教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

ホーム 山内康一ブログ 『 蟷螂の斧 』 子どもと教育 教育を考えるシリーズ(最終回):民主主義と教育

2019年11月15日 18時08分42秒 | 国際・政治

教育を考えるシリーズ(最終回):民主主義と教育

教育を考えるシリーズの第6弾です。これで最終回で、いちばん主張したいポイントです。朝日新書「リベラルは死なない」からの抜粋です。

――――――――――――――――――

教育行政、教育と政治の適切な距離

本章で考えてきた教育の課題を考えると、政治主導で進められてきた「教育再生」がさまざまな弊害を生んできたことこそが、最大の問題だということに気づく。

中曽根臨時教育審議会以来の自民党政権の教育改革の多くは、教育の専門家の意見よりも、経済界や文化人の声を反映した「教育改革」というケースが多い。すべての人が中学校まで通い、ほとんどの有識者が大学を卒業しており、教育の「経験者」であるため、教育政策に関してはだれでも意見がいえる雰囲気がある。

残念ながら、多くの場合、自分自身の経験に基づく狭い意見であっても、教育については確固とした信念を持っている人が多い。防衛政策や科学技術政策などでは専門外の有識者の声が政策に反映されることは多くないが、教育政策については、教育の専門家の声よりも、政治家や財界人の声がより強く政策決定に反映される傾向がある。

もちろん市民の声を政策に反映させることは重要であり、アメリカ型教育行政にみられる「レイマンコントロール(layman control=専門家でない人による統制)」は地方自治の観点からも意義がある。しかし、教育現場の実態を知らない政治家や財界人の多くは、裕福な家庭に育ち、名門の中高一貫校で学び一流大学を卒業した一握りのエリートである可能性がきわめて高い。そういったエリートの声だけが教育改革の議論で反映されるのは問題である。

貧しい家庭の子ども、障がいのある子ども、虐待を受けた子どもなど、さまざまなニーズを持つ子どもたちを含め、総合的な政策を立案するためには、教育学者や教育社会学者、現場の教職員などの教育専門家の意見を十分考慮する必要がある。

そのような配慮に決定的に欠けているのが、安倍総理の肝いりの教育再生会議(第一次安倍政権)や教育再生実行会議(第二次安倍政権以降)のメンバーの人選である。安倍総理のお友達の右派的イデオロギーの学者や財界人が出す勧告は、新自由主義的な色合いと保守的道徳観に基づき、教育現場の実態をかけ離れたものが多かった。

安倍政権の「教育再生」では、右派的イデオロギー色の強い道徳教育の教科化や歴史教科書への文部科学省の指導強化が進むと同時に、新自由主義的な競争重視・市場原理導入の教育改革が推進されてきた。道徳教育の強化の危険性は前述のとおりであるが、大学入試における民間業者英語試験の導入をはじめ、民間人校長の失敗事例など、新自由主義的な教育改革には弊害も多くみられる。

「官邸主導」や「政治主導」の派手な教育改革の危うさを踏まえ、国家が介入する領域は教育費負担や最低基準づくり(ナショナルミニマム)を主とし、教育行政の地方分権を進め、大学や学校の教員の専門性・自主性(professional autonomy)を尊重し、過度に中央集権的な教育行政にならない工夫が必要である。

あわせて、教育改革の進め方にも注視しつつ、現場の声、専門家の声、市民の声をバランスよく踏まえつつ、社会全体で教育に取り組み、地道にボトムアップで「教育改善」を進めていける環境を整えることが必要である。

 

教育と社会、教育と民主主義

私事で恐縮であるが、筆者は途上国の貧困問題に関心を持ち、1990年代に大学(学部)で開発経済学を学び、フィリピンの大学にも留学した。その後、JICAやNGOで国際援助に携わるなかで、教育こそが途上国の貧困解決のカギだと考えるようになり、ロンドン大学教育研究所に留学して教育政策を学んだ。失われた20年の間に途上国と同じように日本でも貧困問題が深刻になってきたが、日本でもやはり教育こそが貧困問題解決のカギだと思われる。世代を超えた貧困の連鎖を防ぎ、格差の固定化を食い止めるには、すべての人に平等に質の高い教育を受ける機会を確保しなければならない。格差で分断された社会を立て直すために教育の意義を再認識すべきである。

最後に教育と民主主義の関係にふれたい。民主主義は、単に制度さえあれば、機能するというものではない。第二次大戦以前にもっとも民主的といわれたワイマール憲法のもとでナチスが台頭した例もあれば、民主主義の最先進国といってよい米国で民主主義や人権を危うくする大統領が登場した最近の例もある。

民主主義の理念を実現するには、民主主義の制度の仕組みや政策の理解力、ネットやメディアの情報の真贋を見抜くリテラシー、歴史的・社会的背景についての知識など、一定の理解力や知識が求められる。それらをすべての国民が体系的に身につけられる場所は、学校教育しかない。排外的ポピュリズムが蔓延するなかで、民主主義は放っておいても自然と維持できるものではない。民主主義を成り立たせるためには、民主主義の価値や理念を理解し、それを守ろうと不断の努力を重ねる市民の存在が不可欠である。その努力のスタートは学校教育である。教育と民主主義は密接不可分である。民主主義を守るための教育という視点を忘れてはならない。

*ご参考:井手英策編著 2019年「リベラルは死なない」朝日新書

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホーム 山内康一ブログ 『 蟷螂の斧 』 子どもと教育 教育を考えるシリーズ(5):教育への過剰な期待

2019年11月15日 17時47分21秒 | 国際・政治

教育を考えるシリーズ(5):教育への過剰な期待

教育を考えるシリーズの第5弾です。朝日新書「リベラルは死なない」からの抜粋です。

――――――――――――――――――

教育への過剰な期待〜「何に力を入れないか?」という観点

日本人は「教育好き」といってよいだろう。社会の問題の多くを教育によって解決できると考え、「〇〇教育」を次から次に発明し、学校教育に取り入れようとする傾向がある。

「〇〇」にはさまざまな課題が入る。国際理解教育、環境教育、消費者教育、金融教育、主権者教育、防災教育、プログラミング教育など、近年「必要だ」と主張される「〇〇教育」は数え上げたらキリがない。どれも重要であり、どれもすべての子どもたちに教えた方がよいだろう。

しかし、すべての「〇〇教育」を学校教育に取り入れれば、学校の授業時間は際限なく増えていき、子どもと教員の負担は限度を超えてしまう。

それぞれの分野の専門家や政治家は、カリキュラム全体を見て判断しないため、「何かを加えるためには、何かを削る必要がある」という発想を持たずに、単に「〇〇教育を追加せよ」と主張する。

総合的に考えれば、国語や算数といったすべての子どもにとって必要な教科を削減してまで「〇〇教育」を追加するのは簡単ではない。もちろん国語や理科の教科のなかで「〇〇教育」の要素を埋め込んで教えるのは有効であるが、それにも限度がある。

「教育への過剰な期待」は、学校現場への過剰な要求にどうしてもつながりがちである。近年の緊縮的な新自由主義的行政改革では「削ること」が主だが、教育改革だけは例外的に「足すこと」が主になる傾向がある。「何に力を入れるのか」を考えるのも重要だが、教育への過剰な期待を考慮すれば、「何に力をいれないのか」も重要である。

先に触れた小学校での英語教育の教科化は、その象徴である。英語教育の教科化は、経済界の要望も強く、保護者の間でも人気がある。しかし、小学校にはもともと英語教育(外国語教育)の専門家はいない。ろくな準備もなく拙速に小学校の英語教科化を進めたのは、繰り返すが、誤りである。

小学校教育に英語の授業をつけ加えるために、国語や算数といった科目を削るのは問題だし、英語の授業を増やすために土曜日登校を増やすといった対応を迫られるのであれば、教員と子どもたちの余裕を失わせることになる。

そもそもの話、本当に英語の教科化が必要だったのか、英語の授業を足すことにより何が失われるのか、そういった議論と検討が十分になされたとは思えない。仮にさまざまなデメリットがあってもそれでも英語を教科化するのであれば、その前に小学校教員に対して英語教授法の研修を十分に行い、万全の準備の上で実行に移すべきであったが、実態はそうなっていない。

小中学校という義務教育段階においては、「すべての子どもに必要な知識や態度」を身につけさせることが肝要である。国語、算数、理科、社会といったもっとも基礎的な教科の基礎知識を徹底して習得させることを優先すべきである。

こうした観点から考えれば、小学校の英語教育の教科化などは不必要な改悪である。さまざまな「〇〇教育」を追加して教育現場の負担を増やすことは控えるべきであり、どうしても必要な知識を厳選し、基礎を徹底することこそ義務教育の目標とすべきである。

他方、日本では何か問題があるとあれもこれも教育のせいにする傾向がある割に、教育予算の増額には国民的合意が成り立っていない。教育費負担を「自己責任」とみなす一方で、何か問題があれば「教育の責任」が問われる。

教育重視というのであれば、まずOECD加盟校で最低水準の公的教育支出を増やし、教員の増加や非正規教員の正規化を進めるべきである。そのうえで、カリキュラムを厳選して質を高め、教員の研修を充実させるといった地道な「改善」が求められる。

悪いところを抜本的に「改革」するというより、現場の声をいかした漸進的な「改善」こそが日本の教育行政に求められているのではないだろうか。派手な「教育改革」より地道な「教育改善」を推進すべきである。

*ご参考:井手英策編著 2019年「リベラルは死なない」朝日新書

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホーム 山内康一ブログ 『 蟷螂の斧 』 子どもと教育 教育を考えるシリーズ(3):大学の課題

2019年11月15日 17時33分05秒 | 受験・学校・学問
<iframe id="fb_xdm_frame_https" title="Facebook Cross Domain Communication Frame" name="fb_xdm_frame_https" src="https://staticxx.facebook.com/connect/xd_arbiter.php?version=44#channel=f1070349fc&origin=https%3A%2F%2Fwww.kou1.info" frameborder="0" scrolling="no"></iframe>
 

教育を考えるシリーズ(3):大学の課題

教育を考えるシリーズの第3弾です。朝日新書「リベラルは死なない」からの抜粋です。

――――――――――――――――――

大学教育の費用

家庭の教育費負担が特に重いのが大学である。国公立大も私大も大学授業料は大幅に増額してきた。かつては国公立大と私大の授業料格差が大きかったが、当時の政権は国公立大の授業料引きあげにより、授業料の格差を縮めてしまった。

背景にあったのは、義務教育ではない大学教育は自己責任であり、受益者負担の原則が望ましいとの政治判断だ。右肩上がりの高度成長期において、大学進学率が今より低く、授業料負担が軽かった時代なら、そのような格差是正策も許容できるかもしれない。しかし、授業料の負担がだんだんと重くなり、所得格差も広がっている現状では、大学の教育費負担を家庭だけに負わせるのはむずかしい。

卒業後に奨学金という名の多額の借金を背をわされる若者の返済苦は、いまや社会問題になっている。家庭の所得格差を子どもの教育格差につなげないためには、大学教育の経済的負担を軽減する必要がある。

知識基盤社会において大学教育の重要性はさらに高まっていくだろう。国際競争力を保つためには、質の高い人材の育成は重要であり、大学教育への投資は不可欠である。大学への公的補助を増やし、大学授業料を大幅に下げる必要がある。大学教育の無償化は、納税者の納得、大学教育の質の保証、大学に進学しない人との公平性の問題など、さまざまな課題があり、すぐには実現しないかもしれない。

しかし、30~40年前と比べて大学授業料は数倍に値上がりしている一方、この20年ほど実質賃金が低下していることを考えれば、大学授業料の値下げは喫緊の課題である。長期的には大学無償化をめざしつつも、すぐに取り組むべきは大学授業料の大幅値下げと給付型奨学金の拡充である。

同時に大学教育への公的支出を増やすのであれば、大学の自治や学問の自由を尊重しつつも、大学教育の質の担保にも力を入れる必要がある。大学教育を受けた人と受けなかった人との公的支出のバランスにも配慮し、専門学校や職業訓練校に対する公的支出の増加も同時並行で進める必要がある。すべての人に質の高い大学教育や職業訓練サービスを受ける権利を保障しなければならない。

 

大学「改悪」をくい止める

国立大学法人化、運営費交付金の削減といった近年の大学改革は、大学の教育や研究に悪影響を与えているとの批判がある。国立大学改革では、大学法人化により大学経営の「自律化」をめざすとされているが、実際には法人化しても、予算のかなり割合が国庫負担であることに変わりがない。学生数により一律に予算が配分されていた時代に比べ、「経営努力」を評価されて予算が配分される方式になり、逆に文部科学省の意向が大学経営により強く反映されるようになったとの指摘もある。

研究助成に関しても、一律配分の研究助成が減少するとともに、競争的な研究助成が拡大し、政府が「将来性がある」とみなした分野に予算が集中する傾向がみられる。また、文科省の官僚や一部の有識者が、「どんな分野の研究に将来性があるのか」を正しく判断できるという前提にも疑問がある。

こうした問題含みの大学改革の結果、大学の自治や学問の自由が損なわれ、官の統制が強化されたり、すぐに利益を生まない基礎研究や人文社会学系学問を軽視したりする風潮が生じている。

基礎研究を軽視することの弊害は、科学技術の振興を阻害することに尽きている。近年ノーベル賞を受賞する日本人研究者が目立つが、彼らがノーベル賞受賞対象の研究をしていた頃の研究助成や研究者育成の方針を再確認し、そこから教訓をくみ取るべきだろう。

ここ数年のノーベル賞受賞者たちが若手研究者だった頃は、産学連携も競争的研究助成もさほど多くなかったはずであり、当時のやり方は全否定されるものではない。日本の科学研究の水準低下が指摘されるなか、近年の競争や効率を重視する研究助成が、本当に効率的だったのか検証する必要がある。

一方、リベラルアーツ的な人文社会学系学問は、国立大学改革では軽視される傾向があり、国立大学の人文系学部は再編を余儀なくされている。変化の激しい時代、AI時代、知識基盤社会だからこそ、リベラルアーツ的な知性の必要性が高まっているにもかかわらず、だ。

狭い専門性にとらわれず、広い視野と柔軟な発想を生むには、教養教育は有効である。「すぐに役立つことはすぐに役に立たなくなる」という言葉もあるように、目先の有用さにとらわれず、自由な思考や発想を育てる大学教育の価値を見なおしていくべきである。安倍政権の教養教育軽視・反知性主義的な大学「改悪」は方向転換すべき時にきている。

 

ランキング至上主義について考える

近年の大学改革の弊害は、大学評価のあり方や指標にも原因がある。安倍政権は「国立大学改革プラン」の目標のひとつを「世界大学ランキングトップ100にわが国の大学10校以上をめざす」とした。そもそも「世界大学ランキング」が評価指標として適切なのか疑問である。ランキング好きの国民性もあるのか、文科省も深く考えずにこの指標を取り入れている節がある。

かつて文科省の担当官に「世界大学ランキングといっても、Times Higher Education(THE)もあれば、クアクアレリ・シモンズ(QS)や上海交通大学のランキングもある。どのランキングのことなのか?」と質問したところ、ハッキリした答えはなく、公式には決まっていないということだった。

THEもQSも英国企業によるランキングであり、どうしても英国や英語圏の大学がランキング上位に来る傾向がある。英語の学術論文の引用数が基準になれば、英語以外の言語で高等教育を受けている国の大学は不利になる。日本、フランス、ロシア、ドイツ等の大学では、母語で博士課程まで勉強できることもあり、英語論文を書く機会が少なくて当然である。

他方、小国ゆえに母語の学術書の市場規模が限られる国の大学は、英語で書かれた学術書を採用し、英語で学会誌に投稿することが多く、英語論文の引用数も多くなる。結果的に英語圏、および、英語が公用語の国(シンガポール、香港等)と小国(スイス、オランダ、スウェーデン等)の大学は、世界大学ランキングの上位を狙いやすい。

さらに世界大学ランキングの評価指標のなかには「産業界からの収入(industry income)」といった無意味な項目があり、国の補助金率が高い日本の国立大学には不利である。国の補助金による教育研究の質が、産業界からの収入による教育研究の質に劣る理由は何もない。おかしな指標である。この指標のせいで東京大学のランキングは大幅に下がっている。

そもそも英国企業が作り出した評価基準が、英国の大学やそれに近い制度を採用するカナダやオーストラリアの大学に有利になるのは当然である。世界大学ランキング入りめざし、英国の評価機関がつくった物差しにあわせて、大学を「改革」する弊害は大きい。

「英語帝国主義」ともいうべき大学ランキングを重視するのはやめるべきである。大学教育の評価基準は日本独自のものであってよい。あるいは、日本がドイツやフランス、ロシア、中国などに呼びかけて、英語圏偏重ではない大学評価基準づくりをリードしてもよいだろう。

 

多様で開かれた高等教育

1990年代以降、労働市場のあり方は大きく変化した。これにあわせて大学のあり方を変化させることも喫緊の課題である。終身雇用の正社員を前提に「企業が人を育てる」という考えが支配的だった時代には、大学教育への期待は低かった。大学入試の合否で示される優秀さのみが重視され、大学で何を学んだかを気にする企業は少なかった。

しかし、雇用が流動化し、企業は長期的な視野に立って人材を育成する余裕を失いつつあり、その反動で大学教育への期待が高まっている。社会のニーズにあった人材を育成するという大学の機能がより重要になっているわけだ。

従来の学部教育や大学院教育だけでなく、職業をもったまま通学できる夜間や週末のコースやインターネットを使った遠隔教育、短期集中型のトレーニングなどの多様なニーズにこたえる大学教育が求められるだろう。それぞれの大学が創意工夫をしながら、知識基盤社会で生きぬく人材を育成することは、国際競争力を維持するうえでも重要である。

また、従来のように高校卒業後にストレートに大学に進学する学生を当然視する必要はない。平均すると先進国では大学新入生の約2割が社会人入学である。それに対し、日本では大学生の社会人入学の割合はわずか2%程度である。

人生のいかなる段階でも必要に応じて大学で学べる仕組みにすれば、親の所得や家庭環境の影響を少なくすることができ、若い頃の教育機会の不平等を回復することもできる。OCEDも18歳以降の学習システムを出入り自由にすることを推奨しており、社会に開かれた大学づくりは重要な課題である。

かつての大学は少数精鋭のエリート教育のための教育機関であった。しかし、同一年齢層の50%以上が大学に進学する現在では、多様なニーズにこたえる多様な大学教育が求められる。世界最先端の研究を専門にする大学院大学から、職業教育に重きを置く大学まで、多種多様な大学が必要である。

その際、多様な大学を官の統制でがんじがらめにすることなく、同時に教育の質を担保するという、両立が難しい課題が見いだされるだろう。大学の自治や学問の自由、社会的ニーズや学生の意志をバランスよく踏まえ、教育格差を解消しつつ、知識基盤社会を支える人材を育成するための大学改革が求められる。

*ご参考:井手英策編著 2019年「リベラルは死なない」朝日新書

関連記事

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホーム 山内康一ブログ 『 蟷螂の斧 』 社会と市民活動、NPO

2019年11月15日 17時20分30秒 | 国際・政治

2019福岡マラソン完走!

昨日(1110日)開催の福岡マラソンに参加しました。42.195kmのうち9割くらいは、私の選挙区(福岡3区)を走ることになります。せっかく地元で開催されるマラソンだからいつか参加したいと思っていましたが、昨年は抽選ではずれ、今年初めての参加となりました。

2年前の鹿児島県の指宿マラソン以来、2回目のマラソンでした。アップダウンの激しい指宿マラソンに比べ、福岡マラソンは平たんな道が多いのでやや楽なはずですが、実際に走ってみるとやはりしんどいものです。

本番の1週間前の土曜日に試しに大濠公園を20km走ったのですが、その時に右足首を痛めてしまい、一時は参加を取りやめようかと思っていました。お医者さんに相談したら「やめときなさい」と指導されましたが、とりあえず走れるところまで走ってみようと参加することにしました。

足首をテーピングでガチガチに固め、身体があたたまると痛みが緩和されることに気づいたので、最初の5kmはウォーミングアップのため、走らずに歩くことにしました。

スタート直後から歩いている参加者はほとんどいません。ひょっとすると私だけだったかもしれません。沿道で応援している人たちが「なんでこの男はスタート直後から歩いているんだ?」という不思議な目で見ているのが感じられます。何千人という人たちに追い越されながらも、毅然とした態度でマイペースに歩きました。同調圧力に負けない強い心が必要です。白い眼で見られても気にしないで、ぐんぐん歩いて5km地点のあたりまで歩きました。

5km辺りから私の地元選挙区です。身体もいい感じで温まり、14千人のランナーの最後尾近くになってきたので、おもむろに走り始めました。十分にウォームアップした後なので快調に走り出せました。

だいたい25㎞くらいまでは沿道の景色を楽しみながら、応援の子どもたちのハイタッチに応じながら、気分良く走れました。しかし、30㎞あたりから疲れはじめ、右足首の痛みが少し出はじめ、残りの7㎞くらいは死にそうな顔をしてヨレヨレになりながら何とかゴールにたどり着きました。

糸島市のゴール近くでは何人かの方に声援を送っていただきましたが、笑顔でこたえる余裕はなく、死にそうな顔でうなずく程度の反応しかできませんでした。最後の2㎞くらいは果てしなく遠く思えて、ゴール直後はその辺の地面にへたりこんで立ち上がれなくなりました。さわやかな笑顔で記念写真を撮るどころではありませんでした。30分くらい休んだ後に、たまたま参加していた高校の同級生にシャッターを押してもらって記念撮影を済ませました。

ゴール後は歩くのも困難な状況で、階段の上り下りがたいへんです。よくもまあゴールまで走り続けられたものだと思います。福岡マラソンは終わってからもたいへんです。筑前前原駅に向かうシャトルバス乗り場までもかなりの距離です。シャトルバス降り場から駅までもかなり歩きます。さらに18時から仕事の会食が入っており、スーツに着替えて天神まで出なくてはならず、悲惨な一日でした。一日たった今朝も足の痛みは治まりません。しばらくは足を引きずるように歩く日々が続きそうです。

それでも2年前の指宿マラソンよりは約14分タイムを縮めることができました。記録上は5時間2652秒、ネットタイム(スタート地点までのロスタイムを引いた時間)は5時間1846秒という結果でした。順位は5957位ということで、全参加者の中では平均よりは早くゴールできました。運動不足の46歳の中年男性ということを考えれば、まあ頑張った方だと思います。足首を痛めていなければ、もう少し良いタイムで走れそうな気がするので、こりずに来年も申し込みます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホーム 山内康一ブログ 『 蟷螂の斧 』 子どもと教育 教育を考えるシリーズ(4):道徳教育、職業教育

2019年11月15日 17時03分46秒 | 国際・政治
 

教育を考えるシリーズ(4):道徳教育、職業教育

教育を考えるシリーズの第4弾です。朝日新書「リベラルは死なない」からの抜粋です。

――――――――――――――――――

道徳教育よりシチズンシップ教育や人権教育

安倍政権の「教育再生」の特徴のひとつは、道徳教育の教科化や愛国心教育のように右派イデオロギー色の強い改革を好む点である。

「再生」という言葉の背後には「過去のある時期の教育はよかったが、それがダメになっているから、もう一度よかった頃の教育に戻さなくてはならない」という含意がある。そして「戦後レジームからの脱却」を訴える安倍総理にとっては、「戦前のある時期の教育」こそが立ち返り「再生」すべき教育なのだろう。戦前の修身教育や教育勅語を信奉する「保守派」が安倍総理の周辺で「教育再生」を主導してきたことを見ても、そのことは明らかだ。

国家が特定の価値観(道徳)を「これが正しい」と定め、公教育ですべての子どもに内面化させる教育がはたして許されるのだろうか。多様な価値観を認め自由な社会をめざす立場からは、このような道徳教育は許されない。

欧米の先進民主主義国では、学校教育の役割は知識や技能の習得と考えられ、「心の教育」は家庭や宗教の役割とみなされている。そのため「国家が公教育を通して道徳を子どもに植えつける」という発想は他の先進国ではほとんどみられない。

道徳教育で「このようにふるまいましょう」や「これが正しい生き方です」といった教え方をすると、その「正しい道徳観」の鋳型から逸脱した人は攻撃してよいのだというマインドを生み、排除を引き起こす。愛国心を無理やり教えこもうとすると、必然的に副作用で排外的なナショナリズムを生む。

安倍総理が好む道徳教育と、社会の一員として「責任ある市民」を育てるシチズンシップ教育、あるいは人権教育とをきちんと区別したうえで、後者をより積極的に公教育として位置づけていくべきである。

ここで子どもたちが目標とすべきは「何が正しいかを自律的に判断し、選択できるようになる」ことであり、自分で適切に判断・選択できるようにするための教育が望ましい。国家に従順な国民を育てるのではなく、健全な批判的精神を持ち、他者の人格や価値観を尊重できる市民を育てる教育こそがいま求められている。

くわえて、他の文化や宗教、障がい者、マイノリティへの理解など、異なる他者と共生していくため知識や行動様式を学び、多様性に対する寛容さを育むことも公教育の目標のひとつとすべきである。

 

職業教育・職業訓練の充実

日本は職業教育・職業訓練の公的支出も少ない。終身雇用の正社員が前提の時代であれば、企業内訓練(OJT)による人材育成で対応できたかもしれない。しかし、非正規雇用が増え、雇用が流動化するなかで、企業内の人材育成に頼れない事態が生じている。政府が、職業教育・職業訓練に力を入れざるを得ない状況になっている。

また、技術革新のペースが早くなり、学校で学んだ知識もすぐに陳腐化するため、どんな職業に就くにしても、人生の途中でさまざまな教育や訓練を柔軟に受けられるようにする必要がある。

いわば「学び直し」の機会を用意することは、生産性を高める上で有益であり、政府の重要な役割である。求職者が職業訓練を受けている期間の生活保障も含め、公的な職業訓練支出を増やし、政府の役割を拡大する必要がある。

生涯学び続けられる社会の実現には、いったん社会に出た後に再教育・再訓練を受けられる教育インフラが必要になる。前述の通り日本の大学は社会人入学の割合が先進国最低であるから、大学をはじめ、いつでも学び直せる場所(専門学校、図書館、通信教育等)を整備することが重要になる。

具体的には、再教育・再訓練にかかる公的助成を強化し、「職業訓練バウチャー」などを導入し、民間の職業訓練機関や大学、専門学校などを利用しやすい条件を整備し、社会人のスキルアップを支援していくのである。

さらには、農業高校や工業高校、福祉高校などの専門高校(旧称「職業高校」)の価値を再評価し、普通高校も含めた高校段階の職業教育の拡充も提案したい。

不安定な非正規雇用が激増し、正規雇用でも「ブラック企業」とよばれるような企業では働かせる側が圧倒的な力をもち理不尽な要求を労働者に突きつけ、違法な働かせかたをしていることも多い。

働く側が、企業の言いなりに使いまわされるのではなく、法律や交渉を通じて適切な働き方(ディーセントワーク)を実現できるよう、社会に出る前に労働者としての権利や法律の基礎を知っておくことが重要である。労働市場に入る前の若者をエンパワーすることも高校教育の使命として位置づけていくのである。

普通高校にくらべて、実習をともなう専門高校は一人当たりの経費がかかるため、これまで日本では専門高校の数が少なかった。OECD加盟国の平均をみると高校生(後期中等教育)のほぼ半分が職業高校に通っているが、日本では約4分の1の高校生が専門高校に通っているに過ぎない。

普通教育コースの高校生の割合が高いOECD加盟国は、韓国、メキシコ、ハンガリー等、比較的経済発展が遅れた国である。高所得国ほど職業高校に通う生徒の割合が高く、ビジネス(日本でいう商業科)や社会福祉、工業、建設等の職業高校に在籍する学生が多い。

高校卒業後すぐに就職する普通高校を卒業生よりも、専門高校の卒業生の方が、ニートや非正規雇用になりにくいことがわかっている。専門学校や専修学校の職業教育の充実は、非正規雇用を増やさないためにも重要である。

また、高学歴の若者が東京等の都会に流出する傾向が強い一方、地方に残って地域を支えている若者の多くが非大卒の労働者(建設業、農林水産業、バスの運転手、介護士、飲食店従業員等)であることを考えれば、大学教育以外の職業高校、専門学校、専修学校で「手に職をつける」教育を支えることは地域を支えることにつながるだろう。

*ご参考:井手英策編著 2019年「リベラルは死なない」朝日新書

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホーム 山内康一ブログ 『 蟷螂の斧 』 子どもと教育 教育を考えるシリーズ(2):すべての人に質の高い教育を〜「日本型Education for All」

2019年11月15日 16時55分54秒 | 国際・政治

教育を考えるシリーズ(2):すべての人に質の高い教育を〜「日本型Education for All」

教育を考えるシリーズの第2弾です。朝日新書「リベラルは死なない」からの抜粋です。

――――――――――――――――――

すべての人に質の高い教育を

支えあう社会を築き、労働者の生産性を高めるためには、すべての人に開かれた教育システムが不可欠である。すべての人に質の高い教育を受ける権利を保証しなくてはならないし、特に人生のスタートラインにいる子どもたちの教育機会の不平等は許されない。

さらに踏みこめば、親の所得格差が子どもの教育格差につながっている現状は、社会的公正の観点から望ましくない。同時に地域間格差や障がいの有無による格差も解消しなければならない。いずれにせよ、生まれによって子どもたちが不利益を被ることのない教育システムをつくることが、政治の役割であり、社会の責任なのである。

国際機関等の近年の研究は、格差拡大が経済成長の足を引っ張ることを明らかにしている。格差拡大や格差の固定化を防いで社会の流動性を担保し、「努力すれば報われる社会」を築くためにも教育は重要である。

以上の観点からすれば、塾や予備校に通い、幼稚園や小学校の「お受験」や中学受験をしなくては、質の高い教育を受けられない状況もまた許容できるものではない。親の所得に関係なく、すべての子どもに質の高い教育を提供するためには、やはり公教育の充実、および、私学助成の強化が必要不可欠である。

また、初等中等教育だけではなく、生涯学習や社会人の職業訓練・再教育にも政府がより重要な役割を果たすべきだ。

誰でもいつでも学べる環境は、国民にとって権利であり、より良い社会と国際競争力のある経済を築くうえでも重要な意味を持つ。また、技術革新のスピードが加速し、高校や大学で学んだ知識や技術がすぐに陳腐化してしまう現在の知識基盤社会においては、いつでも学び直せる場が生産性向上に不可欠である。

だからこそ、就学前教育から初等中等教育、高等教育から生涯学習や社会人向け職業教育まですべての世代に開かれた教育システムが必要なのだ。本章では、学ぶことを権利ととらえ、誰でもいつでも学べる場を提供する「日本型Education for All」を実現することを提唱したい。

 

義務教育段階の公教育の充実

すべての子どもの教育の質を向上させるには、親の所得に関係なく受けられる公教育(特に初中等教育)の充実が最優先課題である。日本は家計の教育費負担が重たいが、その一因が小中学校の塾通いや予備校通いである。学習塾や予備校といった学校外の私的教育機関に頼らなくても十分な学力が身につく公教育が求められる。

初等中等教育の質を高め、子どもたちの学びを高度化させるには、教員自身が自己研鑽の時間と機会を持ち、深い教養と広い知識を身につけることが必要条件である。

そのためには、現職教員が学び直す機会を増やし、新しい教育理論や教材にふれる環境を整える必要がある。さらには、長期休業中の研修や現職教員の大学院等での研修を拡充し、「学び続ける先生」をサポートする仕組みを整えなければならない。

みなさんも耳にされたことがあるかもしれない。現場の教員の過酷な勤務実態が報告され、教員が子どもたちと向き合う時間が十分持てていない。この状況は異常である。

教員が教えることに集中できるように、学校事務員やスクールソーシャルワーカー等の非教員のサポート体制を強化する必要がある。また、少人数教育や習熟度別授業を推進するには教員の絶対数が足りない。教員のワークライフバランスを回復するためにも教員増は不可欠である。

大学の教員養成課程の質を高めることも有益である。安倍政権のもとで国立大学の教員養成学部の削減が示唆されているが、現実はまったく逆であり、教員養成課程の充実が必要な状況である。教授法の改善という点でも、国立大学の教員養成学部における教育と研究の充実は重要である。

学校現場における非正規教員の増加は深刻な問題である。ふつうに考えて、同じ教室で同じように教えているのに給与水準が大幅に異なるのは健全ではないし、教員として経験を積み専門性を高めるうえで不安定な雇用は足かせになる。教員の質を高めるためにも、非正規教員の正規化を進めるべきである。

やむを得ず非正規教員を採用している背景には、人件費を抑制せざるを得ない予算状況がある。正規教員1人分の人件費で非正規教員を2名雇用するといった慣行が全国で広がっている。教育予算を増やし、OECD加盟国で最下位の公的教育支出(GDP比2.9%)をOECD平均の4.2%に少しでも近づけなければならない。

現在、経済界などの主張に沿って、小学校における英語教育が拡大されている。十分な準備もなく、小学校の英語教育を義務化するのは問題である。現在進められている小学校の英語教育の教科化については、外国語教育の専門家の間でも効果を疑問視する声が多い。

しかも、英語の教科化が進めば、国語や算数といった主要科目が削られる。あるいは、他の科目が削られずに単に英語の授業時間が増えるだけであれば、現場の教員と子どもたちの負担がさらに増え、その場合も弊害が大きい。

そもそも小学校の現職教員の大多数は、外国語教授法の訓練を受けていない。準備不足の教員が不得意な英語を教えることの悪影響も考慮されるべきである。小学校における強引な英語の教科化は、単に「英語嫌いの低年齢化」を招くだけだ。すべての子どもにとって必須の国語や算数などの基礎学力を向上させることこそが、本来の公教育の役割である。

*ご参考:井手英策編著 2019年「リベラルは死なない」朝日新書

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

    「植草一秀の『知られざる真実』」    2019/11/14  桜を見る会事案の裏側で日米FTA批准強行

2019年11月15日 16時44分34秒 | 国際・政治

曲学阿世:真実を追求し、虚実の世間に迎合するようなことはしたくない。

真実を曲解し不正な情報によって世間の人々にこびへつらい、世間にとり入れられるような、ことはしたくない。

 
 

 桜を見る会事案の裏側で日米FTA批准強行

2019年11月15日 11時21分39秒 | 政治より、転載させて頂きました。

                               

            

        「植草一秀の『知られざる真実』」
                               2019/11/14
            桜を見る会事案の裏側で日米FTA批准強行
             第2481号
   ウェブで読む:https://foomii.com/00050/2019111423592760379──────────────────────────────────── 2019年4月21日の「桜を見る会」で安倍首相は次のように挨拶してい る。
「皆さんと共に政権を奪還してから7日目の「桜を見る会」になりました。」
「桜を見る会」は政府行事である。
政府が血税を投入して実施している行事である。
2017年7月1日の夕刻、安倍首相は東京都議選街頭演説最終日に、「安倍 辞めろ!」との怒号を発する有権者に対して、
「こんな人たちに、皆さん、私たちは負けるわけにはいかない!」
と絶叫した。
「こんな人たち」も有権者である。
有権者の声に真摯に耳を傾けない安倍首相の姿勢が批判された。
それでも、2017年の発言は自民党党首としての発言だ。
特定の政治的立場から発言しても、自民党を代表する立場からのものだとすれ ば説明がつけられないわけでもないものだった。
しかし、本年4月21日の発言は立場がまったく違う。
「桜を見る会」は政府行事であり、挨拶は内閣総理大臣としてのものだ。
「皆さんと共に政権を奪還」と発言しているが、そうなると、この会に招かれ た人々は、すべてが、安倍首相と政治的立場を同じくする人々ということにな る。
安倍首相は講演会関係者850人を17台の観光バスで動員したと見られてい る。
政府行事を完全に私的な行事にしていることが鮮明に浮かび上がる。

政府行事の私物化が許されるわけがない。
安倍首相の責任が問われなければならない。
同時に、最大の問題になっているのが前夜祭の問題だ。
安倍首相の個人事務所が前夜祭を取り仕切り、5000円の会費を徴収した が、前夜祭の実費が5000円を大幅に上回る疑いが浮上している。
このホテルではパーティープランの場合、1人1万1000円が最低料金で値 引き販売を行うことはないとしている。
有名寿司店も料理を提供しており、1人5000円の会費は実費をはるかに下 回るものであると考えられる。
実費が会費を上回っていれば、公職選挙法に抵触する飲食饗応ということにな る。
また、会費を集めてパーティーを開いておきながら、政治資金収支報告書に記 載がなければ不記載の違反になる。
振り返っていただきたい。
2009年3月3日に、小沢一郎衆議院議員の公設第一秘書の大久保隆規氏が 突然逮捕された。
小沢氏の資金管理団体は、西松建設関連の二つの政治団体である新政治問題研 究会と未来産業研究会からの寄附を事実通りに記載して収支報告書を提出し た。
この行為が虚偽記載だとして突然、大久保氏が逮捕されたのだ。
この事案は完全な冤罪事案だったが、安倍首相の資金管理団体の違法行為疑惑 に対して、捜査当局は厳正な対応を示す必要がある。
主権者が監視を強めなければならない。

この重大問題が前面に出ているが、その影で重大条約の批准が強行されようと している。
自民、立憲民主、国民民主の国会対策委員長が11月13日に国会内で会談 し、日米FTA批准案を11月15日の衆議院外交委員会で採決し、19日に 衆院本会議で採決することで合意したと報じられている。
日米FTAでは日本から米国への自動車および自動車部品の関税撤廃が確約さ れていないにもかかわらず、茂木外相が確約されているとの国会答弁を示して きた。
重大な問題が明らかにされないままで、採決を強行することは完全な売国行為 である。
野党は「桜を見る会」問題に関する予算委での集中審議を求め、これが受け入 れられないならすべての国会審議を拒否する戦術を採用するべきである。
ところが、集中審議の要求を貫かずに、日米FTAの衆院本会議採決で合意し てしまったら、強く攻勢に出るカードを失う。
野党陣営が解散総選挙を恐れているようにしか見えない。
日米FTAをこのまま通すことはまさに売国の行為である。
この重大な衆院外交委と日程が重なるが、
「いま消費税を問う! -専門家・国会議員・市民による緊急院内集会-」
を11月15日午後5時~7時半に衆議院第二議員会館多目的会議室 で開催 する。
参加費無料、主催:政策連合(=オールジャパン平和と共生)。
https://bit.ly/34PLHUz
https://bit.ly/2O0YM6Q
ぜひ衆議院第二議員会館多目的会議室に参集賜りたい。

安倍内閣は2016年末にTPP協定批准を強行した。
米国でトランプ氏が新大統領に選出され、トランプ政権が発足すれば、米国が TPPから離脱することが予想されていた。
米国が離脱するとTPPは発効できない。
TPPの規定がそのように定めていた。
安倍首相は、このように確定したTPP協定の条文を一切変えないために批准 を急ぐのだと主張した。
仮に、米国がTPPから離脱した場合は、米国をTPPに引き戻す。
安倍首相は国会答弁でこう繰り返した。
実際にトランプ政権が発足すると、米国は直ちにTPPから離脱した。
安倍首相は国会答弁に従って、米国をTPPに引き戻す働きかけをするとされ ていた。
ところが、安倍首相はそのような働きかけを一切行わなかった。

安倍首相が実行したのは、TPP協定の書き直しだった。
米国が離脱してもTPPを発行できるようにTPP協定を改定する。
この先頭を走ったのが安倍首相なのである。
米国が抜ければ協定の数値を見直さねばならなくなる。
米国を含んで輸入枠などを設定していたから、数値を圧縮しなければ、日本が 受ける影響がより甚大になる。
TPP参加国が各種見直しを行ったなかで、日本だけが何の見直しもしなかっ た。
安倍首相は日本の国益を率先して売り払ったのである。
安倍首相が米国をTPPに引き戻すと確約していたのは、日本は米国とFTA 交渉をやらないと公約したことの裏返し表現だった。
日米FTA交渉に移行すれば、日本が失うものがさらに拡大することが警戒さ れていたからだ。

ところが、安倍首相はトランプ大統領に要求されると、直ちにその指令に服従 した。
日米FTA交渉に引き込まれた。
安倍首相は国会答弁との整合性を保つために、
TAG(物品貿易協定)という言葉を用いたが、米国サイドはこれを
“a Japan-United States Trade Agreement on goods, as well as on other key areas including services”
と表現した。
「物品だけでないサービスを含む他の重要領域に関する自由貿易協定」
と明記しており、まさに日米協定はFTAなのである。

この協定によって、私たちの暮らしと命が危機に晒される。
極めて重大な協定=条約であり、委員会採決、本会議採決を安易に認めてよい わけがない。
「桜を見る会」騒動は、日米FTA採決を影に隠すための「スピン」である疑 いが極めて強いのだ。
安倍首相が解散総選挙に踏み切るなら受けて立てばよいのだ。
11月15日「緊急院内集会」は、国会に緊張感をもたらすことをも意図した 緊急集会である。
衆院総選挙が実施されても、政策を基軸に大きな連帯を構築すれば、政権を奪 還することができる。
政治を私物化し、公職選挙法に違反しても検察が捜査に動かない腐敗しきった 日本の世直しを実行する主役は、私たち主権者である。
政策を基軸に大きな連帯を構築する。
その運動を、私たちは「政策連合」と名付けることにした。
「オールジャパン平和と共生」は今後「政策連合」の名称を活用することにす る。
本当の意味で主権者の立場に立つ政治を一刻も早く実現しなければならない。
その運動を主導するのは私たち主権者である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第96回◆板垣英憲「情報局」勉強会◆ご案内(12月8日)―「どうなる朝鮮半島統一と中国民主化」 ~上皇陛下と小沢一郎衆院議員に委ねられMSA資金の動き

2019年11月15日 16時31分02秒 | 国際・政治
 
 

第96回◆板垣英憲「情報局」勉強会◆ご案内(12月8日)―「どうなる朝鮮半島統一と中国民主化」 ~上皇陛下と小沢一郎衆院議員に委ねられMSA資金の動き

2019年11月15日 07時53分49秒 | 政治
第96回◆板垣英憲「情報局」勉強会◆

テーマ「どうなる朝鮮半島統一と中国民主化」
~上皇陛下と小沢一郎衆院議員に委ねられMSA資金の動き


【講師】 政治経済評論家・板垣 英憲
【日時】2019年12月8日(日)
13:00~15:50(午後12:30受付開始)
【会 場】 小石川後楽園内「涵徳亭」(広間)
(東京都文京区後楽1-6-6( TEL 03-3811-3015)
アクセス


【定 員】38名 
※先着順 定員になり次第締め切らせていただきます
【会 費】 2,000円  (会場にてお受けさせていただきます)

お申込みはこちら

本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
「臭いものにフタをした首相が、最も臭い存在だ、『公選法』はすでに無きに等しい。政治改革は失敗に終わる」、これが安倍晋三首相在任通算8年のレガシーとは、情けない

◆〔特別情報1〕
 「臭いものにフタをした首相が、最も臭い存在だ、『公選法』はすでに無きに等しい。政治改革は失敗に終わる」、これが安倍晋三首相在任通算8年のレガシーとは、情けない。ついでに道路交通法もいまや存在しない。かわいそうなのは、2020年春に咲く「桜花」か。いまからすでに「桜散る」(まず先に散るのは、安倍晋三首相なのに!!)と、ほくそ笑んでいる自公の悪徳政治家たち。そんなのが、大学受験改革を推進している。果たしてどんな人材を養成しようとしているのか。空恐ろしい限りだ。安倍晋三首相のような「ずる賢い」「嘘つき専門」「法律破り」の日本人が、どんどん再生産されていく。時折りしも、第126代天皇陛下が11月14日~15日、皇位継承に際して行う宮中祭祀「大嘗祭」(国家、国民のために、その安寧、五穀豊穣を皇祖天照大神及び天神地祇に感謝し、また祈念する)の真っ最中。秋篠宮ご夫妻ら皇族方のほか、安倍晋三首相をはじめ510人が参列したというけれど、安倍晋三首相が参列とは、なんと穢らわしいことか。

つづきはこちら→「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」*有料サイト(申し込み日から月額1000円)
携帯電話からのアクセスはこちら→「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」*有料サイト(申し込み日から月額1000円)
携帯電話から有料ブログへのご登録

「板垣英憲情報局」はメルマガ(有料)での配信もしております。
お申し込みはこちら↓


板垣英憲マスコミ事務所からも配信しております。
お申し込みフォーム

南北首脳会談から米朝会談を経て南北統一へ、そして中国の民主化のシナリオが書かれています。このときから始まっていました。必読です。


日本の覚悟 イルミナティ解体 「新機軸」発動 人類補完計画 この一大事に世界を救う盟主となる
クリエーター情報なし
ヒカルランド


中国4分割と韓国消滅 ロスチャイルドによる衝撃の地球大改造プラン 金塊大国日本が《NEW大東亜共栄圏》の核になる (超☆はらはら)
板垣 英憲
ヒカルランド


その改訂版がこれ。併せてお読み頂きたい。

[新装完全版]ロスチャイルドによる衝撃の地球大改造プラン 米国とイスラエルの力を借りて皇国の理念「NEW八紘一宇とNEW大東亜共栄圏」の実現へと向かうNIPPON!
クリエーター情報なし
ヒカルランド


にほんブログ村 政治ブログへ
オフレコ懇談会
2019年11月16日(土)13時~16時
元毎日新聞記者・政治経済評論家歴45年!
板垣英憲が伝授する「必勝!」のための情報キャッチ術・情勢判断学~情報4重層「表・裏・陰・闇」とジレンマ情勢予測秘術
会 場 都内某所
参加費 5,000円


【『一由倶楽部 鉄板会』】
令和元年11月23日 (土)13時~16時

会 場 都内某所
参加費 5,000円




第96回 板垣英憲「情報局」勉強会のご案内
2019年12月8日 (日)
13時30分~16時45分
「どうなる朝鮮半島統一と中国民主化」
~上皇陛下と小沢一郎衆院議員に委ねられMSA資金の動き

会 場 小石川後楽園内「涵徳亭」(広間)
参加費 2,000円
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

OME天木直人のブログ「桜を見る会」騒動が加速させることになるポスト安...

2019年11月15日 16時16分16秒 | 国際・政治


「桜を見る会」騒動が加速させることになるポスト安倍競争

2019-11-15

H

 どうやら安倍一強は終わることになりそうだ。

 野党による政権交代が起きるのか。

 そうではない。

 「安倍4選なし」が決定的になり、ポスト安倍競争が加速することになる。

 政局メディアはすでにそのモードに移りつつある。

 ポスト安倍は誰か。

 菅官房長官ではない。

 メディアは安倍首相と菅官房長官との間に争いが始まったと書き立てているが、そうではない。

 もともと菅官房長官は自ら首相になる気などなかったし、いまはもっとない。

 今度の閣僚辞任で安倍首相に貸しを作った菅官房長官は、安倍政権の任期満了に向けて、ますます安倍首相を支えるだろう。

 そしてポスト安倍に向かって影響力を発揮するため(いや自らを否定されないため)、ますます安倍首相と一体となる。

 安倍・菅コンビが後継に考えているのは岸田だ。

 岸田もそれを知っているからこそ、改憲論議に熱心になって来た。

 それに釘を刺すかのように古賀誠が、「憲法九条は世界遺産」という本を主版して、宏池会の伝統を引き継げ、と岸田に訴えている。

 しかし岸田は言う事を聞かないだろう。

 何としても安倍・菅の支援を受けて総理になりたいからだ。

 そして、いまのところ岸田に代わるポスト安倍はいない。

 唯一可能性があるのが石破茂だ。

 しかし、いまのままでは石破に勝ち目はない。

 いまのままでは自民党内の支持が広がらないからだ。

 そして安倍首相は石破茂にだけは絶対に後継者にさせたくないからだ。

 どうしたら石破に勝機がくるのか。

 それは、安倍首相が固執し、そして岸田氏が引き継ごうとしている、自衛隊明記の憲法9条改憲は、自民党が戦後一貫して求めて来た9条改憲ではない、自衛隊を軍隊にして自主防衛を可能にする憲法9条のフルスペック改憲こそ王道だと、持論を展開して安倍首相と対峙する事だ。

 その上で、いまは国民がそれを望んでいない、内外の情勢は憲法9条の改憲を急ぐ時ではない、次期首相は国民生活を守ることを最優先すべきだ、自分の任期中は憲法9条改憲は行わない、と言って、憲法9条改憲を封印する事だ。

 出来れば、田中角栄の衣鉢を引きついで米国一辺倒から中国、韓国との関係改善に舵を切ることだ。

そんな石破に野党は文句は言えない。

 一緒にやりたければ連立政権に入らないかと野党に声をかければいい。

 果たして石破氏にその戦略が見えているのだろうか(了


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする