山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

くずし字はパズル!?

2024-10-12 09:22:28 | 読書

   役者絵の粋な浮世絵に魅せられて間もないが、その画面の中に俳諧・狂歌・川柳などが出ている場合がある。でもそのほとんどはオラの力では解読できない。そこで、使われている「くずし字」を知っておけばわかるようになるのではと、油井宏子『古文書くずし字・見わけかたの極意』(2013.4 柏書房)を読んでみた。動機は安易だったが、ひらがなは漢字にルーツがあることは分かったものの、同じひらがなでもいろんな漢字が使われていて、さらに崩し方も多様であるのがわかった。

 少なくとも、本書は5~6回は読み直す教科書的な価値はある。だから、くずし字のルーツを知る楽しさはパズルのようだった。しかし、予想以上にそれが難解でもあったのも誤算だ。

 

 たまたま目にした歌舞伎役者・中村芝翫(シカン)の「団扇絵」の俳諧を調べることとなってしまった。風鈴の下の句の「涼しさや」までは読めたが、そこから先が進めない。もちろん、その下の扇子の句も解読不能。最初からつまずいてしまった。本役者絵は、明治維新前年の慶応3年(1867)に混乱の江戸で上演し発行されたもの。どんな役柄だったかがわかると解読のヒントとなるのだけど。

  

 一つの字がわかっても、センテンスとして意味が通じないと判読したことにならない。まるで、始めて外国語に遭遇したような気分だ。だから、江戸庶民は読み書きが大変だったと思われる。だから、世界でも指折りの民間学校の寺子屋や藩の学校が隆盛したこともうなずける。 

 

 なりゆきで 、字典を購入して一字一字解読をしてみたがなかなかの迷宮入り作業となった。何度もやめようかと思ったが、部分的に解読できた喜びも無視できない。書道の心得のある方には書き順がわかるようだが、それが苦手のオラには道は遠い。解読できたと思う方はぜひコメントくださいね。

 

 参考までに、百人一首に出てくる紫式部の和歌で一句。「めぐりあひてみしや それともわかぬまに  雲かくれにし 夜半の月かな」と読めた方は才能あり。(菅野俊輔「江戸のくずし字入門」から)

 これからもしばらく、くずし字とのにらめっこが続くようだ。後期高齢者になり、あとがないのにもかかわらず時間が足りない。長い昼寝・朝寝はしっかりとっているけど。

 

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二分された天皇家と出雲王朝の暗闘・隠蔽

2024-08-31 15:51:19 | 読書

 諸星大二郎の漫画「暗黒神話」にほだされて、古代の最大の謎・縄文人の行方や出雲王朝の消滅がやはり気になる。そこでまた、民間の異端の歴史家として数多くの書物を上梓している関裕二『縄文人国家=出雲王朝の謎』(徳間書店、1993.7)を読む。『聖徳太子は蘇我入鹿である』とか『なぜ<日本書紀>は古代史を偽装したのか』とか、のセンセーショナルな書物を一貫して提起している著者にはかねがね注目しているからでもある。

 

 というのも、著者がいつも指摘しているのは日本書紀の神話などをベースにしている学者たちの思考停止への批判がある。もちろん、著者の機械主義的な単純論法のめちゃぶりには異論もないわけでもないが、著者が言わんとする方向性は大いに共感するものがある。「九州王朝(現天皇家)=弥生人国家(渡来人)=アマテラス」と「出雲王朝(滅亡王朝)=縄文人国家(先住民族)=スサノオ」との暗闘の歴史が示したのは確かに明快でわかりやすい。

  

 「征夷大将軍」は江戸まで続いた称号だが、「征夷」とは言うまでもなく、東北にもう一つの異人の国家があったということだ。古代以来の歴史はこの異人に対する征圧の歴史でもある。だから、オラはそのもう一つの歴史、つまり制覇された敗者の歴史の掘り起こしが必要だとかねがね思っていたからだ。それを丹念に追究し孤塁を守ってきたのが、在野の関裕二氏だ。ときどき、蝦夷の指導者「アテルイ」が取りざたされてもいるが、大河ドラマでは1993年放映した「炎立つ」で奥州藤原氏を描いたのが精いっぱいで、蝦夷やアイヌを直接主題にするのはタブーなのではないか。

 

 モヤモヤした日本の曖昧さの中にタブーはしっかり存在する。その一つが出雲王朝の滅亡・掃討であり、「暗黒神話」のルーツでもあり、プロパガンダの成果でもあった。著者は、「弥生以降の稲作文化のみを日本文化だと錯覚すると、やがて大きなしっぺ返しを受けることになろう」と、佐治芳彦氏を引用して持論を補強している。文献重視の史学界にあって、神社や民間伝承に光を当てたのは哲学者・梅原猛でもあるが、関裕二氏は従来の「史学界の常識に、真向から反対」する立場をあえて堅持している。

 

 「ヤマトタケルは東国縄文人の英雄だった」「聖徳太子は縄文人だった」とのショッキングな著者の言い分の背景には、数十年にわたる推論の積み重ねがある。そして、「日本の歴史は、天皇家と、天皇家によって抹殺された縄文人との間の格闘史といっても過言ではない」と断定し、「縄文人の誇りを残そうと戦った者たちの鎮魂の意をこめて」、本書は捧げられた。

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諸家の理想はあれど未だ人類は成長できず

2024-08-24 12:21:59 | 読書

 ブラボーコレクションからの課題図書の二冊目、諸星大二郎『孔子暗黒伝』(集英社、1988.5)を読み終える。発刊された1980年代後半と言えば、東西冷戦が終わって、アメリカの一人勝ちと東欧革命が始まるとともに、新たなグローバル経済が世界を跋扈していく頃だ。日本はバブル経済がはじけ平成不況へと迷宮に突入する。

 1970年代後半、「週刊少年ジャンプ」に連載されていたのが本書である。前作の『暗黒神話』と同じように、古代史・文学・哲学・考古学・文化人類学・宗教・民俗学・オカルトなど広いジャンルをバックに孔子と陰陽二つの性格に翻弄される「ハリハラ」の苦悩と挫折とが表現されていく。

  (画像はletuce's roomから)

 冒頭の孔子とその弟子は、宋の刺客に追われていて、逃げ込んだ所は滅亡した「周王」の墓室だった。そこには饕餮(トウテツ)文様に飾られた部屋があった。この文様は、財産・食べ物を食い尽くす神・怪物・鬼などを表す魔獣であると言われている。その魔獣がときどき本書に登場する。

 そういえば、30年ほど前だろうか、中国の長江沿いに高い古代文明が形成されていた「三星堆(サンセイタイ)」や「仰韶(ギョウショウ)」遺跡の出土品を見に行ったことがある。その文様を見ると、中国のルーツと言われた「黄河文明」とは違うもので、むしろマヤ文明や古代エジプトの装飾に似ていた。

 

 本書を貫く著者のイデアは、「陰陽五行説」のように思える。つまり、宇宙・世界・社会を陰陽二元的にとらえ、自然や物事は「木・火・土・金・水」の元素から成り立つとしている考え方だ。それがときにバランスが崩れ人間も世界も自然も変容されていく。その混沌世界の残虐なリアルを著者はこれでもかと描いていく。少年漫画誌にはふさわしかったかどうかは疑問だが、人間の首切りが普通に描かれている。

 

 また、「易経」の語句が本書にたびたび引用されているが、オラの狭い感覚だと「占い」のイメージが強い。しかし、「易経」は儒教の基本書籍である五経易経書経詩経礼記春秋の筆頭に挙げられる経典で、東洋思想の根幹をなす哲学書。また、四書大学中庸論語孟子)は江戸時代後期には下級武士や庶民にまで普及し、読書能力や教養などの文化水準向上に果たした功績も大きい。なお、中国の漢代には、儒教が国教として採用され、四書五経は官吏登用試験の基礎ともなった。

   

 最終章で、混沌とした破天荒な世界に対して孔子は「それでも 四季はめぐり 草木は茂り 何事もなかったかのように過ぎてゆく 天は何もいわんのだ」「天が何もいわずとも すべては過ぎゆき 人びとは生きてゆくではないか」とつぶやく。

 それは、「迫害が起こって今日まで二十年、この日本の黒い土地に多くの信徒の呻きがみち、司祭の赤い血が流れ、教会の塔が崩れていくのに、神は自分にささげられた余りにもむごい犠牲を前にして、なお黙っていられる」と遠藤周作『沈黙』のラストシーンとつながるものがある。

 

 全編を通して、中国・インド・東南アジア・日本・宇宙へと場面は変転し、そこに、孔子・周王・武王・老子・仏陀・ヤマトタケルらが配置されていく、という壮大な装置に読者を引きずり込む。本書への各種経典からの引用は難解この上ない哲学書もどきにすることで、現代にも進行しているリアルな残虐と混沌を予言するとともに、極端な刺激を抑制している。

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 要するに、科学技術や生活は向上しても、人類の残虐性や頽廃は簡単にはリセットできない渦中にあるということを正視しなければならないということか。杜甫の「国破れて山河在り,城春にして草木深し」とあるが、現代の戦争によれば草木さえ生えないほどの壊滅と人間のジェノサイドがある。

 こうしたなかで、どうすることが生きる希望とつながるのだろうか、というそこに呻吟する著者の姿がにじみ出てくる作品でもあった。それはきっと、ブラボーさんの叫び・無常観、いや「秘術」・悟りなのかもしれない。

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ヤマトタケルが転生した少年は…

2024-08-17 22:43:19 | 読書

 畏友のブラボーさんが「縄文」に興味を持つオイラに送ってくれた漫画・諸星大二郎『闇黒神話』(集英社、1988.6)を読む。ベトナム戦争が終結し、ロッキード事件が発覚するなど変動激しい内外情勢があった当時、若きブラボーさんは進展する企業戦士の中枢として日夜奮闘する日々の合間に読んだのが、「週刊少年ジャンプ」に連載されていた「闇黒神話」などだった。深夜に至る残業前、近くの喫茶店で夜食のナポリタンを食べながらコーヒー片手にむさぼり読んだらしい。オラはひとり住まいの母親の実家にもどり、なんとか新天地での就職に滑り込んだばかりのほろ苦い再出発だった。

 

 主人公の少年・山門武(ヤマトタケシ)は殺された父の真相を解明していくと、出雲と関係が深い諏訪地方の縄文土器と怪しい関係者に出会う。そこから、ヤマト王権に抵抗していたクマソ一族の末裔が登場し、「武」の究明を妨害する。同じような縄文のルーツを持つ両者がなぜ対立するのかはよくわからないところだったが。

  

 日本の古代遺跡、日本神話、仏教、呪術、宇宙などの関連話題が次々引きも切らず展開していく。その強引なスケールの広がりが本書の魅力でもあるが、登場人物の生硬な表情が気になるところでもある。内容がダークで伝奇的なものだからなのかもしれない。

 

 物語としては世紀末的な終わり方でもあったが、熱烈なファンはいるようで、装丁が凝っている価格の高い豪華本も発行されている。なお、闇黒神話と別に「徐福伝説」が収録されているが、残念ながら舌足らずで終わった短編のように思えた。ただし、徐福の山師的な姑息さを暴くところは見事だとともに、「混沌よ わしにはひらかぬのか!  永遠への扉を ひらかぬのか!?」と叫ぶ徐福の言葉は、本書のテーマと著者の人生や社会への箴言ではないか、とも思われた。

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路地裏から世界を見る

2024-08-03 20:32:40 | 読書

 下町風情がまだ残る商店街に起業家の平川克美が公民館のような喫茶店を開いている。店内でイベント・コンサート・ギャラリー・講演会などを開催し、彼の経営者・著述家としての集大成ともいうべき企業理念を現実化している。タイトルが気に入った彼の著作『路地裏で考える』(ちくま新書、2019.7)を読んでみた。サブタイトルは、「世界の饒舌さに抵抗する拠点」。

  

 著者は最初に、「足元の現実、日々の暮らしの中から見えるもの、…それを自分の問題として考える言葉を探すこと、それがわたしが自分に対して課したルールであった。…<路地裏目線>というものがあるとすれば、…わたしはその目線の先に見える風景の観察者でありたい」と宣言している。

 本書の構成は、1章「路地裏の思想」、2章「映画の中の路地裏」、3章「旅の途中で」。2章は興味はあったが、やはり現実の路地裏からの発信には距離があった。3章は各地の温泉地めぐりとなっていて「足元の現実」からはほど遠い。

 

 本書の眼目はやはり第1章と言える。日本が経済成長を続けている時代に「あしたのジョー」が登場し、その後の経済の低迷とともに終焉を迎える。その11年後に長期連載となり映画にもなっていく「釣りバカ日誌」だった。加えて、「天才バカボン」も外せない。現在の日本の担い手群団はこれらのマンガに大きな影響を受けていたのは間違いない。オラも場末のラーメン屋で週刊漫画誌を読むのが楽しみだった。安定に見えた80年代の市民社会はヒーローを必要とした時代が終わったということを意味したという著者の鋭い指摘が冴える。(イラストは井上直寿さん)

 

 その意味で、「釣りバカ日誌」のハマちゃんの生き方ががちがちのサラリマン社会を軽快に穿つ清涼剤だった。経営者でもある著者は、「あまりにも長い間、会社というものが社会の中心に座り続け、…会社がひとつのフィクションでしかないことは見過ごされている」と見事な分析をしている。

 

 現在、著者は路地の多い下町風の地域で喫茶店を経営していて、そこが知的なコミュニティ・居場所になっているようだ。ただし、残念なことに本書にはそこの地域の路地裏が出演していない。路地裏は長屋でもある。そこに、落語に登場するような大家さん・個性的な職人・おかみさん・よたろうといった庶民の顔や背景が必要だ。

 

 そこが不満だったが、「過去と未来を架橋するのは、経済原理の外側に自らの足場を築いているものたちである。…しかし、その声はあまりに小さく、忙しい現代の街角では騒音に紛れてしまうだろう。だから、わたしは、せめて負け犬の遠吠えが響く路地裏を、今日も散歩し続けていたい。」と、結んでいる。

 すばらしい結びだ。混迷し饒舌な世界のただなかで、経済原理の外側に足場を持つ人々がここの喫茶店から輩出していると思われるので、それをぜひ次に読んでみたいと思った。いくつかの著書のタイトルがきわめて新鮮だった。それは詩人を憧れる平川さんの感性の襞が豊かなのを感じる。おもわず5冊くらいまとめ買いしてしまった。

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人生というものをトシで決めたことはない

2024-07-12 23:10:14 | 読書

 オラの人生の羅針盤でもある作家・高尾五郎氏から、篠田桃紅(トウコウ)『百歳の力』(集英社新書、2014.6)の本が送られてきた。オラの高校生の時は、武者小路実篤とその白樺派に傾倒していたことがあったが、その限界を突き破っていたのが、アメリカの国民的詩人のホイットマンでもあった。高尾氏はしばしばホイットマンの詩を引用し、自前で『草の葉』という文芸誌も刊行していた。氏は、後期高齢者のオラの先輩ではあるが、いまもホイットマンの気宇壮大な理想主義的な世界を追尾している。氏は、80歳代になってもなお青年の素志を忘れない作家でもあり、書家・アーティストの篠田桃紅の貫く共通の気骨を感じられる。

 

  篠田桃紅は、「常識の世界に生きなかったから長生きできた」とし、100歳を超えても現役として墨による抽象作品を描き、海外の美術館でも高い評価を受けていた。2021年、107歳で死去。

 本書は、口述筆記のような優しい文面ではあるが、そのなにげない言葉には凛とした哲学に支えられている。「つくるということは、続けるということ。道と同じ、ここで終わるということがない。…人生と同じ」とか「自分が動きやすいように、妨げるものや邪魔するもののないように、自分のグラウンドをつくったことが私の精神に大きく作用している」とかいうふうに。「自分のグランド」形成がこの日本が直面している喫緊の課題なのだ。

  

 とりわけ共感できたのは、「人というものも自然がつくったものなんだから、自然という大きな手の中で逆らわないように、人間同士がお互いに立てあえるように、…そういう生き方こそ上等の生き方かなあと思う」というくだりだ。人間と自然との共生を育んできた日本の風土は、今の混沌とした世界の中で羅針盤となるものだ。しかし、それを経済成長優先で放擲してきた戦後のツケは、都市集中・地域解体をはじめとして日本人の精神的劣化を加速させてしまった。

 

 そして桃紅は、「もうあとどれだけ生きられるかわからないけど、限りのある人生だからいいのであって、永遠に生きることになったら、ぜんぜんちがうでしょうね。…死があるから、人生というものを生きているわけですよね」と、名僧でも言えないような言葉を軽やかに言い放つ。

 

 晩年に向かってもなお老いを突き抜けた桃紅の魂は飄然として成り行きと伴走する。それに呼応するかのように、高尾五郎氏は、「80歳から起こすルネサンス」「90歳から起こすルネサンス」この2冊を世に投じようとしている。彼の代表作『ゼームス坂物語』(清流出版)は、芥川賞をもらっても十分な作品だ。彼は、灰谷健次郎らを輩出した理論社の社長・小宮山量平の自然と人間とのみずみずしさを継承しながらも、そのパトスはトシを超越しながらいまだに放出してやまない。

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女々しさが史上最長の王朝を支えた !?

2024-06-28 12:32:02 | 読書

   無難な戦国を描いて視聴率を狙うNHKの大河ドラマの中で、今回の「光る君へ」の存在は画期的だ。というのは、男社会のポピュリストのジジイや国民へのこびへつらい忖度に対して、今回は平安王朝は武力以上に女性の存在感と活躍する女性文化、さらには和歌・管弦・しきたりを重視する「貴族道」が中心的基軸となる。その意味で、関幸彦『藤原道長と紫式部』(朝日新書、2023.12)は、それを待ってましたとばかりに出版されたタイムリーな本だった。そのため再び読んでしまった。

  (平等院webから)

 著者は、本書の目的は「王朝時代の復権」、ズバリこれに尽きると言い切る。「平安時代400年と一口にいうけれど、これほど長い時代は日本史上、他にはない」と指摘する。くわえて、「貴族が主役だったこの時代は、武士の時代に比べダイナミックさに欠ける。…明らかに<負>の印象が強い。…劣勢なる平安時代、その名誉回復にむけて、この時代を裸眼で見直す」と、道長・紫式部を引き寄せてグローバルな視点から力説していく。

  (japaaan webから)

 世界は今、武力や経済によって自他の国を屈服させる動きが支配的だ。そんなとき、女性の優雅さやキレのある文化によって時代を構築していく国づくり・人づくりが模索されている。日本の歴史を考えても、平安の国風文化・ひらがなの発明、戦国・室町の茶道・華道などの伝統文化、江戸の芸能・エコロジー・アートなど、現代でもいまだに息づいているジャポニズムがある。それは中国から導入して学んだことを独自に消化して日本独自の文化を創造していったのは平安時代からなのだ。

   (京都の文化遺産webから)

  著者は、「王朝貴族にとって和歌は、自己の情念を、言語という理智的手段で表明する行為だった。…政治上での権力の暗闘場面でさえ、表現上の才能こそが、<貴族道>に恥じない要素だった」として、男女の情愛だけではない所作・スタイルを強調してやまない。

 さらに、天皇の名前を中国風の「天・武・文」などをやめて、京都の地名などを冠して日本風にしたのも画期的だと言う。また、道長らの摂関政治は、それまでの天皇親政の「中華的皇帝主義」から権力を分離・請負化して天皇を文化的に象徴化した。確かにこうした指摘はわかっているようで意外に盲点だった気がする。平安時代は矛盾に満ちてはいたものの長いスパンで鳥瞰するといかにスゴイ時代であったかを認識させてくれる。

  (市川市webから)

 ヨーロッパにとってオリエントは、しばらく理想郷だった。中華帝国は世界の中心だった。日本もご多分に漏れずそこから学んだことは多かった。しかし、世界の大波はそれを超える時代へと、大航海時代・産業革命へと歴史はフル回転する。そんな波濤のなかで、道長や紫式部が生きていた平安時代はジャポニズムへの転換がまさに選択された時代だった。著者の鳥瞰的な意図はざっくり伝わってきた。これからの世界の方向性が示唆されている時代でもあった。ちなみに、現在放映中の朝ドラも、女性初の裁判官誕生物語であり、結果的に大河ドラマと連動しているのが象徴的だ。未来にも生きる希望が少しはあるということだろうか。

   

   

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永田農法のトマトを食べて

2024-06-08 21:25:53 | 読書

 5月下旬、今まで気になっていた永田農法のトマトを購入して食べてみた。普通のトマトの糖度は4~5度だがこちらの糖度は倍以上もあるという。さっそく食べてみると確かにフルーツのように甘い。歯が悪いので皮が硬いのが難点だったが、これは旨味が半端ではない。ということで、当事者の永田照喜治(テルキチ)『食は土にあり/永田農法の原点』(NTT出版、2003.6)を読んでみる。

  

 著者の仮説は「野菜や果物を美味しくするには、その原生地に近い環境を再現すればいい」というものだった。それは苦労して体得した経験とカンの賜物だった。と同時に、著者は「資本主義経済の発展とともに限られた土地で大量の収穫を上げるため、大量の肥料投与・農薬投与ということが繰り返し行われ、農業こそが環境破壊の一大原因」と指弾する。そこで、「自然に遠慮しながら…少なくとも、その土地を汚さない、そこの生態系をできるだけ壊さないようにする」としている。それはまたネイティブアメリカンの「七代前の先人の知恵を大切にし、七代後の子孫のことを考えて行動する」という言葉を引用している。

 

 さらに続けて、遺伝子操作によるハイブリッドのF1種子を多国籍企業が独占し、農家はそれを毎年買わらざるを得ない坩堝にはまっていると指摘する。それはオラも種を買おうとカタログを見てみると7~8割がF1種子であるのに閉口する。これでは、地域の伝統野菜は生き絶え絶えとなり、種の採取も難しくなっていく。そして著者は、「現在の日本の野菜は消費者のためでなく、生産者や流通者の利便性、経済性のために作られている」という告発には大いに首肯するものだ。

  

 そうして、「欧米型の多肥料・多農薬・多収穫・安全性無視の環境破壊型農業の時代は終わり」、自然と共存型の持続可能な「アジア型農業の時代」であることを強調してやまない。そのグローバルな視点は同時に、永田氏の交遊関係の豊富さも本書にふんだんに紹介されている。生産者・料理人・経営者・放送人・評論家・作家など、その関係は、土を通して人との関係が深まり、癒され、生かされてきたという。言い換えれば、「人と関わること、社会と関わることの大切さ」、園芸など「自分が何かの役に立っている」という実感を持つ大切さが、農業に内包されている。

 

 そういうことから、「人は自然と関わり、人と関わることで生きがいを感じることができる」と、農業の中に希望をたたみかける。本書からは、永田農法の原点が語られているが、それはオラが今まで考えてきたことと矛盾しない。しかし、実際の農法はわからなかった。そのため、永田農法図解入りの本やDVDなどを確保した。これから、わが小さなわが農園に永田農法を少しずつ取り入れてみたいと思う。畝は高畝にすること、土壌の中身というより「液肥」で肥料をかける、肥料・水をぎりぎりまで抑えて栽培するというようなことが基本のようだ。

 

  そんななかの本からの巻頭言。

 「自然の森を 思い浮かべてください。

 森に誰が 水や肥料をやりますか。 どこに土を耕す人がいますか。

 森は何もしなくても、 ちょうどいいバランスを保ち、

 瑞々しい緑を育んでいます。

 私たちが食べる作物だって 実は同じことなのです。」

       ( 『永田農法おいしさの育て方』永田照喜治 から)

 

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日本の目覚めは世界の夜明け!!??

2024-06-01 21:49:38 | 読書

  書名が気になって本書を注文して読んでみた。長堀優『日本の目覚めは世界の夜明け/今蘇る縄文の心』(でくのぼう出版、2016.11)を読む。1万年以上つづいたという縄文時代の遺跡からは戦火の跡がないという。世界の古代文明は数世紀で戦争や自然破壊で滅亡するのに、縄文の価値がやっと注目されつつある。その縄文の心の片鱗が何とか生き残っていて、それを再評価したいというのが著者の立場だ。

 

 外科の医者でありながら、古代史にも造詣が深い。神話・ネイティブアメリカン・ユダヤ人・古代文字など、オラも関心ある分野を紹介しつつ、総じて、自然と人間との調和を旨としてきた日本人の振る舞いのルーツを縄文の心と読み解くのだった。基本的にはオラの考えとの親和性を感じる。しかし、ところどころに出てくるスピラルチュアルな感性は首肯できない箇所が気になった。

 ときに感じる「霊性」(著者は靈性という言葉にこだわっている)が、やはり事態からの飛躍をたどり、結論への封じ込めの手段になってしまっているのを感じる。日本の歴史は縄文の心を排除してきた歴史でもあった。「征夷大将軍」の官職は縄文人への迫害の歴史の証明でもあったのではないか。その影響は近代では対外戦争へと露出したのではないかと思えてならない。

 

 とはいっても、著者の言う「日本人の遺伝子に組み込まれた<愛と調和、分かち合い>の精神は、物質的にも精神的にも行き詰まった現在のこの世界に、必ず必要とされてくるはず」というくだりは理解できる。その理想主義的な明るさはなるほどと言いたいところだが、現実には北欧やECの先験的見解の先進性が、どうしょうもない現実の世界を牽引している。日本はそうした哲学を棚上げして目先の利害だけの小手先に明け暮れている現在・歴史だったのではないか。

   

 「死」を何度も看取ってきた著者は、「生死一如(ショウジイチニョ)」、つまり、「死を見つめれば現在の生が輝く、生と死はひとつながり、と考える東洋の叡智は…、世界に誇るべき我が国の文化である武士道精神の根幹の一つを成す」との見解には共感するものがある。武士道精神を極端に考えてしまっていたが、他人の幸せのために尽くす「利他の志」とか「現世での名誉や物質欲ではなく、生かされていることのありがたさに気づき、感謝をする、そうすればおのずと謙虚な気持ちが芽生え、行動も変わってくる」ことを提言している。 

 

 こうした見解は、仏教や神道でも伝えられていて新しい考えではない。むしろ、それが日本の民衆史のなかでなんとか消化されてきたことが精神的遺産なのだと思う。これらをつい政治家や経営者らに求めてしまいがちだが、大切なことは、この応用を日々の暮らしの中で反芻し行動していくことに違いない。それが著者の願いでもある。

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男たちの絆と挫折と再生と

2024-05-03 22:06:33 | 読書

 浮世はゴールデンウィークのさなかだが、きょうもわが家は相変わらず草取りに追われている。そんな浮世に抗して、晴耕雨読ならぬ「静耕有読」の時間をなんとか確保したいと思う。そのわずかな時間から、伊集院静『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』(集英社、2014.4)を読む。著者の愛妻を病魔で亡くして以来、酒とギャンブルと絶望に明け暮れていたころを回想した自伝的な物語だ。

  

 以前、著者の『いねむり先生』を読んでえらく感動したものだった。本著書はその姉妹編ともいうべき作品で、内容が重複するような場面もあり、流行作家らしい瀬戸際の自分の限界との葛藤も伝わってくる。『いねむり先生』は、難病のさなかでも自分を失わず爛漫な弱さとギャンブルを武器に作家生活を貫いている「色川武大」(阿佐田哲也)への挽歌と連帯の作品だった。先生に対する愛おしい尊敬と暖かいまなざしは、今回の著書にも同じように溢れている。

 

 そこには、著者を慕う不器用な三人の男たちが登場する。彼らは編集者・芸能プロ・競輪記者と職種はいろいろだがそれぞれ個性的だが、生きる傷を背負いながら生きている。そんな市井の男たちとの交遊のなかににじみ出てくる、彼らと著者との傷の共有物語でもある。結果的には男たちの追い詰められた死が残された。したがって、本書は彼らとその周りへの挽歌・献杯でもある。「愚か者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない」とつぶやきながら、渾身の筆を握る著者の哀切が流れてくる。

 

 この三人を念頭に著者は言う。「まっとうに生きようとすればするほど、社会の枠から外される人々がいる。なぜかわからないが、私は幼い頃からそういう人たちにおそれを抱きながらも目を離すことができなかった。その人たちに執着する自分に気付いた時、私は彼等が好きなのだとわかった。いや好きという表現では足らない。いとおしい、とずっとこころの底で思っているのだ。

 社会から疎外された時に彼等が一瞬見せる、社会が世間が何なのだと全世界を一人で受けて立つような強靭さと、その後にやってくる沈黙に似た哀切に、私はまっとうな人間の姿を見てしまう。」

  

 伊集院静の魅力は、そういう傷を持つ相手の心の襞を掬い取るような感性にあるとかねがね思っていた。全盲の『機関車先生』もそういう視点やまなざしが馥郁としていた。しかも、最後の無頼派作家としてもギャンブルに数十億を使ったともいうし、喧嘩もめっぽう強かったし野球もかなりうまかった。だから、女性のファンも少なくない。いわば、江戸の助六のような伊達男たっぷりの魅力が漂う。

 著者の、「生きるとは、自分のためだけに生きないことだ」「抵抗せよ。すぐに役に立つ人になるな。熱いひとになれー。」「大人にとって生きるとは何か、誰かのために何ができるか、考えること」との珠玉の言葉を残しているところも、流行作家として流されない生きる肝・哲学が基盤にある。

 

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