委員会」を提示したのに対して、安倍晋三首相7月4日の閣議で「対北朝鮮経済制裁の1部解除」を喜ばしく、決めた。日本拉致被害者の完全帰国まで1年くらい時間がかかりそうである。だが、北朝鮮側が真剣に取り組んでいるので、日朝関係は、一気に改善の道を突き進んでいる。今回は、北朝鮮側のスタッフの名前が極めて具体的に示されているので、北朝鮮の強い本気性が窺がわれる。それは、北朝鮮の背後に、極めて強力な味方が控えているからだ。

「板垣英憲情報局」はメルマガ(有料)での配信もしております。
お申し込みはこちら↓




板垣英憲マスコミ事務所からも配信しております。
お申し込みフォーム

にほんブログ村 政治ブログへ



第31回 板垣英憲「情報局」勉強会のご案内
平成26年7月12日 (土)
「自民党解体と政界再編」
~歴史的使命を終えた自民党とこれからの2大政党政治



◆新刊のご案内◆

[新版]孫の二乗の法則 (板垣英憲著 PHP研究所刊)
価格:¥1,404
詳細はこちら→PHP研究所

中国4分割と韓国消滅
ロスチャイルドによる衝撃の地球大改造プラン
金塊大国日本が《NEW大東亜共栄圏》の核になる
著者:板垣 英憲
超★はらはらシリーズ040
☆絶賛発売中☆

詳細はこちら→ヒカルランド


 こちらも好評発売中 「ロスチャイルドの世界派遣奪還で日本の《政治・経済権力機構》はこうなる」(ヒカルランド刊)
 ■NEW司令系統で読み解くこの国のゆくえ―新帝王に小沢一郎が指名され、旧ロックフェラー派は大粛清、しかし日本は消費増税分の大半を上納しなければならない

詳細はこちら→ヒカルランド

**********板垣英憲『勉強会』の講演録DVD販売********
板垣英憲・講演録DVD 全国マスコミ研究会
6月開催の勉強会がDVDになりました。
 「暴走する安倍晋三政権、どうなるカジノ構想~祖父・岸信介首相の亡霊に憑りつかれた独裁者の悲喜劇」
その他過去の勉強会20種類をご用意しております。遠方でなかなか参加できない方など、ぜひご利用下さい。
板垣英憲・講演録DVD 全国マスコミ研究会

【板垣英憲(いたがきえいけん)ワールド著作集】




◆不信の時代なればこそ『誠』の経営学~『新撰組』の精神と行動の美学をビジネスに生かす

目次

第1章 内務省職員組合の初代執行委員長

カミソリ後藤田


 後藤田は、大蔵省と並んで国家権力の象徴ともいえる内務省の中枢に職を得た。伝統ある内務省の歴史に新しい頁を刻むエリート官僚となったのである。そのこと自体、後藤田が極めて強い「権力志向」の持ち主であることを裏付けていた。
 内務省は、現在、自治省や警察庁などが入っている人事院ビルのなかにあった。このビルは、平成七年三月二十日朝、オウム真理教団により毒ガス「サリン」をまかれた地下鉄「霞が関駅」の出入口の直ぐ側に立っており、いわば権力の象徴のような建物である。
引用元http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/454669710def9011203e0cbe701ffa51
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「金正恩の北朝鮮と手を組んだ安倍首相の日本」というブラックジョーク

2014年07月04日 16時58分19秒 | 国際・政治
<article class="articleInnr"><header id="articleHd" class="rics-column">

天木 直人 | 外交評論家

<time>

2014年7月4日 7時2分

</time>
</header>

よくもこんな無茶苦茶な外交がまかり通りものだ。

金正恩の北朝鮮ん対する制裁緩和の事である。

そもそも、5月末のストックホルムで開かれた日朝局長級協議の時から、すべてはばれていた。

つまり拉致問題のごまかし決着のために、安倍・菅コンビは金正恩の北朝鮮と制裁緩和で密約していたのだ。

だから、今度の制裁緩和には驚きはしない。

私が驚くのは、こんな無茶苦茶な外交に誰も文句を言わない日本という国だ。

今度の制裁緩和も、それが発表される前からメディアは当然のように報じていた。

もはやこの国のメディアは安倍政権の広報役をつとめているからそれも驚かな。

私がが驚くのは、北朝鮮嫌いの右翼も、安倍首相の集団的自衛権行使容認に反対する護憲・左翼も、この安倍首相の北朝鮮外交を一切批判しないことだ。

金正恩の北朝鮮は安倍政権が最も嫌っていた独裁国家ではなかったのか。

同盟国米国を敵視した核・ミサイル脅威国ではなかったか。

そのために集団的自衛権行使容認を急いだのではなかったのか。

日朝協議の最中にも、北朝鮮は何度も日本に向けてロケット発射を繰り返したのではなかったのか。

中国や韓国ですら、北朝鮮の暴走を許さないと合意しているではないか。

それなのに、なぜ日本を守ると繰り返す安倍首相は金正恩の北朝鮮を信用して、制裁解除を行うのか。

いつから日本はみな北朝鮮が好きになったのか。

何もかも日本は矛盾だらけだ。

このつけは必ず日本に倍返しで跳ね返ってくるだろう(了)

</article><footer>
天木 直人

外交評論家

2003年、当時の小泉首相に「米国のイラク攻撃を支持してはいけない」と進言して外務省を解雇された反骨の元外交官。以来インターネットを中心に評論活動をはじめ、反権力、平和外交、脱官僚支配、判官びいきの立場に立って、メディアが書かない真実を発信しています。主な著書に「さらば外務省!」(講談社)、「さらば日米同盟!」(講談社)、「アメリカの不正義」(展望社)、「マンデラの南アフリカ」(展望社)。

</footer>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米国に嫌われた事を週刊誌で告白して嘆く飯島勲の軽率さ加減

2014年07月04日 16時49分45秒 | 国際・政治
<article class="articleInnr"><header id="articleHd" class="rics-column">

天木 直人 | 外交評論家

<time>

2014年7月4日 10時48分

</time>

どうでもいい事だが、個人的に極めて興味深い記事を見つけたので紹介する。
</header>

発売中の週刊文春7月10日号で、小泉首相の元政策秘書だった飯島勲氏が自らの連載コラム「激辛インテリジェンス」で嘆いている。

7月4日の米国独立記念日に行われる米国大使館主催のナショナルデー・レセプションに今年は招待状が届かなかった、と。

小泉首相の秘書官をやって以来ここ10年必ず招待状が届いていたのに、安倍内閣の参与である自分に招待状が来ないとは、ケネディ大使に嫌われたものだ、と嘆いている。

これには三つの観点から笑ってしまった。

一つには、飯島氏がいみじくも認めるように、彼は米国大使館から今年は招待に値しないと判断された事だ。

私も海外の日本大使館でナショナルデー・レセプションを何度も主催してきたが、誰を招待リストに含めるかは十分な検討を加えて決められる重要な政策判断だ。

飯島氏は招待に値しないと判断されたのだ。

ケネディ大使自らの判断とは思わないが、米国大使館はそう判断した。

ひょっとしたたら、この週刊文春の記事を読んで、今晩のレセプションに呼ばれようになったかもしれないが、そして飯島氏はそれを狙ってこの記事を書いたのかもしれないが、少なくとも招待リストに入れるほどの重要性のある人物とは米国大使館は飯島氏を考えていなかったということだ。

二つには、飯島勲という人物が、米国にどう思われているかを気にする、対米従属の俗物であるということだ。

招待されることを当然視し、その為に7月4日を空けておいて楽しみにしていたのに、招待されなくてショックだった、残念だったと嘆いている。

驚くばかりの米国かぶれだ。

極めつけは、その事を週刊誌上で公開する恥知らず加減である。

これを要するに飯島勲という人物は、驚くべき軽率で、バカ正直な男ということだ。

こんな人物が安倍内閣の参与としてやりたい放題、言いたい放題というのだから、安倍内閣の質の低さは推して知るべしである(了)

</article><footer>
天木 直人

外交評論家

2003年、当時の小泉首相に「米国のイラク攻撃を支持してはいけない」と進言して外務省を解雇された反骨の元外交官。以来インターネットを中心に評論活動をはじめ、反権力、平和外交、脱官僚支配、判官びいきの立場に立って、メディアが書かない真実を発信しています。主な著書に「さらば外務省!」(講談社)、「さらば日米同盟!」(講談社)、「アメリカの不正義」(展望社)、「マンデラの南アフリカ」(展望社)。

有料ニュースの定期購読
</footer>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新宿での焼身自殺未遂事件 報道が少なかったのはなぜ?

2014年07月04日 16時35分21秒 | ニュース

THE PAGE 7月3日(木)20時13分配信『多くの買い物客らでにぎわう東京・新宿で6月29日、1人の男性が衆人環視の中、自らの身体に火を放って自殺を試みる事件が起きた。この様子は、現場にいた人々が撮影してネットに投稿され、大きな話題となった。しかし、大手新聞社やテレビ局では、それほど大きく報じられなかった。この男性の行為は、安倍政権が進める集団的自衛権の行使容認に反対したものといわれるが、なぜ新聞やテレビではあまり報道されなかったのだろうか?
今回の事件は、JR新宿駅南口近くの歩道橋で発生。報道によると、中年の男性が、拡声器で集団的自衛権や安倍首相に関する主張を1時間ほど述べた後、ガソリンのような液体をかぶり、火をつけたという。
ネットでは現場の生々しい写真や映像が出回り、大きな反響を呼んだ。しかし、ネットでの衝撃とは裏腹に、翌日の月曜日の新聞では、読売、朝日、毎日、産経はいずれも社会面の小さなベタ記事扱い。写真もなく、よほど注意して見ないと記事に気づけない。テレビ民放各局も、1分弱の単発ニュースで淡々と報じただけ。NHKではニュースにもならなかった。
一方で、アメリカのCNN、フランスのAFP通信、イギリスBBCなど外国メディアは、東京発のニュースとしてこぞってこのニュースを報じた。平和主義を掲げる日本の憲法9条と集団的自衛権の問題を説明するなどし、「焼身自殺による抗議は、日本では非常にまれ」と、驚きをもって伝えている。
外国メディアが報じるほどなのに、国内メディアの報道が淡白なことに対して、ネットでは「言論統制か」「何かの圧力?」「おかしいじゃないか」といった声も上がっている。
なぜ、今回の報道は抑制的だったのか?自殺の報道を巡っては、「報道すれば、それが模倣の自殺を生む」という指摘が以前からあった。世界保健機関(WHO)は「自殺予防 メディア関係者のための手引き」を発行している。その中では、1774年にゲーテの小説「若きウェルテルの悩み」が出版されてから、主人公に影響を受けた自殺がヨーロッパ中で相次いだことなどを紹介。』

ティック・クアン・ドック氏か゜、1963年6月11日、当時の南ベトナムゴ・ディン・ジエム政権が行っていた仏教徒に対する高圧的な政策に抗議するため、サイゴン(現・ホーチミン市)のアメリカ大使館前で自らガソリンをかぶって焼身自殺し世界にテレビ放映された出来ことを思い出しました。、「報道すれば、それが模倣の自殺を生む」という指摘が以前からあった。世界保健機関(WHO)は「自殺予防 メディア関係者のための手引き」を発行している。その中では、1774年にゲーテの小説「若きウェルテルの悩み」が出版されてから、主人公に影響を受けた自殺がヨーロッパ中で相次いだことなどを紹介しても、今日と時も政治形態も違います。、自分の信念と自分の主張を社会や世界に示す目的を持って焼身自殺したのです。今後勇気のいる焼身自殺した人柱のような人の真似をしたりする人間が、増えるとは思えません。キリスト文明の世界で育つた西洋人には、東洋人の心は日本に来てもなかなか理解出来ないと思います。イスラム教徒の聖戦士論とどこか共時性が有るのではと考えもします。国家 権力による大衆操作により、大手メディアが報道規制に走ったのか。インターネットが、全世界に普及している今日、テレビ局や大手新聞社が報道しなくても事実は、瞬時にインターネットで全世界に知れ渡る時代です。テレビ局や大手新聞社の時代も一歩、一歩斜陽化し゜終焉に近づいていると言えます。マスコミ人として、真実や矛盾に目を瞑ることなく国民に真実の報道をする責務が有ります。大東亜戦争の戦争責任は、判断を誤った軍部責任で敗戦国になった日本と言われていますが、戦前のマスコミ、大手新聞社の戦争責任も当然有ると思います。今も昔も負けるような戦争は、日本は、二度としてはいけないと言うことです。最近は、ミリタントな報道内容や報道姿勢も多くなり、日本をいつか来た道の戦争に再び巻き込もうと盛んに揚げ足を取る大手新聞社も有り、国民は、再び日本が戦争に巻き込まれ、日本国が滅ばないようにしっかり真実を見据え、直視して行く必要に迫られています。

ティック・クアン・ドック
1897年 - 1963年6月11日
林文息
釋廣德
生地Flag of Colonial Annam.svg フランス領インドシナ連邦、ホイカーン
没地ベトナムの旗 南ベトナムサイゴン
宗派大乗仏教
寺院天姥寺

ティック・クアン・ドックベトナム語: Thích Qu?ng Đ?c, 漢字: 釋廣德、1897年 - 1963年6月11日)は、ベトナム僧侶である。

ティック・クアン・ドックが使ったオースチンA95フエ・天姥寺蔵)

生涯

1963年6月11日、当時の南ベトナムゴ・ディン・ジエム政権が行っていた仏教徒に対する高圧的な政策に抗議するため、サイゴン(現・ホーチミン市)のアメリカ大使館前で自らガソリンをかぶって焼身自殺した。

彼は支援者たちが拝跪する中、燃え上がる炎の中でも蓮華坐を続け、絶命するまでその姿を崩さなかった。その衝撃的な姿がカメラを通じて世界中に放映され、ベトナム国内だけでなく国際世論に大きな影響を与えることとなった。

ジエムの弟にして秘密警察長官であったゴ・ディン・ヌーの妻のマダム・ヌーは、アメリカのテレビインタビューでこの事件を「あんなのは単なる人間バーベキューよ」と発言して顰蹙を買い、国民のジエム政権への反発をいっそう高めた。11月にはクーデターが発生し、ジエムおよびヌーは決起部隊に殺害されたが、マダム・ヌーは生き延びた。

リチャード・ニクソンは著作で、この事件を共産主義者プロパガンダの一環に過ぎないと主張した。アメリカ人ジャーナリストのマルコム・ブラウンが撮影した報道写真は、1963年度の世界報道写真コンテストでグランプリを受賞した。

その他

アメリカのロックバンド・レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのデビュー・アルバム『レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン』のジャケットには、この焼身自殺事件の写真が使われている。

松岡正剛千夜千冊第568夜

2002年06月27日より引用 

      

坂井三郎

大空のサムライ|上・下

光人社 1967 講談社α文庫 2001

ISBN:4769820011

    京都市中京区姉小路東洞院。赤レンガの日銀支店の裏。初音中学校。各学年3クラス。職員室や音楽室のある棟は木造だった。小さかった。

 これがぼくの中学校である。ここに赤井先生という数学の先生がいた。胡麻塩アタマで、ユーモアもあるが短気で怖いカミナリ先生でもあった。

 しかし数学の教え方がユニークで、初音中学校からはソロバン大会や暗算大会ではいつもトップ入賞者が出ていた。ぼくもこの先生にはぞっこんで、すぐに数学に夢中になった。2年になるとクラス替えがあり、赤井先生が担任になった。

 そこで、もっと数学をベンキョーしてみたいなどという大それたことを言ったのだとおもうのだが、すかさず「はい、それならそうしなさい」「ただし、担任のワシが教えるわけにはいかないから、友人を紹介する」と先生は言い出して、こちらの事情などまったく無視して、ある数学教室に推薦されてしまった。

 おかげで、このおもしろくもない北大路河原町あたりの数学教室に1年以上も通うことになったのだが、以上の話は本書と何の関係もない。

 実はその赤井先生が坂井三郎の大ファンだったのである。

 なにしろ授業の途中で10回以上も坂井三郎の名が出てきた。数学とは何の関係もない。ところが、これがものすごく記憶に残った。まあ、中学生が10回も一人の人物の話を聞かされれば、誰だって記憶に残る。

 坂井三郎はな、飛行機乗りやった。ゼロ戦に乗ってたんや。ゼロ戦ちゅうのはそのころで一番速い戦闘機や。しかも坂井三郎は敵も味方も褒め称えた天下の撃墜王や。百発百中。しかし戦闘機に乗るには眼がよくならなあかん。そのため、坂井はいつも飛んでるハエを箸でつかむ練習をした。これは、むかし宮本武蔵がやった練習やな。どや、すごいやろ。

 こんな話をしょっちゅう聞かされた。

 いったいなぜこんな話をしてくれたのかはわからなかった。またゼロ戦に乗ることがどんなにステータスのあることなのかということも、まったくわからなかった。ただ、坂井三郎という天才的な飛行機乗りがいて、異様な訓練をしつづけ、その後日本が世界に誇る撃墜王になったということだけが印象に残っていた。

 その坂井三郎のことにもう一度出会うとは思っていなかった。ぼくが25歳のときである。そのころ初めてアパート暮らしをはじめたのだが、その三軒茶屋近くの三宿のアパート「三徳荘」の二つ隣りに古ぼけた床屋があって、そこでぼくは『遊』を創刊するにあたってすっぱり坊主頭になった。そうしたら、床屋のオヤジの栗原清司に大いに気にいられ、稲垣足穂の『ライト兄弟に始まる』の話をしたら、飛び上がるように抱きつかれた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする