今年(2019年)のノーベル経済学賞は、フランス人のMIT教授のエステル・デュフロ(英語読みだと“エスター・デュフロ”です)女史が受賞しました。ノーベル経済学賞の受賞者は、白人男性が圧倒的に多く、女性の受賞者は彼女でたぶん2人目です(私の知る範囲では数年前までは1人だけでした)。
私は学部では“いちおう”「国際経済専修」コースに属し、卒論は開発経済学者の先生に指導していただきました。ただし、計量経済学で挫折し、ほとんど数字を使わない卒論だったので、胸をはって「開発経済学を専攻しました」とは言いません。申しわけなさそうに「実は開発経済学を勉強していたんですが、挫折しました」と言うようにしています。
それでも発展途上国の貧困や開発に関心は持ち続け、JICAに就職して途上国の開発協力に関わり、大学院でも「教育経済学」のコースを受講し、経済学とはつかず離れずの28年間です。そんなわけでノーベル経済学賞受賞者のエステル・デュフロ氏が開発経済学者だと知って、ぜひ読んでみたいと思っていたところ、「貧困と闘う知」を見つけて読んでみました。
この本はもともとフランス政府開発庁の職員向け講演を本にしたもので、国際協力業界の人にとっては有益な本だと思います。行政や政策決定に携わる人にとっては、経済学的なアプローチで政策課題を理解でき有益です。
彼女のノーベル経済学賞の受賞理由は、「世界の貧困を改善するための実験的アプローチに関する功績」です。臨床医学分野で一般的な「ランダム化比較実験(RCT)」の手法を発展途上国の課題(教育、保健医療、マイクロファイナンス等)に応用し、課題解決への具体的なアプローチを開発したことが評価されました。
ランダム化比較実験(RCT)は、実験対象を2つのグループの分け、1つのグループには政策的介入を行い、もう1つのグループには何も介入しないで比較することで、政策的介入の成果を検証する手法です。
この本では、公務員の欠勤率を下げるための介入の成果、マイクロファイナンスが一部の人たちには効果的だが万人に効果があるとは限らないこと等、いろんな現象が解明されています。市場万能主義的なアプローチに対して批判的で、補助金の重要性等についても述べています。
その中で特におもしろかったのが、女性を優遇するインドのクオータ(人数割り当て)制の事例でした。インドの村レベルの地方議会においては、女性の発言が少なく、女性が発言しても男性から冷ややかな反応があるケースが非常に多く、なかなか女性の声が地方政治に反映されないという問題がありました。
そこで法律で村落レベルの地方議会の議長の3分の1は女性でなければならないというルールができました。日本では考えられないことですが、上位政府がランダムに3分の1の村を選んで「お前のところの村の議長は女性でなければならない」と有無を言わせず指定します。その村落では女性だけが議長選挙に立候補できます。ランダムに村落が選ばれている点がポイントです。そこでランダム化比較実験(RCT)の出番です。
女性議長の村と男性議長の村を比較すると、女性議長の村の方が女性のニーズが高い飲料水の確保に優先的に投資していることがわかりました。また、女性議長の村では「女性は政治的にあまり有能ではない」という偏見が弱まることが確認されました。また女性議長のクオータが終わった後でも、選挙における女性議員の当選率が高くなる傾向があることも確認されました。
女性の政治参加を促すクオータという仕組みは一定の効果があることが経済学者によって証明されました。もっとも日本で女性議長クオータは難しいと思いますが、せめて政党としての候補者クオータ等は推進する価値があると思います。
また実際に「女性を議長にしてみる」という試行により、「女性は政治に向かない」という偏見は解消されるようです。実際に女性が首相になってみると、日本でも偏見が解消されるかもしれません。
フォークランド紛争を戦った鉄の女サッチャー首相を経験した英国国民は、「女性首相の方が、女性らしいやさしさがあって、平和的だ」などという偏見は持たないことでしょう。「男性だから」とか「女性だから」とか、「男らしさ」とか「女らしさ」とかいう偏見は、政治の世界では無意味であることをランダム化比較実験も教えてくれます。
*ご参考:エステル・デュフロ、2017年『貧困と闘う知』みすず書房