教育を考えるシリーズ(最終回):民主主義と教育
教育を考えるシリーズの第6弾です。これで最終回で、いちばん主張したいポイントです。朝日新書「リベラルは死なない」からの抜粋です。
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教育行政、教育と政治の適切な距離
本章で考えてきた教育の課題を考えると、政治主導で進められてきた「教育再生」がさまざまな弊害を生んできたことこそが、最大の問題だということに気づく。
中曽根臨時教育審議会以来の自民党政権の教育改革の多くは、教育の専門家の意見よりも、経済界や文化人の声を反映した「教育改革」というケースが多い。すべての人が中学校まで通い、ほとんどの有識者が大学を卒業しており、教育の「経験者」であるため、教育政策に関してはだれでも意見がいえる雰囲気がある。
残念ながら、多くの場合、自分自身の経験に基づく狭い意見であっても、教育については確固とした信念を持っている人が多い。防衛政策や科学技術政策などでは専門外の有識者の声が政策に反映されることは多くないが、教育政策については、教育の専門家の声よりも、政治家や財界人の声がより強く政策決定に反映される傾向がある。
もちろん市民の声を政策に反映させることは重要であり、アメリカ型教育行政にみられる「レイマンコントロール(layman control=専門家でない人による統制)」は地方自治の観点からも意義がある。しかし、教育現場の実態を知らない政治家や財界人の多くは、裕福な家庭に育ち、名門の中高一貫校で学び一流大学を卒業した一握りのエリートである可能性がきわめて高い。そういったエリートの声だけが教育改革の議論で反映されるのは問題である。
貧しい家庭の子ども、障がいのある子ども、虐待を受けた子どもなど、さまざまなニーズを持つ子どもたちを含め、総合的な政策を立案するためには、教育学者や教育社会学者、現場の教職員などの教育専門家の意見を十分考慮する必要がある。
そのような配慮に決定的に欠けているのが、安倍総理の肝いりの教育再生会議(第一次安倍政権)や教育再生実行会議(第二次安倍政権以降)のメンバーの人選である。安倍総理のお友達の右派的イデオロギーの学者や財界人が出す勧告は、新自由主義的な色合いと保守的道徳観に基づき、教育現場の実態をかけ離れたものが多かった。
安倍政権の「教育再生」では、右派的イデオロギー色の強い道徳教育の教科化や歴史教科書への文部科学省の指導強化が進むと同時に、新自由主義的な競争重視・市場原理導入の教育改革が推進されてきた。道徳教育の強化の危険性は前述のとおりであるが、大学入試における民間業者英語試験の導入をはじめ、民間人校長の失敗事例など、新自由主義的な教育改革には弊害も多くみられる。
「官邸主導」や「政治主導」の派手な教育改革の危うさを踏まえ、国家が介入する領域は教育費負担や最低基準づくり(ナショナルミニマム)を主とし、教育行政の地方分権を進め、大学や学校の教員の専門性・自主性(professional autonomy)を尊重し、過度に中央集権的な教育行政にならない工夫が必要である。
あわせて、教育改革の進め方にも注視しつつ、現場の声、専門家の声、市民の声をバランスよく踏まえつつ、社会全体で教育に取り組み、地道にボトムアップで「教育改善」を進めていける環境を整えることが必要である。
教育と社会、教育と民主主義
私事で恐縮であるが、筆者は途上国の貧困問題に関心を持ち、1990年代に大学(学部)で開発経済学を学び、フィリピンの大学にも留学した。その後、JICAやNGOで国際援助に携わるなかで、教育こそが途上国の貧困解決のカギだと考えるようになり、ロンドン大学教育研究所に留学して教育政策を学んだ。失われた20年の間に途上国と同じように日本でも貧困問題が深刻になってきたが、日本でもやはり教育こそが貧困問題解決のカギだと思われる。世代を超えた貧困の連鎖を防ぎ、格差の固定化を食い止めるには、すべての人に平等に質の高い教育を受ける機会を確保しなければならない。格差で分断された社会を立て直すために教育の意義を再認識すべきである。
最後に教育と民主主義の関係にふれたい。民主主義は、単に制度さえあれば、機能するというものではない。第二次大戦以前にもっとも民主的といわれたワイマール憲法のもとでナチスが台頭した例もあれば、民主主義の最先進国といってよい米国で民主主義や人権を危うくする大統領が登場した最近の例もある。
民主主義の理念を実現するには、民主主義の制度の仕組みや政策の理解力、ネットやメディアの情報の真贋を見抜くリテラシー、歴史的・社会的背景についての知識など、一定の理解力や知識が求められる。それらをすべての国民が体系的に身につけられる場所は、学校教育しかない。排外的ポピュリズムが蔓延するなかで、民主主義は放っておいても自然と維持できるものではない。民主主義を成り立たせるためには、民主主義の価値や理念を理解し、それを守ろうと不断の努力を重ねる市民の存在が不可欠である。その努力のスタートは学校教育である。教育と民主主義は密接不可分である。民主主義を守るための教育という視点を忘れてはならない。
*ご参考:井手英策編著 2019年「リベラルは死なない」朝日新書