中公新書の新刊の板橋拓己著「アデナウアー」は、
私より若い学者の書いた本で名著だと思いました。
歴史上の人物で名前だけ知っている西独の宰相、
コンラート・アデナウアー(1876~1967年)を、
簡潔、かつ、わかりやすく解説した新書です。
戦後ドイツの歩みを知るにはよい本だと思います。
わずか240ページなのによくまとまっています。
しかも、著者の主張もしっかり入っています。
アデナウアーは若くしてケルン市の市長に就任し、
第一次大戦後にフランスとの融和に努めます。
ヒトラーやナチスと敵対し、市長を罷免されます。
ゲシュタポに逮捕され、ナチスに公職を追放され、
第二次大戦が終わるまで表に出られませんでした。
ナチスによって一度は引退に追い込まれました。
西ドイツの英国占領地域で政治活動を再開して、
キリスト教民主同盟(CDU)の創設者として、
CDUの基礎を築きました。
アデナウアーが西独連邦初代首相に就任したのが、
73歳の時です。それから14年間も首相の座に。
トップは若ければ良いというものでもありません。
プロテスタントとカトリックのバランスを取り、
地域の均衡を取り、連立のパートナーと調整し、
いろんな利害を調整して長期政権を維持します。
西ドイツの経済復興を成し遂げる原動力となり、
西ドイツの福祉国家の基礎を築きました。
反共産主義の立場から西側との結束を固めつつ、
アメリカやフランス等と利害を調整しながら、
西ドイツを国際社会への復帰させていきます。
ユダヤ人問題やイスラエルとの和解を進めつつ、
西ドイツの再軍備もきっちりやり遂げました。
アデナウアーは、ナチスに迫害されていた時に、
ユダヤ人実業家に救ってもらった経験もあって、
ユダヤ人に対する贖罪意識を持っていました。
アデナウアーは、個人的な友人への私信の中で、
ナチスの蛮行を止めなかった多くのドイツ国民を
冷徹なまでに断罪しています。
しかし、アデナウアーは、政治的な判断から、
ドイツ国民に対する断罪を公の場においては、
表明することはありませんでした。
むしろアデナウアーは、ドイツ人の集団的罪責を
公の場では戦後一貫して否定し続けました。
ドイツ国民への断罪が、再びナショナリズムに
走らせるのではないかと恐れたからです。
個人的には道義的責任を強く感じていながらも、
そのことを口にすることによる反作用を考えて、
ナチスを断罪しても、国民を断罪しないという、
現実的な判断に至ったと言えるのでしょう。
もしかすると一億総懺悔と言った日本の政治家より、
より賢明なやり方だったと言えるのかもしれません。
「連帯責任は無責任」ということかもしれません。
日本も「一部の軍国主義者や言論人が悪かった」と
整理しておいた方が、あとあとのためだったかも、
と思わずにはいられません。歴史のイフですが。
アデナウアーのナショナリズムへの対処に関し、
冷徹かつ現実的な判断に畏敬の念を覚えます。
著者は「あとがき」で以下のように述べます。
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アデナウアーのイスラエル・ユダヤ人団体への
補償政策を調べているとき、何よりも日本政治の
憂鬱な現状が、常に私の頭のなかにあったことは
否定のしようがない。
自国民のナショナリズムを煽り、あるいは
それに迎合し、国際社会における日本の立場を
棄損していく自称「保守」の現代日本の政治家に
うんざりするあまり、世論や自党にも抗して、
「外圧」をうまく利用しながら、国際社会復帰の
ために粛々と補償を進める「保守」の
アデナウアーに畏敬の念すら禁じえない
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私も著者の板橋氏に同感です。
ナショナリズムというのは、扱いが難しいです。
健全な愛国心と排外的なナショナリズムの境目も
必ずしも明確とは言えないかもしれません。
新大久保の韓国人街でヘイトスピーチをやるのは、
明らかに不健全で拝外的なナショナリズムですが、
それほど境目が明白でないものもあります。
政治というのは、ナショナリズムとうまく付きって、
世論を誤った方向に導かず、誤った世論に迎合せず、
微妙なかじ取りが求められるのだと思います。
自称「保守」ではなく、本物の「保守」政治家は、
アデナウアーのような冷めた現実的感覚を持って、
国を導いていく必要があるのだと強く思います。
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引用元http://yamauchi-koichi.cocolog-nifty.com/blog/