バンクシーのストリートアートは断片的なニュースしか知らなかった。そんなとき、宝島社発刊の『バンクシーの正体 who is BANKSY』(毛利嘉孝監修/2021.7)には、その内容といい、視点といい、貴重な画像の豊富さといい幾度も感心させられた。
バンクシーは、奴隷貿易で栄えたイギリスのブリストルで生まれたという。それは同時に、人種差別に抗する反骨精神も醸成されていく歴史でもあったようだ。(画像はすべて本書から)
2018年、ロンドンで開催されたオークションでバンクシーの「風船と少女」が1億5千万円で落札されたと同時に、シュレッダーにかけられた事件が一大ニュースとなった。その後、本作品は25億円ともなった。
それは、現在の金持ち好事家のオークション方式に対するバンクシーの挑戦だった。そこには、ストリートアーティストからすれば、アートを判断・批評することの裏側の権威や権力に対する差別への強い反発がある。しかし、それ以上に運営する側はもっとしたたかだった。
バンクシーの代表作の「風船と少女」は、ロンドンにある橋への階段横に描かれたが、其の隣には「there is always hope」(いつだって希望はある)と、落書きされた。このステンシルによる絵は、ロンドン市内にいくつか描かれたがすべて消されて現存していないという。しかし、この絵に込められたモチーフはいまだ変わっていない。
やがて、彼等はパレスチナ・シリア・イラクなどの政治的な問題や環境問題へとグローバルな問題意識へと広げていく。本書監修者の毛利氏は、バンクシーは一人ではなく「チーム・バンクシー」として無名のアーチストやスタッフがかかわっていると断言している。それは、政治的問題ばかりではなく、資本主義そのもののあり方を暴露したアートテロでもある。
ベトナムでナパーム弾で村を焼き尽くされた少女をいざなうのは、某テーマパークのミッキーと某外食産業のドナルド。「幸せの国」にはバーチャルな錯覚を洗脳する見事なシステムがある。その象徴がこの二人だ。これほど現実を錯覚させるバーチャルなアートに会ったことはかつてない。それはアート界のビートルズに匹敵する。
以前、一週間に1回は浦安に行っているという主婦もいてびっくりしたことがある。オラはそこへ全く行く気がしないのはその商業主義の徹底ぶりと幻想を振りまいて現実を隠ぺいしてしまうカルトを感じてしまうからだ。
目の前に迫る壁を越えるには希望という風船が必要だ。しかし、壁を越えた先は人殺しの武器と「お金」・貧困という魔物が待っているのも事実だ。
「土地は本来誰のものでもない公共の場」だったのが、資本主義という妖怪が登場するとすべてが誰かの所有物となり、居場所も表現の場もなくなってしまう。都市は、資本のあるものだけが巨大看板を設置し、グローバルな情報を流す装置となり、所有権のない者は監視カメラの対象とされる。
そんなリアルを告発しているのがバンクシーなのだが、マスメディアは太鼓持ち番組やうわべだけの断片的なニュースしか流さない。だから、バンクシーは法の裏をくぐるしかないというわけだ。それは、相手の鉄砲に対し石で反撃するパレスチナ人の行動に似ているが、そのアートは石ではなく花束だった。
そうした意図を見抜いて出版編集されたのが本書の神髄でもある。日本は世界は、バンクシーがストリートで提起したものを受け止められるだろうか。