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昨日、イベントに行った時の会場周辺で見慣れないマンホールのふたを発見。イベント開催前だったので急いでカメラに収めて会場に突入。しばらくぶりのマンホール探訪ともなった。下水道は、紀元前からメソポタミヤ・古代インド・古代ローマなどの都市で設置されたが、本格的にはペストやコレラなどの伝染病の大流行があり、それ以降の14~15世紀ごろから、欧米の主要都市に下水道・マンホールが敷設されていった。日本はそれらを踏まえ神田に1884年下水道ができ、全国に広まっていく。
マンホールの下側には、「OHTAKE FOUNDRY」と会社名が刻印されていた。その先頭には〇の中にTの字が入っているロゴがあった。ものによってはその〇がギザギザだったり、ロゴの位置が会社名の真ん中にあったり、試行錯誤している。調べてみたら、個人で創業したのが1931年、合資会社にしたのが1947年、社名の「大嶽鋳工」を「オオタケファンドリー」に変更したのが1991年、残念ながら会社が倒産したのが2015年と最近のことだった。本店は愛知県津島市にあった。「オオタケ」は公的施設にも食い込んでいたようなのだが、どうして傾いていったのかはわからない。戦前・戦後の草創からピークのバブルへと下水道事業にかかわる波乱万丈の星霜を歩んだことは間違いない。
マンホールの上側には、「MTJA 600 1500KG」という識別番号が小さく刻印されていた。関係者にはこのマンホールの場所や用途が番号からわかるだろうが、下水道なのかどうかは定かではない。ふつうはマンホールの中央に雨水とか汚水とか表示しているのが多いのだがね。
いずれにしても、この「二重の平織り」パターンの日本的なデザインは設置当時はしゃれていたのだろうと推察される。今ではアニメぽいデザインだったり、カラフルな色使いだったり、デザインカードを発行したり、観光の目玉にもする、というほどの変身ぶりだ。破産してしまったこの会社のマンホールはどこかで往時の苦楽を秘めてじっとしているに違いない。どこかでいつだかわからないが、再会できることを期待したい。