山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

「お茶漬けの味」の行方は!

2025-01-24 08:34:48 | アート・文化

  久しぶりに小津安二郎監督の映画DVDを観る。コロナ事件以来映画館から遠ざかってしまった。それもそのはず山奥から都会へまかり出るのもおっくうになったし、在宅で観られる映画が溜まってきているせいもある。もちろん、寒さのせいで外に出る勇気が半減しているのが本音でもある。夕飯前に「お茶漬けの味」(1952年公開)を急遽観ることにした。 

 戦時中に当局に脚本を持ち込んだが、戦時なのに有閑マダムが旅行で遊びに行くのは問題だとか、兵役に従事する前夜にお茶漬けとはけしからんとか、反戦を言っているわけではないのに許可が出なかったという事件があった。当初の企画をベースにして戦後書き直したのが本作品である。

  

 地方出身で読書好きの物静かな主人公・佐竹茂吉(佐分利信)と上流階級出身のお嬢様でツンツンしている妻の妙子(小暮美千代)との倦怠期にある夫婦のぶつかり合いと和解の物語となっている。しばらく観ているといつお茶漬け場面が出てくるのだろうと心配になってくる。女友達との温泉旅行を終えて汽車で幾何学的な鉄橋を渡っていくシーンでは、これは夫婦の決裂かとさえ思っていた。

 あいかわらず、小津監督のローアングルからの日本家屋の場面展開がユニークだ。障子やドアに囲まれた部屋の袖から登場人物が出てきてストーリーを牽引していくという構図はまるで舞台を観ているような錯覚に襲われる。

 

 それに、女性の華やかなファッションが見どころでもある。その女友達は津島恵子・淡島千景・上原葉子(加山雄三の母)らが花を添える。とりわけ、小暮美千代の和洋のいでたちは夫への不遜な態度ではあるもののその妖艶な魅力を十分際立たせている。

 敗戦後間もない庶民のエネルギーが巷に漲る。ラーメン、トンカツ、競輪、パチンコ、野球といった場面が挿入されていったのも、戦時中の不自由な縛りからの解放という意味合いもあったのに違いない。オラが子どものとき親父に連れられてパチンコ屋に行ったことがある。落ちていた玉を拾ってパチンコをやるのが楽しみだった。そのときのパチンコ台も映画の通り、立ったままで一個ずつ玉を入れるものだった。しかし、茂吉の戦友であり、パチンコ屋の親爺役の笠智衆は、「こんなもんが流行っている間は世の中はようならんです。つまらんです。いかんです。」と言わせている。 

 

 それに、戦死した友人の弟役の鶴田浩二が格好いい。こんな若い鶴田浩二を観たのは初めてだ。見合いをたびたび拒否していた姪役の津島恵子とその鶴田浩二とのカップルが、ラーメンを一緒に啜るシーンが出てきたり、二人のデートが映画の最終場面となっていく。それがどういう意味かはわからないが、佐竹夫婦のぎくしゃくした夫婦関係とは違う新しい戦後の男女関係を託した監督の願いが込められているようにも思われた。

  

 安タバコの「朝日」を吸い、漬物と猫ママご飯を愛する商社マンの質素な茂吉。それに苛立つお嬢様育ちの妙子だったが、急に夫が海外出張となってしまう。しかし、途中で飛行機がエンジントラベルとなり羽田に戻り夫は深夜に帰国する。腹が減った茂吉に妙子も一緒にお茶漬けを作って食べる。いつもはお手伝いさんがやるであろう糠みその漬物に手を突っ込む妙子に茂吉がその手のにおいにほほ笑む。

 そこで、妻の高慢な態度に不満を言わないでいた寛容な茂吉の心の広さに妙子は涙を浮かべる。ここで、シンプルだがコクのある「お茶漬けの味」を二人は共有する。そこに、茂吉が言う「お茶漬けは夫婦の味」だという世界を確認して大団円を迎える。険悪な空気感からこの安らかな空気感への転換が、皇軍兵士だった小津安二郎のめざす「日常」の価値だったのかもしれない。

 

 

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