Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

櫻の園

2023-06-14 | 映画(さ行)

◾️「櫻の園」(2008年・日本)

監督=中原俊
主演=福田沙紀 杏 寺島咲 大島優子 はねゆり

1990年の「櫻の園」は素晴らしかった。彼女たちの揺れる心情が、大げさな台詞も芝居もないのに、短い言葉だけ、黙ってうつむくだけで伝わってくる。お気に入りの作品だ。同じ中原俊監督で、その後の桜華学園を撮ったのがこの2008年版。ん?なんだろ、この1990年版とは違う感じ。冒頭から感じた違和感は最後まで解消されないままだった。

違和感の原因は言葉の数だと思うのだ。1990年版がすごかったのは、演劇部員たちの自然な会話でも、状況説明や開演時間が迫る中で陥いる危機、そして彼女たちの心情まで伝わること。しかも開演前の限られた時間≒上映時間なので、上映時間≒映画の時間経過という西部劇「真昼の決闘」に通ずる緊張感があったのだ。

ところが、2008年版はとにかくよく喋る。状況説明の役割をする台詞が次々と出てきて、とにかくくどいのだ。毎年創立記念日に演じられてきた伝統の「桜の園」が途切れてしまった理由は、校務員役の大杉漣に念入りに語らせる。それは、かつて演劇部だった姉の代に起こった事件。おおごとだったはずだが、そもそも姉が演劇部だと知らない妹。下校時に校門で学校の伝統についてクドクド説明する教頭先生。演劇部が直面する危機に「アタシのせいなのー!」と事情を説明する大島優子の長台詞。大逆転のラストで先生方が翻意した理由(え?そっちなの?と疑問だったが)。とにかく言葉で全てを伝えようとする。若手女優の力んだ演技も手伝って、ますます仰々しく感じるのだ。憧れ女子とのツーショットという90年版と同じ胸キュン場面が登場するけれど、杏ちゃんの器の大きさが目立ってしまった感も。

さらにオスカープロ所属の面々が、変な圧力をこの映画に与えている。映画冒頭、バイオリンを諦める福田沙紀に強い言葉を投げかけるのは、今や"失敗しない女"のイメージしかない大門…もとい米倉涼子。大門先生に気丈に言い返したヒロインの担任の先生は、まだハズキルーペの上に座って「きゃっ♡」とか言う前の菊川怜。あなたのようにデキる女じゃなくてすまんね、と言いたくなるような威圧感。そして変に高飛車なバンドのボーカルが上戸彩。メロディが変だと文句を言う彼女を、ヒロインがメロディを手直しして納得させる場面に、観客が納得できないのは何故だろう。唯一許せるのは、演劇部1年生の武井咲。ツインテールがきゃわゆい♡。

何はともあれ、傑作90年版とは似ても似つかぬ作品でした。桜なのに真っ赤な背景のDVDジャケ写に、なんだかなぁーわかってないなぁーと残念に思うのだが、エンドクレジットでその撮影が蜷川実花だと知って、らしい写真だ!と納得。でも桜色でいこうよ、ここはさ。




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櫻の園

2023-06-13 | 映画(さ行)

◾️「櫻の園」(1990年・日本)

監督=中原俊
主演=中島ひろ子 白島靖代 つみきみほ

女子校である櫻華学園。創立記念日には、毎年チェーホフの「桜の園」が演じられる。演劇部員たちがステージに向かう開演前の約2時間を写し撮った"普通の"青春映画。そこには芝居かがった台詞があるわけでもなく、"普通の"会話と部員たちの表情が描かれている。その会話の中に見えてくるのは、繊細な心の動き。脚本がいいのだ。

好きな90年代の邦画を10本挙げてと言われたら、間違いなく選んでしまうお気に入り。ショパンの前奏曲と共に心に残る映画。

女の子同士の、友情とはちょっと違う関係。憧れと呼ぶのが相応しいのか自信がないけれど、それはある種の愛情。言葉で表現しづらいそんな気持ちが、この映画に刻み込まれている。男子の僕にも感動的だったし、引き込まれてしまった。

志水部長(中島ひろ子)がボーイッシュな倉田(白島靖代)に対して抱く愛情は、場面場面のちょっとした行動や短い言葉で描かれる。胸が目立たないように衣装にリボンをつける場面、二人で一緒に写真を撮る場面に高まりを見せる。
「私、倉田さんが好き」
何気ないひと言だけど、上演が始まる直前、一緒にいられるわずかな時間に発せられたそのひと言。込められた思いにこっちも苦しくなる。

その倉田に同じような気持ちを抱いているのが杉山(つみきみほ)。二人が写真を撮っている場所の物陰で、杉山は黙って煙草に火をつける。昔から映画に出てくる煙草のシーンは、いろんな感情を無言で示してくれる。この無言のシーンに感じるのは、静かなのに燻るような熱だ。憧れ、片思い、嫉妬、素直になれない自分への苛立ち。いろんな感情を打ち消す儀式のように、杉山は黙ってライターで炎を灯す。

監督の中原俊は、にっかつロマンポルノ時代にも女性同士のプラトニックな感情を描いてきた人と聞く。「猫のように」を観たことがあるが、姉への愛情から過激な行動に出る妹がとても印象的な秀作だった。その妹役だった橘ゆかりが、演劇部OBの役でこの「櫻の園」に出演している。短い場面だが、この部室でいろんな気持ちを味わって一歩大人になったんだろうな、と想像させる素敵な場面だった。





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夜明け告げるルーのうた

2023-06-11 | 映画(や行)

◾️「夜明け告げるルーのうた」(2017年・日本)

監督=湯浅政明
声の出演=谷花音 下田翔大 篠原信一 柄本明

人魚と人間の心の交流の物語とくれば「崖の上のポニョ」がどうしても浮かぶだけに、冒頭からしばらくは「スキ!」の響きがどうしてもチラつく。しかしそれは束の間。すぐに世代を超えた行き違いが理解へと結びつく物語だと気づくことだろう。音楽で人魚のルーと通じ合った主人公カイとその友人遊歩と国夫を発端に、人魚に大事な人を喰われたと主張する老人たち、主人公カイと父親の関係、町をを出て行ったけど戻ってきた人たちの思い、様々なミスマッチが描かれていく。さらなる誤解と人間のエゴがルーや人魚たちを窮地に追い込んでいくクライマックス。物語の上だけでなく、こっち側の僕らの身につまされるようなテーマが幾重にも重なっていく。優しいキャラクターの造形、幻想的な場面では縁どりをなくして絵本のようになる演出に、ほんわかとした気持ちにされるが、物語から滲み出るのは結構深くて重いテーマでもある。しかし爽やかな印象で終わりを迎えられるのは、主人公や周囲の人々の成長物語だからだ。

湯浅政明監督作は水の描写に特徴がある、とよく言われる。本作で人魚のルーが水を自在に操る描写は素晴らしく、四角い水の柱となった海水が宙に浮かびハイスピードで動き、主人公や僕らの視点を非日常へと導く。アニメだからできる表現。ジェームズ・キャメロンの「アビス」の水の描写でも、こんなにワクワクさせてくれただろうか。何度も書いているけれど、大量の水が動く時にドラマも動くのは、日本アニメの王道。「ルパン三世 カリオストロの城」「千と千尋の神隠し」「パンダコパンダ雨降りサーカス」「思い出のマーニー」「つり球」、最近なら湯浅監督の「きみと、波にのれたら」もそうだ。でも「夜明け告げるルーのうた」がすごいのは、その物語の大きな動きだけでなく、舞台となる町までもが大きく変わるところだ。水が町に押し寄せる描写のあと、日無町(ひなしちょう)という寂れた港町に日が差すラストへと、大きな舞台装置の変化まで起きる。それがビターだけど爽やかな感動へと導いてくれる。この作品に根強い人気があるとは聞いていたけど、なるほど納得。

世代をつなぐ要素として、親が聴いていた斉藤和義の「歌うたいのバラッド」がカイに歌いつがれる流れが素敵だ。あのコード進行を耳コピーで弾きこなすのか、国夫やるじゃん♪

「ポニョ」が母性で主人公の気持ちを包み込む話なのに対して、「ルー」は背中を押してくれる父性が描かれているのも対照的で面白い。また、音楽を聴くと尾びれが変化して足になるというシンプルな設定もうまい。ポニョは、シン・ゴジラやバルキリーみたいに三段階だったもんな。




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ロックの日

2023-06-09 | その他のつぶやき


6月9日はだれが名付けたか、"ロックの日"。プログレッシブロック好きを公言してた頃、「プログレ聴くと友達なくすよ」と親友に言われてほんとに彼と疎遠になり、レコードショップ店長との飲み会をプログレ好きを理由に敬遠された。そんな過去を持つキーボード弾きのわたし(泣)。何でも聴くんだけどな。

そんな鍵盤弾きだけど、ギターをリスタートしようと数年前から再び練習中。少し前、携帯にレスポールのストラップをつけてたのだが、それを目をつけた方に、
「レスポールじゃないですかー。いろんな人が弾いてますけど、プレイヤー誰が好きですか?」
と尋ねられた。
「ひ、平沢唯!」
との答えをゴクッと飲み込んだ「けいおん!」ファンのわたし(恥)

#ロックの日
私の選ぶロックなアニソン10選
🎸Rising Hope(Lisa)「魔法科高校の劣等生」
🎸God Knows…(平野綾)「涼宮ハルヒの憂鬱」
🎸君のせい(the peggies)「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」
🎸ギターと孤独と蒼い惑星(結束バンド)「ぼっち・ざ・ろっく」
🎸修羅(DOES)「銀魂」
🎸Don't Say Lazy(桜高軽音部)「けいおん!」
🎸Ash Like Snow(the brilliant green)「機動戦士ガンダム00」
🎸HEATS(影山ヒロノブ)「真ゲッターロボ・世界最後の日」
🎸団地でDANRAN(怒髪天)「団地ともお」
🎸FREEDOM(BLUE ENCOUNT)「BANANA FISH」






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Bruce Lee in G.O.D. 死亡的遊戯

2023-06-08 | 映画(は行)

◼️「Bruce Lee in G.O.D.死亡的遊戯」(2000年・日本)

監督=大串利一
出演=ブルース・リー ダン・イノサント カリーム・アブドル・ジャバール

ブルース・リーの死後に製作された映画「死亡遊戯」で、未使用だった格闘シーンのフィルムが存在する。1997年、ブルース自身が編集したものが発見された。これに当時の様子を再現したシーンを合わせて製作された話題作。ロバート・クローズ監督版でカットされたアクションシーンが完全な形でよみがえるのが、最大の見どころ。

ところが肝心のその場面までの再現シーンが、学芸会と罵られても不思議ではないくらいにお粗末で、かなりダレる。しかし、この映画はそんなシーンを見せるのが目的ではない。ブルース自身が考えていた「死亡的遊戯」がどういうものであったにせよ、こんな僅かな未公開映像があるというだけで、日本人までもが乗り出して映画が製作されることがすごい。ブルース・リーの魅力と偉大さを改めて感じさせてくれる。

「死亡遊戯」よりも長く続く格闘に、観ていてこっちまで力がこもる。ともかくこれをスクリーンで観られたことに感謝。観客はおっさんばっかりだったけどな。





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スワロウテイル

2023-06-06 | 映画(さ行)

◼️「スワロウテイル/Swallowtail Butterfly」(1996年・日本)

監督=岩井俊二
主演=三上博史 江口洋介 Chara 山口智子

映画の好みで人をカテゴライズする(される)のが嫌いだ。映画をリトマス試験紙のように扱うんじゃねえよと思う。いろんな意見があるのが当然だし、そこで気づかされることも多いのに、何様やねんと思う。それでもどうしても乗り切れないものはある。誰の感想読んでも納得がいかないこともある。それは誰もが同じ。感じ方はそれぞれだ。だけど、それが理由で人が分断されちゃうのは少し悲しい。

「スワロウテイル」が公開された時、こう評した記事を見かけた。
"この映画をどう評価するか、支持するかしないかによって、若者かおじさんかの線引きができる"

…はぁ!?
どう感じようが勝手やろ。何様やねん。岩井俊二監督作、あの頃注目されてたから、讃えあげるような論調の似た文章はめちゃくちゃ多かった。これが最先端だー、みたいな。

では言わせていただく。
おじさんって呼ばれてもいいよ。

「一度観ればたくさんです!」

実はこの映画を観るまでは岩井俊二監督って嫌いじゃなかった。「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」は、今でも大好きで仕方ない。子供たちの表情がいい、温かな視点がいい、切なさにたまらず涙したのだ。

「スワロウテイル」の音楽として製作されたYen Town Bandは大好きだった。主題歌であるSwallowtail Butterflyは、あの頃の自分の心境にすごく響いて、初めて聴いた時泣いた。あれが流れる映画やぞ。映像センスもいい監督やぞ。きっと映画も…。しかし。

確かに、多くの登場人物が絡み合って、誰が主役になっても面白そうなキャラクターとストーリー運びをすっごく巧いと思ったし、絵になる映像も多い。ところが、ぶちギレ江口洋介の暴力描写のあたりからだんだん気持ちが萎え始めた。音楽の使い方も期待したのと違った。2時間半の上映時間でCharaのPVと思えるような場面は、そんなに長くいらない。曲がいいんだから流れてるだけでもいいのに、小林武史への忖度かと思えるくらいにミュージックビデオ的な部分が長い。これを最小限にすれば尺も抑えられたはず。いや、音楽は最高なんだけどね。

当時、岩井俊二監督の映像から感じる、従来の日本映画離れした感性に感激した。だけど、「スワロウテイル」には突っ走った感性の映像はあっても、ストーリーテリングがついて行ってない。せっかくの映像に情緒を味わう間を与えてくれない。伊藤歩を中心としたストーリーの流れがけっこう好きなのだが、あまリにも多くのスターキャストが登場して邪魔をする。

そして僕は「リリィ・シュシュ」で完全に岩井俊二離れしてしまった。また挑もうかと思うこともあるのだけれど、結局観てないよなあ。





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岸辺露伴ルーヴルへ行く

2023-06-04 | 映画(か行)

◼️「岸辺露伴ルーヴルへ行く」(2023年・日本)

監督=渡辺一貴
主演=高橋一生 飯豊まりえ 木村文乃 長尾謙杜 安藤政信

ジョジョのスピンオフである岸辺露伴の物語を実写ドラマにするなんて大丈夫?と、初めてドラマを見る時に思った。高橋一生のキャスティングもどーせ人気者を据えただけだろう。かつてジブリアニメで、中坊のくせに同級生にプロポーズするバイオリン小僧を演じて、僕をドン引きさせた男やぞ(笑)。ところが。初回「富豪村」を見てぶっ飛んだ😳。やばっ。かっけー。何度か見て、最後はテレビに向かって「だが断る!」を唱和してしまうお気に入りに。その劇場版である。

この世で最も黒い色で描かれた絵をめぐって、露伴自身の過去の因縁が絡むエピソード。若い頃に聞いた黒い絵に出会うために絵画オークションに参加した露伴は、事件に巻き込まれる。取り返した絵のキャンバスの裏側には、"ルーブルで見た黒、後悔"との文字が。漫画の取材、そして絵の謎を解くために岸辺露伴と担当編集者泉は、パリへ。

若き日の露伴がある夏出会った黒髪の女性。彼女の口から聞かされた黒い絵。彼女をモデルに描いた露伴の絵に対する過剰な反応。記憶と目の前の事件で頭の中が混沌とする中で、さらにルーヴル美術館の地下倉庫という迷宮的な舞台が用意されて、雰囲気はさらに高まっていく。

「岸辺露伴は動かない」はスピンオフでありながら、バトルが楽しい「ジョジョ」本編とは違う怪奇ミステリー。僕は「Fate」シリーズの中でも、同じようにミステリー要素が強い「ロード・エルメロイⅡ世の事件簿」が大好きなだけに、そもそも原作のテイストが自分に合っている。地下倉庫で「プロットを思いついたよ」と語り始める露伴先生。それは事件の謎解きの始まりだ。でも映画はそこで終わらず、露伴の記憶の謎解きが控えている二重構造。本物と偽物が本編を貫くキーワード。それを骨董屋でのエピソードで見せつける巧さ。ドラマの尺に慣れているから映画が冗長に感じるのではないかと思ったが、全くそんなことはなく、エンドクレジットが名残惜しくさえ思う。

そしてこの作品は映画館でこそ観るべき。本作を彩る黒は、テレビでは表現できない黒であるべきだからだ。「チコちゃんに叱られる」でも言っていたが、映画館の暗闇は深みのある究極の黒を表現するために必要なもの。映像の陰影が全く違うし、白黒の深みもより黒いものが表現できるという。露伴先生が落札するフランス人画家の黒い絵、木村文乃の美しい黒髪、露伴が描いた原稿のベタ塗り、飯豊まりえの黒いリボン(泉京香役の髪型好き♡)、ルーヴル美術館のモナリザの黒髪。そしてクライマックスに登場する黒い絵、そこに描かれたもの。画面が暗すぎてなんかわからんという感想もあるだろうが、明度の高いテレビ画面では味わえない黒がそこにはある。

映画館で黒とミステリーを味わうべし。




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メーテルレジェンド 交響詩宿命 第一楽章・第二楽章

2023-06-03 | テレビ・アニメ

◼️「メーテルレジェンド 交響詩宿命 第一楽章」・「第二楽章」(2000年・日本)

声の出演=雪乃五月 池田昌子 榎本温子 潘恵子 松山鷹志

(第一楽章)
「銀河鉄道999」は他の松本零士作品と関連がある。それぞれを読んでいた当時は、関係を感じさせるひとコマを見て、そうだったのか!と驚いたり感動したり。OVAとして発表された本作はメーテル、エメラルダス、女王プロメシュームとの関係を描いた「銀河鉄道999」の前日譚。

長大な楕円軌道をもつ惑星ラーメタルは、太陽に近づく期間がわずかしかない。人工太陽にも限界があり、寒さに凍えて滅びを待つばかりであった。生き延びるために機械の身体になり、国民にも機械化手術を受けさせることを選んだ女王。しかしその裏には機械人間ハードギアの陰謀があった。女王の2人の娘は陰謀に立ち向かうことを決意する。

本編となる各作品への思い入れが強い人向き。「999」本編を知らずに、時系列で「メーテルレジェンド」を最初に見ると「999」のミステリアスな面白さが半減してしまうだろう。だがオールドファンが本作前後編を観て、劇場版「銀河鉄道999」第1作を再度観ると、感慨深いものがあるに違いない。

前編はラーメタルの人々が機械化を選択せざるを得なかった事情が語られる。自ら滅びる選択はできないだけに、確かに仕方なかったのかもしれない。しかし、機械が体内で自己増殖を始めて、プロメシュームの身体から人間としての感覚や感情が失われていく過程が見ていて辛い。生身の人間が次々と命を奪われていく様はホロコーストと重なって見える。

メーテルと言えばあの黒服なのだが、その白服で登場するのも印象的。二人の娘を助ける老人はヤマトの沖田艦長を思わせるキャラデザイン。老人が造る光線銃は、"戦士の銃"コスモドラグーンの原型。

10代の頃、松本零士の描く女性を何度も描く練習した。特にあの眼を描くのに力が入るから、自分で描くと眼が大きくなりがちでバランスが悪い。スッとしたあの顔にならなかったっけ。本作をディスする気持ちはないけれど、本作のメーテルとエメラルダスの作画も眼がデカいw。でも眼をちゃんと描いてこそ松本作品の女性なのだよ。

(第二楽章)
メーテルとエメラルダスが機械人間の陰謀に立ち向かう物語の後編。機械人間ハードギアの支配はなおも続く中。女王プロメシュームの身体は次第に機械に支配され、人間としての母としての感情が失われようとしていた。ハードギアの魔手から娘を逃れさせようと脱出することを勧める女王だが、娘二人は悪に立ち向かう、母を救いたいと首を縦に振らない。正気を失いつつある女王と娘に決断の時が近づいていく。

松本零士のメカ表現は、「999」の機関車内部に見られるように無数の計器やインジケーターが描かれることだ。子供の頃はよく真似て描いて楽しんでいた。しかし、本作ではそれらがプロメシュームの美しい身体からケロイドのように浮き上がってくる。この場面は、前作から続くホロコーストを思わせる描写と重なって不快な気持ちにさせられる。

娘を思う気持ちを口にした次の瞬間には、ハードギアの命令に従い、メーテルに殺意をむき出しにする。母に銃を向けてでも立ち向かうと言うエメラルダスと、それでも母を救えないかと迷うメーテル。葛藤のドラマはますます混沌としていく。

二人を助ける老人ダガーとその息子も印象的な存在。「メーテル様のおかげで人間の心のまま死ねます」のひと言に泣ける。

プロメシュームが正気に戻るたびに、それまでの会話が蒸し返されるので、中盤は話が遅々として進まない印象を受ける。しかし、脱出艇を失った後、惑星ラーメタルに停車しなくなっていた999号で二人を脱出させることを思いついてから、ドラマは一気に濃厚さを増していく。悪党ハードギアと対峙する女王プロメシューム。劇場版「999」でお馴染みのあの姿になる瞬間が訪れる。そしてプロメシュームが娘に告げる遺言とも言えるひと言が重い。そして空からあの汽笛が聞こえてくる。

母から託されたトランクを開けるラストシーン。「銀河鉄道999」「宇宙海賊クィーンエメラルダス」「新竹取物語1000年女王」の物語が繋がっていく。ドクターバンが封じ込められたペンダント、機械伯爵も登場。

(蛇足ながら)
松本零士のこうした作品でテクノロジーの発達とそれに支配される人間の構図を散々見てきた僕ら世代は、現実世界でDXやら生成AIやらデジタル化の波に直面している。結構なことだし、合理的で便利なのは間違いない。でも、一方で失われるものがありはしないか、とつい思いを寄せてしまうのだ。ツールとして使いこなせればいいけれど、応酬の為だけに国会答弁がAIで生成されたり、芸術作品が機械によって模倣を繰り返されたり、いろんなお伺いをAIに委ねてそれに盲目的に従ったりする未来が来やしないか。そんな思いが心のどこかにある。大袈裟なのは百も承知だが、松本零士作品に触れることは、そうした未来を人間の気持ちに寄り添ったものにしていく良心回路になるのかもしれないな。







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劇場版マジンガーZ/INFINITY

2023-06-02 | 映画(ま行)

◼️「劇場版マジンガーZ/INFINITY」(2017年・日本)

監督=志水淳児
声の出演=森久保祥太郎 茅野愛衣 上坂すみれ 花江夏樹

「マジンガーZ」は70年代の巨大ロボットアニメブームの火付役。それまでのアトムや鉄人28号と違って、パイロットが搭乗して操縦するのは画期的で、男子の力への憧れ、変身願望を満たしてくれる重要な作品だった。その後日談として製作された新作。

光子力が社会を支える重要なエネルギーとして平和利用される未来が舞台。弓教授は総理大臣になっており、研究所はさやかが引き継ぎ、主人公兜甲児は研究者となっていた。富士山麓に突如現れた巨大な建造物と美少女姿のアンドロイド。蘇ったドクターヘルと機械獣たちが再び世界を襲う中、兜甲児は再びマジンガーで立ち上がる。

マジンガーZのアニメを毎週見て、ズタボロにやられる劇場版を映画館で観てショックを受け、雑誌テレビマガジンの付録?全プレ?のグレートマジンガーの銀色のカードを手にしてキャアキャア言ってた小学生だった。本作「INFINITY」には、こうした旧作への敬意がきちんと払われているのが好感。もりもり博士の遺影がチラッと登場するのもナイス。

巨大ロボットものもいろいろあるけれど、技や武器の名前を毎回叫ぶのはマジンガーがルーツ。改めて聞くとこれが気持ちいい。少年の気持ちに戻って叫びたくなる。ガンダムはビームサーベル!とか叫ばないもん。視聴者の気持ちを巻き込む仕掛けとして素晴らしい。それにロボットアクションの場面の面白さは、他のアニメとは違う。マジンガーを拘束する機械獣をロケットパンチで弾き飛ばしたり、ホバーパイルダーを一旦切り離して窮地を脱したり、技やマシンの性能をフルに使うアイディアは、弾を撃ちまくるだけのロボットアクションとはひと味違う。さすがは東映アニメーション。量産型マジンガーが、ガンダムのジムみたい。シローが乗ってるのはちょっと感慨深い。

東映まんがまつりの「暗黒大将軍」を彷彿とさせるダメージを負ったマジンガー。その窮地は全人類世界規模の力添えで立ち向かう。こういう展開、日本アニメはほんっと好きだよねー。「エヴァ」のヤシマ作戦にしても、「サマーウォーズ」のアバター大結集にしても。いや、東映がやってるんだもん、これは「ドラゴンボール」の元気玉の発展形なんだろうw。

永井豪作品つきもののお色気担当は、マジンガールズなる戦闘アイドルに託されていて、表現が露骨なのがちょっと残念。弓さやか好きのオールドファンとしては、さやかの露出こそお約束なのにーぃ🤣。

水木一郎アニキの歌声に気持ちがアガる。ご冥福を改めてお祈りします。







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