山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

新種か!? ビロードモウズイカ

2022-07-06 22:51:55 | 植物

 雑草軍団が占拠しているわが家の庭で、「ビロードモウズイカ」(ゴマノハグサ科)の花が咲き出した。いかにも帰化植物らしい姿態だ。葉はビロード状で厚い。まっすぐな背高のいで立ちは雑草の中でも特異な存在となっていた。

 じつは30年以上前、品川の埋め立て地で八潮団地が建設前の荒地にいくども闖入したことがあった。そこはバッタをはじめとする昆虫の宝庫だった。バッタの大きさも12cmを越え、タンポポの高さも1mもあったほどの異世界だった。大きさも生命力も半端でない。自分の背丈もある雑草をかき分ける探検がスリル満点だった。団地なんか建てないで自然公園にしたらいいのにと強く思っていた。そんな雑草のジャングルにビロードモウズイカがにょきにょき散在していたのだった。

        

 そんなビロードモウズイカがわが家にあるなんて、喜んでいいような懐かしいような複雑な思いが交錯しあう。しかしながら、花は本来黄色であるはずなのだ。それが目の前にある花は間違いなく白花だ。「シロバナモウズイカ」というのもあるが、花の形態が全く違う。ついに新種を発見かー。

 まさか、これから黄色くなるのだろうか、もしくは白が強くて黄色がうっすら、というのかもしれない。「モンキアゲハ」の紋はどう見ても白色という例もあるしー、しばらく様子を見よう。

              

 八潮団地が建設されてから、その住民を中心に植物観察の会「ビロードモウズイカ」が誕生した。その10周年記念誌が『花だより PART2』だった(2001.1)。定例の観察会と会報を着実に発行してきた素晴らしい組織だった。その東京湾の埋め立て地・八潮で象徴的だった植物がビロードモウズイカということだった。ビロードモウズイカはネイティブアメリカンが葉をタバコのように吸引して喘息や咳の治療をしていたという薬草でもあった。また、種は100年くらい経っても発芽能力があるという。ビロードモウズイカ、ただものではない。 

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自由奔放なケロちゃんだー!!

2022-07-04 21:16:15 | できごと・事件

 台風がやってくる予報前の深夜だった。ことしもアマガエルがわが家に闖入してきた。わが家のほのかな光に寄ってくる蛾を目当てに来たようだ。ところが、いつものケロちゃんとは違うのだった。いつもだったら、人間の存在を察知したカエルは逃げたり物陰に隠れるのがフツーの行動なのだ。それが今回どうどうと畳に鎮座してこちらのようすをしばらくうかがっていたのだ。

  

 こちらもいつも通りケロちゃんの存在を放任している。そのうちにケロちゃんは危機はないと判断したのか部屋の中を自在に飛びまわり始めた。ケロちゃんが最初に興味を持ったのは、365日の月の満ち欠けを表したカレンダーだった。月とカエルとの関係は定かではないが、ダビンチさんが贈ってくれた卓上型の暦だ。満月を見ては吠えるわけではないが、いつが満月なのかやスーパームーンを確認できる優れモノでもある。

 

        

  部屋を一回り飛び回ると今度は、和宮様が日誌を書いている隣でしばらく寄り添っていた。それを見たオイラはつい、「カエルの合唱」の歌を想い出した。この歌の原曲は日本の童謡ではなくドイツ民謡であるのを初めて知る。リフレインだけ、ドイツ語にする。

 「かえるのうたが きこえてくるよ / quak quak  quak quak  ka ka ka ka ka ka ka ka  quak quak  quak」となるそうだ。鳴き声はシュレーゲルアオガエルらしく、アマガエルではない。

         

 すると、「ケロポンズ」という保育園や幼稚園で人気のあったグループを想い出した。そしてまた、そのグループの前身で活躍していたシンガーソングライター「新沢としひこ」を想い出した。カエルが自由奔放に動き回ると同時にこちらも妄想を開始する。

 20年以上前だろうか、オイラは彼のファンでそのころのCDをかなり持っていた。彼が『月刊音楽広場』(のちの『月刊クーヨン』、落合恵子のクレヨンハウスが発行)で活躍していたころが懐かしい。その雑誌の表紙やCDのイラストは五味太郎、増田裕子の作曲、マルチな中川ひろたか、遊び歌の福尾野歩、監督のクニ河内、の顔ぶれが優しく心がホッとする。

        

 新沢としひこの作曲した音楽が幼稚園や保育園の卒園式に歌われた。おいらはこれほど子どももおとなも感動できる音楽がなぜもっと流布しないのだろうか、とても疑問だった。大手の発売元ではないクレヨンハウスの悲哀さえ感じる。そんなこんな走馬灯のように思い出してくれたケロちゃんの奔放さが頼もしい。カエルにも個性があることを教えてくれた。しかし、外にはオイラが愛するキジノ介がケロちゃんの命を狙っているから、現実というもんは厳しいもんだ。

 それより人間世界はもっと酷い。縄文人のような共存的なもんじゃなくて今は17・18世紀に戻ってしまったようだ。人間の停滞・退化は見るに堪えないよ、ケロちゃん。 

 

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酷暑の本質を迫れるか

2022-07-01 23:07:23 | 意見・所感

 連日酷暑が続く。1時間作業したらドリンクを飲んだり横になったり下着を変えたりなどしてなんとか暑さをしのぐ。したがって、作業効率は悪いことは間違いない。こんななかでもウクライナは戦火の応酬にさらされている。

  春に咲いてくれたアジュガもさすがに枯れ始めている。水やりが追いつかない。畑とガーデンの水やりだけでも2時間以上はかかってしまうので、なかなか毎日の水遣りが厳しい。

 

 すると、梅雨の合間に咲き始めたアジサイの花もついに焼け始めた。きょうは40度以上になった地域は6地点だという。どこのTV番組も同じような酷暑とそれにまつわる事件を連日報じる。しかしこうなってしまっている地球の軋みと人類の原罪にメスを入れる報道がきわめて少ない。

 斎藤幸平氏のベストセラー『人新世の資本論』(集英社新書)を読み始めているが、いま人類が直面しているこの問題の本質を鮮やかに提起している。地質学でいう「人新世(ヒトシンセイ)」とは、人類の経済活動による痕跡が地球の表面に与えた負荷が取り返しがつかないほどの年代、の現在をいう。

            

 つまり、豊かさを約束するはずの「経済成長が人類の繁栄の基盤を切り崩しつつあ」ると指摘し、さらに、SDGsの善意は有害ですらあると氏は挑発する。それは「温暖化対策をしていると思い込むことで、真に必要とされているもっと大胆なアクションを起こさなくなってしまうからだ」という。

            

 そういえば、来たる参議院選挙を見ても、各党とも地球温暖化対策への提言より賃金・消費税・給付金など景気浮揚、経済成長ばかりの政策が目立つ。そうして問題の本質はうやむやにされ気候危機は深まるばかりだ。私たちの豊かさと便利さは、途上国の労働力の搾取と自然資源の収奪なしに不可能であり、大規模な自然災害はそうした人災でもあり「私たち日本人も間違いなく加担してきた」と断罪する。

                     

 加えるに、ウクライナ侵略関連でますますわかったことは、日本のエネルギー政策がいかに目先だけのものだったか、食糧自給率が低かったのにまったく対応できていなかったこと、北方四島返還はもともとロシアにその気がなかったこと、サハリンパイプラインをはじめとする極東の経済発展はもともと危ういものだったこと、中国による海上・海底資源略奪戦略にボーッとしていたこと等など、日本の基底的な戦略方針がいつも小手先だったことが露呈された。

          

 グローバルな気候変動に特効薬はないが、それに対して声を上げる持続的な「リレー」が必要だ。そのためにはどんな具体策があるのかをマスコミは示す義務がある。もちろん、政治家任せの「人任せ」ではなく、ひとり一人の行動と思索を暮らしの中で貫く根拠を構築しなければならないとつくづく思う。  

 

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