◼️「トスカニーニ/Young Toscanini」(1988年・イタリア=フランス)
監督=フランコ・ゼフィレッリ
主演=C・トーマス・ハウエル ソフィー・ワード エリザベス・テイラー ジョン・リス・デイビス
ブラッドパックと呼ばれた80年代の若手俳優たち。「アウトサイダー」や「セントエルモス・ファイヤー」などで活躍した彼らも、80年代の終わりにさしかかり、いつまでもStay Gold な青春スターでいられなくなってくる。この映画「トスカニーニ」の主役を演ずるC・トーマス・ハウエルもそんな一人だ。
この映画が公開されたのは、新元号「平成」が始まったばかりの頃で、春の新年度を控えている時期だったと記憶している。僕もその年の春から社会人になる。いつまでもStay Gold な青春野郎ではいられなくなっていた。
「トスカニーニ」は、偉大な指揮者として知られるアルトゥーロ・トスカニーニの若き日々、そして指揮者デビューのエピソードを描いた作品。憧れのミラノ・スカラ座の楽団員募集に応募したアルトゥーロは、審査員の態度に腹を立て試験会場を飛び出す。そんな彼に、歌劇団を率いている男が声をかけた。彼は南米にオペラの公演に向かうところで、アルトゥーロはその一行に加わることになる。道中で、若い修道女マルゲリータと出会う。アルトゥーロが音楽家だと知った彼女は、彼にこう言う。
「音楽は混沌を調和に導くもの。素晴らしいことだわ。」
リオに着いたアルトゥーロに任されたのは、引退していた歌姫ナディア・ブリチョフのトレーニングに付き合うこと。若造に指導されることに怒る彼女だが、次第に彼の実力を認めることになる。折しも奴隷解放運動真っ只中のリオ。街中でマルゲリータに再会。もっと親しくなりたくても、彼女は神に仕える身。募る切ない恋心。そして訪れる歌劇「アイーダ」の初日。ところが楽団員と指揮者の間でトラブル起こって、アルトゥーロに指揮者の代役が…。
監督は「ロミオとジュリエット」「チャンプ」のフランコ・ゼフィレッリ。彼の代表作と比べたら、「トスカニーニ」は確かに名作とは言い難いし、世間の評価も今ひとつ。歌姫ナディアを演じたエリザベス・テイラーは貫禄だし、修道女マルゲリータ役「ヤング・シャーロック」のソフィー・ワードも可憐でいい印象を残してくれる。でもトーマス・ハウエルがどうしても背伸びして頑張っている感じで、野心的なギラギラ感はあっても音楽家として音楽を紡ぎ出す高揚感や喜びがどうも伝わらなかった、この映画の評価も残念ながら決して高くはない。
80年代末期は、南アフリカのアパルトヘイト政策への批判を多くのアーティストが訴えていた時代。あのクィーンだって、南アフリカの白人専用リゾートで公演したことから音楽家のブラックリストに挙げられ、アフリカ救済のチャリティ企画バンドエイドに招かれなかった(その後復権して出演することになるのが、「ボヘミアン・ラプソディ」のクライマックスに出てくるライブエイドである)。映画「トスカニーニ」では、歌劇「アイーダ」の黒人奴隷が出てくる場面で奴隷解放を出演者が訴えるシーンも出てくるし、奴隷解放運動も描かれる。こうした反アパルトヘイト色を感じさせる演出は意図されたものだろうが、純粋に音楽を賛美する、若きトスカニーニを讃える映画になれなかった一因でもある。
だけど、僕はこの映画が嫌いになれない。それはマルゲリータの台詞、「音楽は混沌を調和に導くもの」のひと言が心に響いたからだ。吹奏楽部出身でバンドもやってた僕は、周囲とうまくやっていくことの大切さを音楽に携わることで学んだ。ハーモニーは調和だ。この台詞は、そんな思いを間違ってなかったんだなと感じさせたひと言でもある。そして、僕は社会人としての春を迎えた。時にはこの映画のトーマス・ハウエルのように空回りもしたけれどさ。てへ。
この映画が公開されたのは、新元号「平成」が始まったばかりの頃で、春の新年度を控えている時期だったと記憶している。僕もその年の春から社会人になる。いつまでもStay Gold な青春野郎ではいられなくなっていた。
「トスカニーニ」は、偉大な指揮者として知られるアルトゥーロ・トスカニーニの若き日々、そして指揮者デビューのエピソードを描いた作品。憧れのミラノ・スカラ座の楽団員募集に応募したアルトゥーロは、審査員の態度に腹を立て試験会場を飛び出す。そんな彼に、歌劇団を率いている男が声をかけた。彼は南米にオペラの公演に向かうところで、アルトゥーロはその一行に加わることになる。道中で、若い修道女マルゲリータと出会う。アルトゥーロが音楽家だと知った彼女は、彼にこう言う。
「音楽は混沌を調和に導くもの。素晴らしいことだわ。」
リオに着いたアルトゥーロに任されたのは、引退していた歌姫ナディア・ブリチョフのトレーニングに付き合うこと。若造に指導されることに怒る彼女だが、次第に彼の実力を認めることになる。折しも奴隷解放運動真っ只中のリオ。街中でマルゲリータに再会。もっと親しくなりたくても、彼女は神に仕える身。募る切ない恋心。そして訪れる歌劇「アイーダ」の初日。ところが楽団員と指揮者の間でトラブル起こって、アルトゥーロに指揮者の代役が…。
監督は「ロミオとジュリエット」「チャンプ」のフランコ・ゼフィレッリ。彼の代表作と比べたら、「トスカニーニ」は確かに名作とは言い難いし、世間の評価も今ひとつ。歌姫ナディアを演じたエリザベス・テイラーは貫禄だし、修道女マルゲリータ役「ヤング・シャーロック」のソフィー・ワードも可憐でいい印象を残してくれる。でもトーマス・ハウエルがどうしても背伸びして頑張っている感じで、野心的なギラギラ感はあっても音楽家として音楽を紡ぎ出す高揚感や喜びがどうも伝わらなかった、この映画の評価も残念ながら決して高くはない。
80年代末期は、南アフリカのアパルトヘイト政策への批判を多くのアーティストが訴えていた時代。あのクィーンだって、南アフリカの白人専用リゾートで公演したことから音楽家のブラックリストに挙げられ、アフリカ救済のチャリティ企画バンドエイドに招かれなかった(その後復権して出演することになるのが、「ボヘミアン・ラプソディ」のクライマックスに出てくるライブエイドである)。映画「トスカニーニ」では、歌劇「アイーダ」の黒人奴隷が出てくる場面で奴隷解放を出演者が訴えるシーンも出てくるし、奴隷解放運動も描かれる。こうした反アパルトヘイト色を感じさせる演出は意図されたものだろうが、純粋に音楽を賛美する、若きトスカニーニを讃える映画になれなかった一因でもある。
だけど、僕はこの映画が嫌いになれない。それはマルゲリータの台詞、「音楽は混沌を調和に導くもの」のひと言が心に響いたからだ。吹奏楽部出身でバンドもやってた僕は、周囲とうまくやっていくことの大切さを音楽に携わることで学んだ。ハーモニーは調和だ。この台詞は、そんな思いを間違ってなかったんだなと感じさせたひと言でもある。そして、僕は社会人としての春を迎えた。時にはこの映画のトーマス・ハウエルのように空回りもしたけれどさ。てへ。